2009年10月 1日 (木)

本当は行きたくないのだけど。

明日から(十月二日)1ヶ月ほど入院します。

しばらく当ブログはお休みです。

無事に帰ってくることが出来れば11月頭には

このブログも復活します。

パイプをくわえて「アイシャルリターン」と行きたい処です。

タバコ吸わないので煙はないけど。

母の事も心配です、でも案外帰ってみると歩き回って

いた、なんて事になってるかもしれません。

妻の事も、過労しなければ・・・・と。

それでは、しばし。

♪かってくるぞと いさましく・・・・・・・

             ・

             ・

2009年9月28日 (月)

まな板の鯉、

入院が本決まりになった。

十月二日入院、九日手術、それから3~4週間の経過見。

先生は(大丈夫、任せておきなさい)と言うような眼をしている。

床ずれがはっきり重いと分ってから10ヶ月の勘定になる。

あらためて自分の体が尋常では無いのだな、と思う。

「手術をしないで治すには1年~1年半通院しなきゃ

ならないけど、傷口は順調に改善回復してますよ」

話を聞いていて、おかしいことに自分自身よりも自分の

身体は一生懸命生きようと、元に戻ろうと頑張っている

ように感じ見えてくる。連絡の途絶えた自分の身体は

私に内緒で快復の道を全力で探っているらしい。

そうとわかれば私の心だってそれに応えない訳には

いかないじゃないか。

とは言っても私はまな板の鯉でいるしかないのだけど!

でも、心と体の連絡の通じない間柄でも同じ方を

向いて同調して進んでいけるのだな、と今日は感じる事が

出来ているような気がする。

1ヵ月後、もっと強く感じている自分がいてくれるといいのだが。

2009年9月20日 (日)

母の信頼、

近頃、母の調子がよくない。

いきつけの整形のY先生に診てもらうと腰の骨が

圧迫骨折とのこと、辛抱強いひとなので余り訴えないが

大分痛いらしい。ベッドから下りるのがつらいので

ついつい、寝たきりのようになる、妹達が来て姉妹4人で

面倒を見ている、このチームワークはすごい。

ただ、夕方から朝にかけては妻一人が見るので

ふだんも妻の名を呼ぶ回数が一番多い、私の介助で

慣れているということもあるのだろうが、ある意味では

一番やはり信頼しているのかもしれない。

母がこれだけ気弱そうに妻の名を呼ぶのを初めて聞いた。

これからなるたけ私は妻の負担を減らすべく自分の事は

出来る限り自分でしなければならない。

息子もいるが妻にかかる負担を考えると、さほどの

フォローは望めない、妹達に頼りすぎるわけにも行かない

だろうが、妹達はそれなりに手伝ってくれるだろう。

みんなにとっての試練かもしれない、傍観するだけの

自分が恨めしい、Y先生は「二ヶ月ほどで痛みは取れる

だろう」と言っている、早く痛みが取れて欲しいものだ。

歩けるように早くなってほしい。

私の入院もあるが、妻の負担を減らすべく病院へ

通う事も我慢しなければならないだろう。

覚悟の時だ。

2009年9月15日 (火)

微熱と言う、友。

風邪ではなし、まして新型インフルエンザでもなさそう。

昼すぎから夕方、夜にかけて微熱(37~37,5)が続いている。

朝になるとア~ラ不思議、ちゃんと熱は下がっている。

私自身は感覚がにぶいのでわかりにくいがここ3日ばかり

勤めから帰ってきた妻が「お父さん顔が赤いねェ」と

額に手を当てると所定の熱が分るといったぐあいだ。

近頃は体温計を使わなくなっている。

熱も半年以上も付き合っていると慣れっこになってしまう

ものかもしれない、・・・まして微熱ごとき?。

ただ体は正直で、どうも腕に力が入らないらしい。

今は1時間おきに行っている車椅子とベッドの乗り移りが

ちょっと骨が折れる。

この仕事さえなければ問題はないのだが。

いつもより今日はちょっといいようだ、少し乗り移りが

楽のようだ、人の体とはよく出来ているものだ、と他人事の

ように感心している自分がいる。

2009年9月11日 (金)

アブとアリ。

私は体が麻痺しているが、麻痺していない部分も少し

残されている、ただその部分も動くけれど、痛覚、温覚など

とてもにぶい、だから、蚊やアブに刺されてもほとんど

気づかない、痒みもないから後になって、眼で気づいて

腹を立てる。従って蚊やアブを日頃から眼の敵にしている。

昨日も大きいアブが私の周りをすきあらば、と狙う。

妻はパートでいないので長い格闘の末にハエタタキで

やっつけた。床に落ちたが拾えないので妻の帰りまで

そのままだ。しばらくして、チラッとみると動いている

「まだ死んでなかったんだ」と思いとどめを刺そうと構えたら、

様子がちがう、アリが一匹で引きずっている、アブはおよそ

3センチ、アリは1センチ、自分の20倍はありそうな獲物を

孤軍奮闘している、援軍は中々こない、外に出るまで

3メートル、それから巣までどのくらいか知らないが大変な

労働だ。多分、途中で諦めるだろうと思い放って置いたら

30分後何処にもいなくなっていた、感嘆した。

実は成し遂げるかどうかは別として、私はこのアリを

カメラに収めておいた、世間にたたえるべく、ブログに

載せ様としたが、肝心のイメージがなんとしてもエラーに

なってしまう。あれこれ試したがだめだ、いつかPCの

先生Mさんの来訪を待とう。かのアリをたたえる写真は

そのごになる。私は文句なしに、かのアリをたたえる。

そして妻が帰る前に床からアブは片付いた。

          ・

2009年9月 7日 (月)

てんとう虫、

先日、カミさんが新聞を読んでいて言った。

「殺虫剤がわりに飛べないてんとう虫を作ることに

成功して成果を上げたんだって」・・・・?

「何だそりゃァ」私はその記事を読んでみた。

遺伝子の組み換えかなんかで羽の生えてこないてんとう虫を

たくさん作り出し、畑に放すと飛べないからその辺を歩き回り

害虫を凄い勢いで食べてしまうそうな、結果、作物が成績良く

育ったらしい。学者ってのは凄いこと考えるもんだな、と思った。

同時に私に違和感が発生した、最初はそれが何だか

分らなかった。ちょっと怪しくなったので私は自分の部屋へ

入った。机の上にポタポタ涙がこぼれ落ちた。

(老人の涙はみっともないから人には見せられない。)

てんとう虫にどのくらい精神性があるかしらないし、

生まれながらに、ない羽を欲しがりはしないかもしれないが

私は自分と重ねてみてしまった、飛べない虫なんて・・・・

立ったり歩いたり出来ない自分と・・・・

ある意味、私の場合は(身の不運)と自分に言い聞かせる

事が出来るが、このてんとう虫の場合は利便性や合理性の

名のもとに科学にもてあそばれたような気がしてならない。

私には何もできないが、いやな一日になった。

何も悪い事してないのに。

                 ・

2009年9月 4日 (金)

