2007年11月23日 (金)

秋の大収穫、

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奈良から姪のMさん帰郷、母の実家(我家)に遊びに来る。

冒険好きの彼女、ユズもぎを提案、ウーマンパワー

すごい騒ぎ、恐るべし。

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使いみち、議論ふんぷん、好きなようにしてくれ。

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お転婆Mさん、屋根に乗って大奮闘40個ばかり収穫。

甘さの確率50%、元気な頃は私の仕事だった。

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妹達の持ち帰りようの妻の作品、ねぎ、白菜、大根、かぶ。

今夜の各家庭の夕食、・・なべ・・に決まり。

小春日和には少し風が冷たいが、おだやかな、よき日だった、

さらにささやかな秋の収穫が一味、そえてくれたようだ。

追伸、入院騒ぎで、栗ご飯食べられなかった、代わりに

   柿を食べようか・・・・

2007年4月15日 (日)

来年はどうしよう。

町内のお花見会、きょう午後3時から、町内唯一の

飲み屋さん(いこい)で開催された、開催に先立ち、

町内会長が私の家に来て、「まともな桜がないので2~3枝

テーブル用にくれてくれ」と枝垂れ桜を取っていった。

本来なら(ソメイヨシノ)が満開のはずなのに、数年前から

わが飛駒のソメイヨシノは壊滅状態、テングス病に汚染されて

しまった。うちの枝垂れ桜は七部咲きながらまずまずだ、

よそでうちの桜を見るのもなんか変だが、ちと誇らしい。

町内会三十戸中、二十戸の出席、本当は私も出たくない

のだが、これを逃すと暫らく見る事が出来ない顔もあるので

出席した。一年ぶりや二年ぶりの人もいる、みんな何かと

気を使ってくれる、だが私がいる事によって、微妙な

空気が流れるような気がするのは考えすぎだろうか?。

楽しくも有るのだが、ほろにが、の部分も有る、去年は

家の裏のIさんが居て、本音で話をしてくれたんだが、

用事があり、きょうは奥さんが来た。みんなが気を使って

オブラートか真綿で包んだような会話になってしまう、

立場が逆なら私もそうなってしまうかもしれない。

来年はどうしようか、迷うが出たほうがいいと思う。

妻が押して来てくれた、デコボコの砂利道を帰りは

息子のFが迎えに来てくれた、Fの押す車椅子の帰還は

誇らしかった。ほろにがの心にちょっと、花を副えた。

2007年4月 9日 (月)

経験則の言葉

昼過ぎ、知人のMさん(父の友人)の家に散歩がてら

届け物をすることになった、Mさんの家まで約1Kくらい、

帰り、回り道をしても一時間くらいと考えていた。Mさんの家に

いくと、奥さんだけだった、Mさんは父の生前よく遊びに来て

くれていたので知っているが、奥さんとは過去2度面識が

あるだけだった、Mさんの家に着くと待ってた様に雷が鳴り

雨が降り、おまけにヒョウまで降ってきた。Mさんちの車庫が

雨宿りの場となった、そこでお茶も頂いた。

Mさんの奥さんは以外や雄弁な人で、そこまで言っちゃて

いいの、って思う位、身内の事なんでも喋る。多分私の事

気遣ってか、病気の事や人間関係の苦労話等、比較の

話を誇張するでもなく、とつとつと、そしてウッスラ涙を

浮かべながら話してくれる。「あんただってきっと・・・・・・」

と慰めてくれる、この人は本当に気のいい人なんだな、と

思った。 雷と雨とヒョウは30分程でやんだ、辺りは雪の

様にうっすら白くなった、「又いつでも、遊びにきやっせな」

奥さんの声を背に、いとまを告げた、妻も少し涙ぐんでいた。

帰り道「人間容易じゃない思いしながら、みんな生きて

いるンだよ、大変だよ生きてくのは」と奥さんの言葉が

よみがえる、さっきの雷のようにズシン、と心に響く、

私はうなずきながら、唇をかみしめた。

空は夏雲のような、あかるい積雲だった。

2007年3月28日 (水)

母の本気・・・?