少年探偵団、

先日、夕方ラジオ(にっぽん放送)を聞いていたら

いつもの男性アナが夏休みで違う人がでていた、ので

他のラジオにしようかと思ったら、少年探偵団という言葉が

でてきたのでダイアルをそのままに、「んん」と思い聞いて

いた、なつかしい曲が流れてきた。

♪ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団ゆうきリンリン・・・・

歌の終り頃にナレーション、「作 江戸川乱歩、音楽

宇野誠一郎、この番組は養命酒の提供でお贈りします」

多分、半世紀にはなるだろう、夕方六時前後だったと思うが

テレビのない時代、夢中でみんな聞いていた。

いま考えてもナレーションがあったことは思い出せなかった。

曲の後に物語りも続いた、小林少年、怪人二十面相、

明智探偵等が登場。私はなにやら五十年という時間をこえて

こぶしを握り締めて真剣に聞いてしまった。

番組の終わりにアナウンサーが「私が冒頭、少年探偵団の

話をしたためスタッフが手分けしてテープを探してくれました

ごめんなさい、そして有り難うございました」

ラジオ局はすごいな、と思った、五分か十分で五十年前を

探し出し、聞く人をそれにいざなってくれた。

私はまだこぶしを握っていた。

2009年8月31日 (月)

おどろいた。

私が物心のついた頃には当たり前だが自民党だった。

一時期、細川政権があったがいつのまにか消えた。

私の中では自民党は絶対的だった。(私自身はノンポリだ)

時には他党と組しながらも政権党を維持していた。

色んな報道で民主党が圧倒的に勝つだろうといっていた、

私は民主党が勝つとしてもいい勝負だろうと思っていた。

ふたを開けたら報道の通りだった。

私は驚いた、(ベルリンの壁)の時と同じくらい驚いた、

でも、時間を置くと「時代は流れてるんだからなァ」と

思えてきた。

私にとってはどちらにしてもさほどの問題ではないのだが

マニフェストと言うものを見ると私たち障害者のあつかいは

蚊帳の外のような気がする…ひがみ・・だろうか?

でも、こうなったんだから取り合えず政権党の民主に

期待するしかない。

人に頼っているばかりで、どうも気が引けるのだが

頼むよ!・・・・民主党。

2009年8月25日 (火)

息子、Fへ「頼むよ」

午前中、形成の外来へ行ってきた。

F先生「大分言い状態になってますね、ただ残念ながら

このところオペが詰まっているので手術は十月にしましょう」

先制パンチをやられてしまった。「はァ・・・」と言うしかない。

まァ、いいかここまできたら一年かかっても仕方ない。

一昨日息子にシャワー浴と傷の処置をしてもらった、

初めてのことながらマァマァの出来だろうか、しかし息子に

裸を洗ってもらうのは、どうにもカッコつかない。

妻がお出かけで仕方ないなと覚悟したのだが、思った以上に

精神的にはヘビーだった。ただ、九月が過ぎて手術で

傷が治れば処置の必要はないな、と考えていたのだが

一昨日の事をF先生に話すとえらく喜んでいる。実は息子に

「お母さん一人だと負担がかかり過ぎるので君にも必ず

手伝ってもらわねば」と傷の処置のレクチャー、自宅での

リハーサルを今思うと強く勧めていた。

先生は初めからオペは十月か十一月と決めていたのだ。

半年以上の入院でへこんでいた私を欺き慰めてくれたのだろう。

私は改めて人を見る目(心)がないなァ、と思う。

息子にも大人しく従おう、まだ私にも残された時間は

有りそうだし、みんなに頼って生きていこう。

今、私の心はへこんでいない。

2009年8月21日 (金)

コラボレート、

私の体は胸から下は感覚がないので、視覚的な痛みしか

感じる事が出来ない、だがいつも何かしらの不快感を

感じてはいる、感覚があったら痛いだろううなァ、

といういやな感じだ。

ところが今日はうす曇りでたまに雨がパラつく天気、

身体に対して条件はよくないのに身体は何か

いつもより楽だ。とてもありがたい。

でも、そういう天気にも関わらず午前中この夏一番

というくらい、すごいせみ時雨だ。

ツクツク法師、アブラ蝉、など鳴いているが

圧倒的なミンミン蝉の勢力だ、カンカン照りに

これをやられたら流石の私でも「うるさい!」という所だが

今日は体調の所為かさほど気にならずに机に向っていた。

ラジオから[明日にかける橋](サイモン&ガーファンクル)

が流れた。暫らく聴いていたらミンミン蝉の声と合って

いることに気がついた。(ほんとだよ!)

そのうちに選挙カーの声が聞こえてきた、国政レベルでは

この山里にはめったに選挙カーはこない(にも拘らず)

蝉とS&Gと選挙カーのめったにないコラボレートだ。

すんなりと受け入れている自分がいた。

多分体調の所為だろう、体調がいいということがこんなにも

気持が広くなるとは久々の思いだ。

願わくば維持できたらと思うが・・・、明日はどうだろう?。

2009年8月18日 (火)

外来の診察。

午前中、外来でN病院の形成外科にいってきた。

先生「順調で大分いいようです」とニコニコ。

退院以来、先生の言う事を自分なりにがんばって

言う事を聞いてきたので、治癒が進んでいるのかと思い、

調子に乗って「手術が早まりそうですか?」と聞いたら

「まあ、ボチボチと」なんていなされてしまった。

いまさら焦っても仕方ないが、ちょっとガッカリ。

帰り道「焦るなんて、まだ若いね」なんて妻にばかにされて

しまった。・・・還暦すぎだ、いまさら焦っても仕方ないか。

盆がすぎ、また静かな生活になったので、気持の変化が

焦りにつながったのかもしれない。

ゆっくりと自分のなすべき事をこなして行こう。

             ・

外来は又来週の同じ曜日だ。

             ・

2009年2月 4日 (水)

もしかして入院かな?

発熱してから今日で11日目、まだ夢の中のよう。

ちょっとだけ時間を貰って。

あすのMRIの検査結果によって入院があるかも

皮膚科のO先生にいわれた。

もしそうなら今度は整形外科としての入院らしい。

ジョクソウがたんなる(床づれ)ではなく重い状態も

考えられるらしい。

人生は何処まで意地悪をするのだろう。

そして妻に労苦を強いるのだろう。

私はそんなに強くはないし、むしろ弱いが故にユラユラと

たゆとうて耐えているのに。

又長いたびになるかもしれない。

念のため、じゃ又ね。

            ・

            ・

2009年1月23日 (金)

波止場を求めて、

今日もちょっと気分はブルー。

ブログも休もうかと思ったけど・・・・たまには乗らないブログも。

おととい、A病院皮膚科、M先生「Mさん、手紙を書きますから

N病院の皮膚科に行ってください、外科との関連も考えられる

ので、」お尻の床ずれでM先生にかかって8ヶ月近くなる。

いよいよ自分の手に余ると判断したらしい。

昨日N病院皮膚科、「厄介なのが来たな」と言う感じが微妙に

感じられる。つい「厄介者ですみません」と卑屈になる。

どうも大きな病院の外来の先生はわりと大柄な人が多いような

気がする。結局「様子を見ましょう」予想通りの流れだ。

帰り道、妻と二人でため息をつく。(申し分けない)

きょうも気がつくとため息をついている。

なんだか大海原へ小さな船に棹差して漕ぎ出した気分だ。

木っ端のような船ではすぐ転覆し漂流するだろう。

安心して係留できる岸壁は(病院又は医師)ないだろうか。

心がフラフラ漂っている。

              ・

              ・

2009年1月20日 (火)

モナさんの復帰、

昼すぎ、いつものようにラジオをつける。

山本モナさんが大竹まことさんを相手にシャッベっていた。

ちょっと驚いた、半年振りくらいではないだろうか?

一体、半年前になにがあったんだろう?(実は少しは知っている)

この半年何してたんだろう?(大きなお世話?・・それもそうだ

それにしても昨日の続きのように何事もなきかに話している。

むしろ、相方の大竹さんの方が興奮し舞い上がっている。

それにしても、このモナさんの落ち着きぶりは何だ、・・・・

盗人猛々しい、とはこの事だ・・・・いや、ちがうちがう、もとい。

思えば一年前、私の初夢のヒロインとなり頂点を目指して

たのに・・・・?、論点が変だぞ、私も舞い上がっている?

さすがモナさんは大物だ、半年のブランクを物ともせず、

引きずりもせず、・・人間かく有りたいものだ。

そして番組は何事もなきかに終った。

ふ~む、何か大物過ぎないか?も少しドタバタして地に足が

ついてない感じのほうが可愛いような・・・・

まっ、どうでもいいか、好きにやってください!。

            ・

            ・

2009年1月18日 (日)

初参り、初巡り。

   Jinnja くりっく

朝からチラチラ雨が降ったり止んだりしていた。

もう少し冷えたら雪になるかも、と言う感じだがそこまでは

冷えていない。  今日も散歩は無理だナ、と諦めていたら

昼過ぎてから妻が「風がないから散歩しようか?」と言う。

私は二つ返事で応える。これを逃したら又いつになるか。

まずは近所の氏神様【塩竃神社】家から150Mくらいしか

離れていないが、今の私にははるかに遠い。

今年、初参りだ。二礼二拍手一礼で威儀を正し、関わる者

全ての健康を願ったが、鳥居はくぐれないし近づけないし

鈴は鳴らせないし、何より肝心のお賽銭無しだ。

「気は心だ、許されよ、そしてお願いします」厚かましいが

神社を後に初散歩、町内巡察をした。

寒さの所為か人気はなし、人々はまるでコタツにもぐり息を

潜めて春を待ってるんじゃなかろうか?、と言う感じで静かだ。

言葉を交わす人とてなく先ほど視察は終った。

物足りなさが無い訳じゃないけど、一仕事終えた、という

充実感はある。 私の正月がやっと終ったな、という気分だ。

やっと、落ち着いて春を待つことが出来そうだ。

2009年1月16日 (金)

日本の童話の秘密、

ラジオから永六輔さんの声が流れていた。

「北山修が(フォーククルセダーズの元メンバー、医学博士)童話や

昔話を調べていて、日本の童話には約束を破る文化が

あるらしい、と言っていた」と話す・・・「ん?」

「つるが見ないで、と云ったのに見てしまう。乙姫が開けないで

と云ったのに開けてしまう、そして大切なものを失ってしまう。」

勿論、幼子などに諭す大事な方便として作られたのであろうが

グリムでもイソッップでも外国にはないそうだ。

犬のオアズケみたいに自分の手に手段を握らされていながら

見ないで、開けないで、食べないで、とはとてもつらい。

結果がみえみえならとも角、知らずして人目がなかったら

私なら我慢できずに、禁を犯してしまいそうだ。

永さんの話を聞きながら、人の心がみえたら、次の展開が

みえたら、など色々頭の中を駆け巡ったら、最後の結びの

部分を聞き逃してしまった。「あっ、しまった」と思ったら

もう遅い、私の得意の脱線だ。

結論はなんだったんだろう、・・・失うと余計知りたい。

もしここに、その結果を知る事のできる障子やふたが

あったなら私は迷わず、そっと開けてしまうだろう。

遠い昔の戒めを未だに解していない自分がいた。

             ・

             ・

2009年1月14日 (水)

春はあけぼの、

 春はあけぼの。ようようしろくなり行く、

山ぎわすこしあかりて、むらさきだちたる ・・・

煙のもうもうとして、地表にあかむし這いたる・・・とその人は

そう思ったのか、先日まだ明けきらぬ早朝に我が家の息子に

出動の電話。息子は佐野市消防団第19分団に所属している。

我が家から北へ1Km位のところが火事らしいとの事。

1時間もしないうちに帰ってきた。

「ボヤだった?」と聞くと「いや、誤報らしい」とのこと。

暗い内からたき火をしている人がいて、それを見た川の対岸の

人が火事と勘違いして通報してしまったらしい。

近頃の火事の多さに過剰反応したのだろう。

きのう息子に聞いてみた、「この場合なにか説諭とか始末書

なんてあるんかな?誤通報者に」息子いわく「本署と分団

あわせて6~7台、人数にして5~60人のひとを振り回し

たんだから、ただではすまないと思う」左程同情的ではない。

親切心があだになってしまった訳だ。客観的には確認を

もう一押しする冷静さがあっても良かったのだが、

何となく、その人に同情する気分も私にはある。

勉強しすぎるほど勉強したろう。悔恨とともに。

むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。は風流だが。

2009年1月12日 (月)

町内の視察、

この三連休、妻の職場も休みだった。

三日もあるのだからどこか一日ぐらい散歩できるかな、

と考えていたが天気は悪くないけど風がいかにも寒そう。

今日こそはと思ったら、従兄弟のTさんが松の手入れに

来てくれた。丁度良かったから電動椅子に乗せてもらい

(見物兼監督)をしながら、近所を視察して回ろうと目論んだ。

が、北の空に雪雲が出てきて風が吹き始めた。

今年は病院以外はまだ家から出ていない。

風邪を危惧しながら散歩するほど勇気はない。

それに私が町内を視察して回らなくとも町内も飛駒自体も

なんら問題なく動いている・・・・・。

それに話し相手に誰かが待っている訳じゃなし・・・カクッ。

確たる強い目的がないと寒気ごときにも気圧される。

どうしても外に行きたい訳じゃないけど、

この狭いテリトリーに少し飽きてきたようだ。

来週か?その次か?その又次か・・・・・

                ・

                ・

2009年1月 8日 (木)

診察初め、

正月開けのころから、昨年患ったMRSA(耐性黄色ぶどう球菌)

又顔を出した、もう終ったものと思っていたのに。

今朝足利市のN病院にいってきた、帰りは午後をとうに過ぎた。

待合室には大勢の患者さんがいた、私と同じように年越の

病気を抱えてきたのだろう、正月なのに威勢の良さそうな人は

当たり前だけど一人もいなかった。

外科の場合は大抵が付き添いの人がいるケースが多い。

そーと周囲を窺うと付き添いの人も一様に暗い顔をしている。

長い待ち時間を承知の上だから文庫本を持っていった。

開いて活字を追うのだが、頭に入っていない、人数の割りに

妙な静けさが集中させてくれなかったのだろう。

本を閉じ、目をつむる・・・・・まてよ・・私も隣の妻もこの集団に

異色でなく溶け込んでいるのが見え感じられた。

端から見るとやっぱり明るい顔はしていないのだろうな、と思う。

いつしか私はそのまま居眠りをしてしまった。10~15分位か?