きょうは、閑があるからと言って、次女のEさんが来た。

母と連れ立って、ホームセンターに行ってきたらしい。

肥料や種や帽子等、色々買って来た、中にビニールの

黒い容器がいっぱいあった、「これなにするの」と聞くと

「枝豆の種を畑にまくとカラスにやられるから、これに

苗を起こして移植する」本に書いてあったと自信満々だ。

どうやら、父の農法を踏襲する気はないらしい。

結婚して60年近く、ジャガイモ以外、畑を手伝ったことが

無い母の自己学習による、畑に向う大いなる決意の

表れと見た。母の(母なる大地)とのスクラム、なにやら

ロマンを感じる。妹も作業用の帽子や腕に巻くものを

買ってきたりして、父亡き後、女性軍の畑を護ろうとする

姿勢は鬼気迫るものがある。

でも、みんなが一つの指向性を持ち、団結する姿は

頼もしいし、美しい。   私もなんとか、参加を試みよう

せめて、本やネットで仕込んで、理屈で一歩先んじて

体の効かない分、能書きだけで勝負してみるか。

みんな、ドシロウトだから、我に割り込む余地・・あり。

2007年3月19日 (月)

承諾殺人の判決

昨年11月私の住む、栃木県県南地区で介護疲れから

母親と心中を計るも死に切れず、殺人罪に問われた

男性の裁判があった。懲役3年、執行猶予3年だった。

母親が倒れてからの20年間一人で、介護し続けた、

その間、自身も介護疲れから、うつ病となり、裁判長を

して「被告の苦痛は筆舌に尽くしがたし」と言わしめた。

事件を決して肯定するものではないが、又お母さんには

気の毒だが判決は穏当なものかと私は思った。

只気になったのは、兄弟や周囲は何故フォローしなかったか

何故、彼だけ自身を追い詰めなければ、ならなかったか?

昨年その事件を新聞で知ったとき私は涙が止まらなかった

今回も涙が出た、立ち直って欲しいと思う。

弱きものや、優しきものだけが、辛い思いをして、さらに

し続けなければ、ならないのは可哀そうと思う。

改めて肯定はしないけれど、立ち直って欲しい

(彼の援助をしようと云う、人や企業が複数あり)と

新聞記事は締めくくっていた。

2007年3月17日 (土)

なんでこんな目に

きょうは役所に提出する診断書を作ってもらうべく、

Y先生の整形に出掛けた。  出がけに妻に、「帰りに

版画用のハガキ買いたいから店によってよ」と頼んだら

「そんなヒマはない」とピシャリ。どうも機嫌が

良くないらしい、走り出して更に分ったがどうも

そうとう悪いらしい。よわったネこれは、・・実は重要人物

から(注、社会的にではなく個人的にの意)きのう

版画の用紙を変えてみたらどうか、と提案があった。

「まいったねェ」と思いつつバックミラーをそっと見てみたら

眉の間がすごく狭まっている。・・見ていてアレッと思った、

どっかで見たようなと思い、考えたら、娘の娘つまり

孫娘がよくやってる顔だ、隔世劣勢遺伝?か。?

思わず、噴出しそうになったが、そういう雰囲気ではない。

先生に診断書を頼み、帰り図書館へ「お父さんも図書館へ

寄る?」というので、気乗りがせず「寄らない」とボソ、

自分で言ってあれっと思ったがぶっきら棒な

突き放すような声、意外とこの声が効果的だったらしく

反省を促したようだ。図書館から出てきて「戻ってハガキ

買いに行こうか」と云う、威厳を見せて追い討ちを

かけようと思ったが後が自信ないので「ハイ、」と

いってしまった。無事ハガキ買って帰ってきた。

「お昼食べたら、畑やらなきゃ」と妻、機嫌が戻りつつ

あるらしい、私「・・・・」

未だに不機嫌だった原因わからない、問いただすのも

なにやら空恐ろしい、空は恐ろしい程、碧かった。