ふっ、と目を覚ましまわりを見回してみた。

静かなさっきの続きだった、私は妙な安心感がした。

続きがある、と言う安心感だろうか、隣を見たら妻も身体を

斜めにして舟をこいでいた。私は又安心した。

2009年1月 6日 (火)

靴下のカイロ、

    Kairo くりっく

私の体は胸から下の感覚がないので痛みも寒さも感知しない。

右腕と左足は特に麻痺がきついのか他に比べると冷たい。

右腕は動いてくれるが、時々冷たすぎて痛くなる事がある。

夜、靴下を脱がしてもらうと左足だけ氷のように冷たいそうだ。

小指の辺がしもやけのように赤くなっている、もし感覚があったら

多分かゆいのだろう。

そこで妻が思いついたのが、靴下用のカイロ、

私へのお年玉だそうだ、・・・・・(あんまり嬉しくないが)・・・

説明を読んでみたら5時間しか効かないらしい。

昼すぎに付けることにした、妻はパートでいないので、

先ほど母に付けてもらった、開封すると二枚入っている・・?

考えてみたら片足だけ使う人なんていないな、と気づく。

思わぬところでプチショック。  現在、装てん後一時間、

足の温かさはわからない。その分気持の温かさが少しある、

結果次第でこの冬が快適に乗り切れるかどうか分る。

今夜の結果がちょっぴり楽しみ。

            ・

            ・

2009年1月 4日 (日)

初夢、羽黒山裏参道、

昔、出羽三山へ(山形県)妻と旅をしたことがある。

今も修験道の地として山伏を見かける霊場だ。

名うての豪雪地帯として【月山】は夏スキーのメッカだ。

湯殿山、月山、羽黒山と三山を巡ったが山登りと言うより

雪のない季節ではハイキング、と云った趣の山域だった。

最後に羽黒山神社に参った、広い石段の参道だった。

帰りは裏参道ともいうような道を下りてきた。

広くてただダラダラした下り道だが、下から見上げると

石が所々組まれていて石段の態をなしているといった

不思議な山道だった。

今年の私の【初夢】はこのゆるい下りの裏参道だった。

およそ夢などは荒唐無稽なものと相場は決まっているが

私はこの坂道を妻を軽々抱きかかえて歩いていた。

ユックリだから怪我とかアクシデントでは無さそうだ。

妻もなにやら嬉しそうにニコニコしている。

誓って言うがこれまで健常のころ妻はおろか女性を

お姫様ダッコした記憶はない。悪い夢では無さそうだが

目覚めてからどうも戸惑ってしまった。

去年は山本モナさんでしくじって・・?しまった。

この滑稽な夢をいい解釈するには・・・・?。

一富士、二鷹、・・・・・羽黒山裏参道、なんてないよね。

苦しい年になりそうな予感。

2009年1月 2日 (金)

としのはじめの・・・

    新年おめでとうございます。

穏かな幕開けです、そして正月二日の今日も静かないい日です。

Gajou くりっく

皆さんにとって、つつがなきよき年となりますよう。

子供達も三人そろい踏みして嬉しい年の幕開けになりました。

これ以上なにを望みましょうや。

何も望みません、自分にとっても、つつがなきよう、とだけ。

   今年も宜しくお願いします。

                ・

                ・

2008年12月31日 (水)

餅つきは終ったし、

Motituki くりっく   餅つき風景

きのう30日、無事餅つきが終った。

参加人員老若合わせて25名、搗いた臼の数15。

量はあったが人足も足りていたので順調に進み名奉行の

活躍もあり(Oさん)3時前には終った。

これで概ね正月の準備は整った訳だ。

今日大晦日は娘家族と息子は買い物に出かけ、妻は煮物を

している、母はコタツでテレビを見ている、私はテーブルで

新聞を読んでいた、テレビ欄を見ていて紅白歌合戦が

目に入る「ほほう、歌合戦か、と言う事は今日は大晦日?」

この期に及んで「エッ、ホントかよ?」なんて思った。

どうも近頃切り替えがうまくない、これじゃあ明日の朝

「エッ、元旦てことは新年か?」なんていいかねない。

今夜寝る前までに今年をしっかり清算しよう、そして来る年は

自動的に切り替えられるような頭にしよう。

「だいじょうぶ?」なんて心配されないように。

「餅つきは終ったし、今日は大晦日だ、あしたは・・・・・よし!」

皆様、良い年をお迎えください。

            ・

            ・

2008年12月29日 (月)

我が家の電飾、

  Dennsyoku くりっく

あと二時間ぐらいで娘家族が帰ってくる。

写真は息子が姪のメーシャの為に買って来た

発光ダイオードの電飾だ。こういうものが我が家に点くとは

思わなかった。百球で一万円ぐらいとか、高いけどその分

電気が食わないらしい、点灯してみたら中々のものだ。

ただちょっと寂しい感じかな、むすこも「後、百か二百足さ

ないと面白くないなァ」と後悔している、でもメーシャは正月

二日には帰ってしまうので多分ふえる事はないだろう。

鍵はこんや来た時のメーシャの反応次第だろう。

よほどの好感触が得られれば31日まで仕事の息子も

時間を割いて追加分を買ってくるかもしれない。

小さな孫を中心にたったこれだけの事でも、心が少し躍る。

これだけの事でも、見方によっては家中大きな幸せだ。

もしかして、メーシャが反応しない場合も想定しなければ。

その時の心の準備も必要だ。

年末の一喜一憂やいかに?。 (私ではなく息子の)

2008年12月27日 (土)

やる事がなくなった、

今年最後の郵便物の封をした。

私の今年なすべき事は全て終った、後は30日の餅つきの

監督(見物?)をするだけだ。

元気な頃(健常)は例年今頃は忙しくて後2~3日は

頑張ったものだがすることが無くなってしまった。

病気になって3年目の暮れを迎えて、暮れ正月の

すごし方も慣れてきたが、まだこんな事していて正月を

迎えていいのだろうか?、と罪の意識が頭を少しかすめる。

生来の貧乏性が自分自身を許せないような気がするのだろう。

去年の今頃は何していたんだろう?。

年内どうして過ごそうか?。

考えたって仕方ないから、成り行き任せに身をゆだねよう。

そして来年の展望を夢見てみよう。ここまでくれば鬼も笑うまい。

今日から妻も休みに入った、安心感か気分もちょっと怠惰。

          ・

          ・

2008年12月25日 (木)

梅の実の作柄は?

    Senntei くりっく

先日、義弟Oさんが来てくれて梅ノ木の剪定が終わった。

来年の梅の収穫量は今年に比べると半分かな・・?、と

推定される(信頼できない筋によると)

それはともかく大分風通しが良さそうな景色になった。

素人考えだが実の量の少ない分だけ大粒のいい実が

なるのでは、・・とも期待する。

ここ何度か剪定づいたOさんは目に入る樹木が気になって

気になって仕方ないらしい、散歩していても公園や道路の

植え込みや樹の枝振りを見ると、重なったのや余分な枝を

切りたい衝動に駆られるらしい。

人とは何をきっかけにいかなる時に触発されるか分らんものだ。

私の知人のTさんのように定年したら「庭師になる」なんて

言い出すかもしれない、そしたら我が家の庭木は安泰だ。

Oさんは大の釣り好きだが、植木好きの方向へも洗脳する

必要がありそうだ、来年の梅の実の出来次第だろう。

大いに気を良くするような出来になってもらいたいものだ。

そのためには収穫量などは問題外だ。

2008年12月23日 (火)

木炭の風物詩、

亡き父の友人B氏が来てくれた、B氏は時々線香をあげ、

父と語り合う為にきてくれる、ありがたく思う。

ただ、この時期に来てくれるのは、かってB氏の生業で

あった炭を持って来てくれるのである。 今は引退して

後継者に(他人)その窯を貸しているいるのだが、どうしても

焼きあがった炭の中には市場に出せない砕けてしまった

いわばB級品が出てしまう(B氏はB級品ではない)それを持って

来てくれる。何十年と続いているので年末の風物詩ともいえる。

我が家ではその炭をコタツに使っているのだが、さすがに

この飛駒でも炭火のコタツは数少なくなっている。

残念ながら私は病気以来コタツに入ったことがない。

コタツに足を突っ込んでうたた寝なんて夢になってしまったが

コタツのある風景は悪くないと思う。

帰り行くB氏の後姿に私は無音で語りかけた「来年も又

頼むねBちゃん」。

「あいよ、まかしとけ」無音でB氏も応えた。

又、正月が近づいた。

2008年12月21日 (日)

マイルストーンを刻んで、

群馬交響楽団と足利市民合唱団による

年末恒例の【第九】の演奏会(合唱つき)を隣接の

足利市民会館に聴きに行ってきた。指揮者の入場のまえの

一瞬の静寂の時、「あァ、今年も俺はここにいる」と思った。

合唱が終わった時、冷め遣らぬ興奮のうちに【第九】は終った。

指揮者、演奏者達が退場の後、合唱団だけの

まるで聴衆をクールダウンさせるかのような【きよしこの夜】が

静かに流れ、聴衆にも歌うように合唱の指揮者がうながす。

私の妻はふだん歌が下手ではないのに歌わないし、

ハミングもしない。一年ぶりに妻の歌声をそばで聞いた。

私は心のマイルストーン(日本風には一里塚?)を刻んだような

気がした。多くの色んな力に押されてここまで生き、年末を

迎えるに至った、ついでに来年もこの席にいられるだろうか。

そして「おォ、今年は何マイルすすんだ」と刻まれた文字を

読む事ができるだろうか?

私は胸が熱くなり、鼻の奥が少し痛くなった。

いい気分だった、一粒だけ涙が落ちた。

              ・

              ・

2008年12月18日 (木)

わが、治癒力よ。

きょうはリハビリの日、その後に内科の診察を受けた。

内科は月一回受けるので今日は今年最後の診察日だ。

90kg近い身体をゆさぶり、ゆったりおっとりのS先生、

検査結果を見ながら(リハビリの前に採血)いつになく深刻な顔。

「ここ一連の外科、皮膚科、整形そしてうちの内科と調べてきて

概ねシロなのに炎症反応の数値は変化なしなので、この後

は調べようがありません、大学病院かどこか・・・・」

つまり、S先生この件に関しては匙を投げた、と云った形だ。

どんな深刻な話かと思ったら「何だそんなことか」と思った。

そうは言っても先生の顔を立てるべく私も真剣そうな顔をする。

私の胸から下は何も訴えないので表面に現れた現象からしか

何も判断できない。体の中で何かが起きているのは確かだが

来年の課題が一つ出来た、と言っても又検査入院も嫌だ。

帰りの車中、妻は「どうする?」「う~ん」

「来年考えよう」この事に関しては繰越して先送りだ。

繰越も繰越金ならいいのに、なんとも詰まんない年越し物件だ。

がんばれ、わが治癒力よ。

2008年12月16日 (火)

エキサイティングかリラクゼーションか、

ラジオをつけた、私はちょっと眉をしかめた。

ラジオからはヒップホップと言うジャンルの曲が流れていた。

私はこの朗読に大げさな抑揚をつけたような曲・・?が

どうも苦手だ、チャンネルを変えようとして、フッ、と考えた。

以前「ためしてがってん」だったか脳の検証の番組があり、

モルモット(人)の頭に沢山のセンサーをつけ色分けをしていた。

その人の好みの曲を流すと脳は水色になり、心が癒され、

リラックスされるそう。その人の聞き覚えのない曲や嫌いな

曲だと脳は赤くなり気持がかき乱される、ただし脳は活性化され

頭のいい運動になるらしい。

私は30分我慢して聞いた、とてもイライラした、そして番組が

変りのんびりした口調のジョッキーに変り、バラードが流れ出した。

私の肩の力は途端にスーっとぬけ頭の中が沈静化した。

きっと頭の中は逆立って芳しくない興奮をしていたのだろう。

バラードを聴きながら思った、いつもよりクリヤーで甘美に

耳に入る感じだ。(ちょっと気取りすぎ、許して)

どうやら脳が活性化したらしい、とピンと来た・・・・?

「フ~ム、たまには嫌いなものを食べたり、嫌いなものを見たり

嫌いな人と話すと少しは脳が若返るのかな?」

苦痛に耐えて若返るか、マッタリして老け込むか・・・

う~ん、・・・・・悩むと脳はどうなるのだろう?

2008年12月14日 (日)

年賀状の作成、

近所に住む親戚筋のMさんが、朝早く来た。

昨日、行きつけのホームセンターの窓口に行って

年賀状の印刷を頼んだら「今からだと10日~2週間かかる」と

言われたらしい。自筆の宛名書き80枚だと元旦に間に

合わないかも、と心配になったらしい。

案じた末にパソコンのできる奴に頼めば出来るかな?と

頭を回らしたら我が家にパソコンがあったのを思い出した、と。

パソコンがあればパソコンが自由に扱える、いかにも直情的な

Mさんらしい発想だ。見本を突きつけ「だいたいこんな感じで

チョコチョコっとやってくんないか」「ふ~~む・・・」

私は全く自信がない、健常の頃いくつかの役員が重なった時

やむなく文書作りにワードを少しやったくらいだ。

「午前中からかってみて、ダメだったら誰かに頼んでくれない」

我ながら情けない、と思いつつ取り掛かってみた。

思ったより簡単に出来て、見本をプリントしてみた。

昼にやってきたMさん「うん、いい出来だホームセンターより

いい位だ、じゃ、これで頼むよ・・・・5千円でいいかい?」という。

日頃、彼にはトラクターをかけてもらったり、色んな事で世話に

なっている、お金を貰うわけには行かない。丁重に断わった。

私の自分の賀状と違い、文字の多いMさんの賀状を改めて

見ていたら、正月近し、と言う思いが突然迫ってきた。

「ふ~む、意外な事で正月を知るものだ」

2008年12月12日 (金)

母の思い出、

愛知に住んでいる姉から電話があった。

およそ3ヶ月ぶりだろうか、近頃の不景気で【トヨタ城下町】も

厳しい状態になっているらしい、孫受けだか曾孫受けの

自営の工場だからたいへんだ。

もう、歳だから年金生活でもいいのだが、仕事好きの義兄は

まだまだ続けたいらしい、私より7歳上だから再来年は古希だ。

羨ましい事に見た目は私より若い。

姉との電話で亡き母の昔話になった、父が死に私は母と

二人暮らしをしていた、その頃、窮地が訪れるたび母は

「その時はその時だ」とよく口にしていた。

多分その言葉が私に刷り込まれていたのだろう。

開き直りのその言葉が私を支えて来てくれた感もする。

そんな話をしたら、なにやら姉の心に触れたらしい。

その言葉を口にすることによって色んな場合の心の準備の

【おまじない】になるのでは、と思ったのかもしれない。

母の【おまじない】に感じ入った様子が窺えた。

私も口にして改めて忘れていた探し物がでてきた気がした。

私と姉にとっても以外に、かっての母のおまじないは

心の掘り出し物だったかもしれない。

姉も義兄も元気なのが有り難い。

2008年12月10日 (水)

ひねってみたが、

きょうは、皮膚科の診察日だった。

診察は午後からなので近くの商業施設で昼を食べた。

色んな店が集合しているスペースなので今日はウドンを

食べてみようと妻に頼んだ、まずまずの味だった。

「このウドンは量があるねェ」「だってこの前食べた時、量が

少ないみたい、と云ったから大盛りにしてもらったんだよ」

「ハァ~、俺ここでウドン食べたの?」・・・・

「やだァ、そんなに経ってないのに忘れたの?、最近なんでも

忘れちゃうんだから」・・脳を捻ってみたが思い出せない。

この前の日曜日もそうだった、前日に妻から「一時から告別式

三時から年金の相談会に行くからね」これは確かに聞いた。

当日、告別式から帰った妻が着替えて「じゃ、行ってくるからね」

「何処へ行くの?」・・「きのう言ったじゃない、相談会だって」

これはすぐに思い出した(へへ、自慢できないけど)、まゆねを曇らす

妻を笑いながら送り出したが心は笑えなかった。

近頃こういったケースが増えている、ただでさえ迷惑をかけながら

生かしてもらっているのに、これ以上迷惑は掛けられない。

周囲を見ると同世代は似たり寄ったりの気がするが・・・

頭を強化する方法はないか頭をひねるのだが。

文章にもひねりが足りなくなってきた様な。

                 ・

                 ・

2008年12月 8日 (月)

一難さって又・・・

  Azuki くりっく

三日前に私の仕事、アズキの選別がやっと終った。

私が気分転換に少しずつ選別して最後に残ったものがこの

ザルにあるものだ、約3kgのアズキが我が家の分だ。

およそこの5倍くらいあったから、概ね80%あっちこっちの

知人に謹呈したと言う勘定だ。

妻は気前よく何でも人にあげる、案外姉後肌なのかもしれない。

私も根気仕事の選別は容易じゃなかったが、人様の喜んでいる

顔を想像すると悪い気はしない。(本当に喜んでいるかは疑問だが)

昨日の朝、テレビで旅の番組をしていた、福島県南部だった。

画面では大豆の収穫の様子を映していた。

青いビニールシートの上でさやを叩いて、叩いて分別して

最後は老夫婦がこたつで時間を惜しまず、ひとつ,ひとつ

選別をしていた。「アズキと同じで手間隙かけているんだなァ、

ご苦労なこった」と思った、さらに「アズキ終ってよかった」

と秘かに思った。すると側で見ていた妻「そうだ、うちも

来年は大豆を作って味噌を作って見ようかね」・「げっ!」

チャンネルを回したくなった、根気仕事は嫌いじゃないから

アズキに大豆でも労をやぶさかにしないが、急に背中が

重くなった気がした。・・・・時間が経つにしたがって、・・・

「来年の事だからな」きっと心が準備するだろう。

                 ・

                 ・

2008年12月 5日 (金)

武士の情け、

近頃「なんかちょっとなァ、」と思う事がある。

政治経済音痴の私はその方面の事はからっきしだ。

だからブログにも書くことはないし第一難しくて書けない。

そんな私でも麻生首相の漢字の読み間違い関連で

「う~ん」と思ったこと、色んなメディアで大きく取り上げたり

していた。〔ミゾゥウ〕を〔ミゾゥユウ〕と云ったこと、そんなに

大きな問題か?、と私は首をかしげた、大方の人は前後の

流れから「ちょっと間違えたな」で済ませたと思うのだが

マスコミの文章のプロ達はそれを許さなかった。

私には単なる(あげあし取り)にしか見えなかった。

大人ならば、その場を流してそっと注進してやるとか、

その場で正して確認しあうと言う方法もあったはずだ。

誰だって思い込みを正されるまで知らずに引きずっていた

なんてことはあると思う、少なくとも私はいっぱいある。

私は別に【麻生シンパ】でもなんでもない、むしろ首相の

政策やこの先のビジョンには疑問をもっているが、今回の

発言問題には同情する。

マスコミも野党も、からめ手からチクチクやるのではなく

真っ向正面から対決をしてもらいたいと思った。

後記・・私の政治談議はこれくらいが精一杯です。

                     ・

                     ・

2008年12月 3日 (水)

多忙のカメムシ、

  Kamemusi くりっく

4~5日前から我が家に滞在しているカメムシ

調べてみて驚いた、カメムシといっても何十種類とある。

こいつは〔キマダラカメムシ〕と言うらしい、私の生まれた

山梨では〔オオガン〕〔ヘッピリムシ〕〔ヘッコキムシ〕と云った。

ここ飛駒では〔ワクサ〕〔ヘップリムシ〕と言う。

〔ワクサ〕の語源を聞いても昔からそうだった、と言う答えしかない。

このカメムシ、名前を裏切ってすこぶる足が速い。

ウサギムシと言う名にしたいくらい忙しく歩き回る。

いかにも師走を思わせる歩きっぷりだ、このくらい気ぜわしいく

歩くのだからきちんと目的があるのだろうが、それは見えない。

もしかしたら日当たりが良くて温かいので(夜は別)この部屋を

冬越しの地と決めたのかもしれない。

特に悪さをする事はないだろうし、それならそれでも構わない。

子供の頃この虫が口に飛び込み思わず噛んでしまい

十日あまりその匂いに悩まされた記憶がある、でも遠い過去の

ことだ、口を結んでいればそんな失敗もないだろう。

よろしい、越冬を許可しよう。ただし「エサの事はしらんぞ」。

2008年12月 1日 (月)

明日から師走と言う日に

昨日、朝早いうち知人のTさんから電話があり、午後遊びに

行ってもいいか、と言う話、もちろん歓迎の意を伝える。

Tさんは隣の足利市に住んでいる。

今年に入って3度目の訪問だ。

Tさんは脱サラをして植木屋さんを目指している(3年目)

私より一回り若いから50歳くらいだろうか。

何をして転職を思い立ったのか、一緒に来てくれた奥さんも

分らないそうだ、Tさんはただ微笑むだけでその辺は語らない。

ただ目指すビジョンがハッキリしているのは羨ましい、

立ち居振る舞いになんとなく自信とゆとりが感じられる。

きのうの訪問は年賀状の依頼だった、他にも頼まれていたが

師走を前にしての注文は、なんだかいい年末と気が早いが

いい正月が来そうな気がして嬉しかった。

帰り際、剪定のレクチャーをしていってくれた。

先日義弟のOさんと私でバッサリやった三本の梅ノ木は

「これは来年はまるでダメだね」とバッサリ切り捨てる。

なにやら【その道】の玄人としてのオーラが見えるような・・・

帰ってゆくTさんと奥さんの後姿に重ねての感謝の思いの

こうべを私は深く、深く垂れた。

2008年11月28日 (金)

S君から冬の便り、

福島に住む友人S君から宅配便でリンゴが届いた。

私も母も荷解きが出来ないので、息子か妻が帰ってくるまで

〔おあずけ〕だ。S君とは東京にいた頃、仕事の関係の

講習会で知り合った。以来30数年の付き合いだ。

二つ歳下の彼は私に対して、ちょっとしたライバル心を

持っていたようだ、私が結婚をすると暫らくして結婚をし

私が独立の為、東京を引き上げると暫らくして彼も故郷の

福島に帰り独立した、私が車を買ったと言うと似たタイプの

車を買った、私がゴルフを始めると彼も始めた。

極めつけは私が病気で車椅子の世話になると、一月後

彼は足に大怪我を負い4年後の今も後遺症に苦しんでいる。

その事を知った時は二人共お互い絶句した。

でも彼の場合はビッコをひいて痛がりながらも仕事に

復帰している、最後まで私を追わなくて良かったと思っている。

リンゴの御礼の電話をしたら「先日久しぶりにゴルフに

行ってきたが散々な目にあい、もうやめだ」と言っていた。

言葉とは裏腹、声は元気だった「春になったら会いに行くか

らね」リンゴもうれしいが来春の邂逅もうれしい。

二年ぶりだろうか。S君も来春は還暦だ。

2008年11月26日 (水)

そんなつもりないのに、

今日は皮膚科の診察日、診察は午後しかない。

午前中のリハビリとの間に少しの時間があるので

近くの大型商業施設へ食事に行った。障害者用の

駐車スペースは8台分ある、明らかに健常者でなければ

乗らないような車も何台かある、でもこれは本人の意識に

悲しいかな依存するほかない。

でも今日の話しは別、  食べ終わって駐車場へ来たら

隣の隣のスペースに車が入ってきた、助手席から70歳位の

男の人が降りてきた、多分脳梗塞であろう、覚束なく

4本足の杖を使っている、夫人であろう人が車から車椅子を

出す支度をする、まだ手際が慣れていない。

その男性は車から降りる前から私を見ていた、降りてからも

車椅子を待つ間も車椅子に乗ってからも私を見ていた。

まるで野良犬同士が不測に出くわして、けん制しながら

お互いの力量を推し量っているような感じだ。(笑えた)

障害者同士、ついつい秤にかけ、自分は自分だから彼我の

違いを量っても仕方ないと分りつつも、つい量ってしまう。

私自身も少なくなったとはいえまだ、その傾向はある。

私は少し下がって道を譲る、その人は〔自分の方が軽度かな〕

と納得顔で私の前を通る。私は複雑な気分になった。

なにか今もその複雑気分は続いている。

健常者には難解な話かもしれない、かな?

2008年11月24日 (月)

え~っと、次の賑やかは、

三連休が終る、といっても自分にはこよみは関係ない

のだが・・・でも何となく寂しい。

土曜日、父方の叔父叔母の法事があった。

日曜日、母方の叔父が遊びに来てくれた。

今日は趣味の会の幹事Mさんが来てくれた。

機動力のない私は人の訪問がとても嬉しい。

そして休日は妻も一日中身近にいるので、やかましいが

安心感が嬉しい。

明日から又、母と二人の静かな日常が来る、

母との静かな時間空間は嫌いじゃないのだけれど

賑やかさの後はどうも寂寥感に支配されるようだ。

晩秋・・?初冬・・と言う季節がどうもいけない。

春は遠いなァ、そしてあんなに憎らしかった夏が

今はとても懐かしい、更に遠いなァ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2008年11月21日 (金)

靴下

    Sox くりっく

「寒くなったので靴下を履かせなきゃ」

「なるほど、木の足だって寒いだろうからな」瞬間、私は

本気でそう思った、もちろん瞬間だけ、だが。

床との摩擦の緩衝材ということは、すぐに気がついた。

瞬間とはいえ健常者の人には理解できないだろうが、

私の感覚のない足や腰にも靴下やスパッツが必要なように

木の足にも、と錯覚をしてしまったのだ。

私は言葉に出さないでよかった・・と一人苦笑いをした。

この机と椅子は娘の旦那Sさんから妻に送られたものだが

その際、私のつまらない軽口を娘が咎め、ちょっと齟齬を

きたした。私は許容範囲のジョークと思っているので

謝る事はないし、謝ったら娘を困らす事になるだろう、と

思っている、ただSさんには釈明せねばとも思っている。

木の足に靴下を履かせたのは一週間ほど前だが、以来

この靴下を見るたび、その事が頭をよぎる。

妻はこれらを便利に使っている。私もついでに重宝している

改めてSさんありがとう。 

今日も靴下は温かそうに納まっている、

2008年11月19日 (水)

諸行無常、

午前中、隣接の足利市に行ってきた。

ゴルフ仲間だったSちゃんの父君が3年半の闘病の末

亡くなられた、その葬儀に出席してきた。

会葬者に久々の顔もいくつかあった、中には声をかけても

一拍二拍置いてやっと気づいてくれると言う人もいた、そんなに

私は面代わりしたのだろうか?・・逆に僅かの間に髪の毛が

私とスクラッチになってしまった人もいた。(親近感)

ほぼ4年ぶりという人が多かったが、4年と言う歳月が随分の

時間の経過を物語り、無常感をも実感した。

Sちゃんとは話が出来なかったが、少し疲れが顔に見えた。

看病や葬儀の施主と言う事で疲れたのかもしれない。

今となっては亡くなった人より生きている人が元気でいて

もらわねばならない。

飛駒街道の帰路、前を行く大型トラックの巻き上げるつむじ風で

枯れ落ちた沢山の葉っぱがカラカラカラとトラックを追いかける。

私は不思議なものを見るような気がした。

無常感が一層まして迫ってくるようだった。も一度心で合掌した。

2008年11月17日 (月)

一日ちがいで、

     Asa くりっく   今朝8時頃のあさもや

皮肉なもので今日はいい日になった、昨日このくらいなら

もっと楽しい【根古屋まつり】になったのに。

でも我が出店も予想よりは健闘したようだ。私も妹二人の

フォローを受け行ってきた、雨の中思ったよりは人がいた。

小雨の中、妻が店番をしていた、私はちょっと胸を衝かれた。

でも楽しそうな妻の顔に救われた。

私の気持を少しでも引き上げようと言う妻の想いとお祭り騒ぎの

好きな妹達のお陰で、雨もさほどの心の遅れとしなかった。

昨夜、寝るとき「かーちゃん今日はありがとう」っと言った。

「ん、なにが」・・・「うん」それだけは言って置きたかった。

雨のお陰で少し湿っぽくなったが、今日は朝から

カラッ、っとした。  さあ・・・明日から年賀状の支度をしよう。

2008年11月15日 (土)

天気頼み、

飛駒には根古屋森林公園と言う可愛い公園がある。

明日はその公園で【根古屋まつり】がある。

特に目玉があるわけではないがソコソコ人が集まる。

但し天気がよければの話だが、明日の天気やいかに?

天気予報によると寒くて少し雨があるかもしれない、とか・・

わが工房でも出店するので、すこぶる気になる。

雨が降ったら店じまいだ。

昨日、今日とその準備やら管理棟での作品展の搬入をした。

明日は妹達も来て店の手伝いをしてくれる。

その後は我が家じたいがお祭りのようになるのだが、

雨に降られたら全てがオジャンだ。

考えてみると根古屋まつり自体もそうだが、わが工房も

内容で勝負ではなく、全て天気頼みというところが

地に足が着いてないようでおもしろい。(本音=心細い)

ころころころころ、(サイコロを振る音)

天気のさいの目はどう出るのだろう。

2008年11月13日 (木)

我慢の後に見えてきたもの、

  Azuki くりっく

「おとうさん、飽きたらこれやってね」と2~3日前、テーブルの

うえに置いていったアズキ。「なにするの?」と聞くと

選別だと言う、割れたのや虫食いや固くちじれたものを

省いておけという事らしい。 「うん」と生返事をしたが「大の男の

やることじゃないな」と思う、でも今の自分は大の男とは言えない

かな、とも思う。その後も飽きる事もないからそのままだった。

きょう、病院に行って又疲れて帰ってきた。

気持もすっきりしなのでちょっと何もする気が起きなかった。

アズキが目に入った、これで気分直しをする気になった。

天気も良かったので導入部は快調に進んだ、が。

厄介な事にすぐ飽きてしまった。「飽きたらやれ」と言われた

のに、ちっとも面白くないから飽きてしまったのだ。

私は我慢して続けた、我慢の限界の頃、作業の奥深さが

見えてきた、ただ真剣にやればいいと言うものでなく

目を離してみたら選別した筈のものから、いっぱい省くべき

物が見える「なるほど、遠近や角度を変えると見えない物も

見えてくる人生と同じで、も少し鷹揚にすべきだった」

アバウトに構えたら作業は進んだ。

なにかを悟ったような、悟らないような・・・「ふ~無事終った」

2008年11月11日 (火)

生きよ、

    Momiji くりっく

ここのところ、すっかり寒気が強くなってきた。

我が飛駒盆地を囲む山々も絢爛たるお化粧の大詰めの観。

我家の庭も準備中だ、いつもよりこのモミジだけ色づきが

早いような気がするのが気に掛かる。

ほかのモミジはまだ色づき始めたばかりだ。

今年は小さいカエデが虫にやられて三本かれてしまった。

このモミジには虫除けの手当てをしたのだが、どうだろう?

この窓の眺めの象徴的な樹なので、たとえ枝を何本か

切るとも頑張って生きて欲しい。

森羅万象・・ことごとく自分の状況と結び付けてしまうが

これも感傷の秋の所為かもしれない。

「来年、曲がりなりにも俺は生きるつもりだ、たとえ曲りなり

となろうとも、お前も生きよ」

晩秋にまさしく【感傷の秋】に浸ってしまった、こんなんじゃ

厳しい冬、越せねえぞ。・・・・・エイ、ヤ~~ッ。

気合で物事すむのなら世話ないが、気合もないよりは!

2008年11月 9日 (日)

素人の梅ノ木の剪定、

   Ume くりっく

アズキのこしらえの為、妹達が来てくれた。

末妹Kさんの旦那、Oさんも来てくれた。私とOさんは

梅ノ木の剪定(二人ともよく分ってないが)をする事になった。

私は一昨年、義弟のS君に頼んで梅ノ木に大鉈をふるった。

その所為で昨年はダメだったが今年は豊作だった。(多分)

そんな話をOさんに話したら大いに賛同「バッサリやりましょう」

と言う事で気分よくバサバサ伐ってもらった。(すっきり)

三本目が終りかけた所で作業の終った妻たちが来た。

見るなり眉を吊り上げ「それは伐りすぎだァ」と口々に。

説明しても舌鋒鋭くなるばかりで理解しない、と言っても

どっちも素人だからソモソモ話がかみ合わない。

話が膠着したので、提案した。「残りは小枝だけ切って

来年、再来年様子を見て決着をつけよう」

と言う事で勝負?はお預けとした。

私は思った、【三矢の戒め】もあるとうり、奇しくも我が家も

三本の梅ノ木だ「お前達よ再来年結束してりっぱな実を

つけてあの女たちの大口を塞いでやってくれ」なんか素人

たちの不毛の勝負の観もあるが、とにかく勝ちたい。

Oさんはスッカリ毒気を抜かれ何事もなかったかのように

パチパチ小枝だけ切っていた。あァ、鼻水が出てきた。

2008年11月 7日 (金)

オオトリは里芋、

   Satoimo くりっく   写真の量を5~6回運んだ、

きのう、妹の夫君S君が里芋堀りの指導に来てくれた。

S君は実家が農家だったので子供の頃、父君存命中

よく手伝っていたらしい、身近をを見回すと一番の農業通だ。

そうは言っても子供の頃の話だから全幅の信頼は(?)だ。

でも、鎌の使い方や鍬のさばきは相変わらず上手なもので

私は監督をしていたのだが、口を挟む余地は微塵もない。

左程の時間を要さず取り入れは終った、このあと、こしらえを

して収納だが、種をまいて、育てて収穫より最後の詰めが

一番めんどっくさい、と言う事をどの野菜を見ても理解できた。

S君は聞く人がいなくても、問わず語りになにやら説明をする。

説明と言うより自分で確認しているのかもしれない。

時として、言い訳に聞こえたりする、S君の人柄のよさが見える。

これで今年の収穫は全て終った、後はネギや白菜を

必要に応じて取るだけだ。  みんな、ご苦労様でした。

私の農事監督は見ているだけだが【田楽】のたし、ぐらいには

なったのでは、と自負している。

2008年11月 5日 (水)

懐かしい会話、

きのう、さといも文庫に又お客さんが来た。

この前来てくれた六年生のRちゃんが案内役で

知らない顔が二人、六年生と四年生だった。

私は私設の司書として読書の邪魔しないように、そして

余計な話しはしないよう、と一応心がけている。

しばらくして帰りがけ四年生のAちゃん「本、借りていっても

いいですか」という、私は「ウン大丈夫、じゃぁ貸し出し帳に

書かなきゃね」と日付と題名を書いて名前を聞いた、

聞いてみたが姓は分るが、名前がどうも分らない。

近頃、当て字を使うのが流行らしく名前の漢字がどうしても

分らない、側にいたRちゃん「私が書いてあげる」と言う。

私はペンを預けた、 「Rちゃん、あんた字が雑だからゆっくり

丁寧に書いてね」とAちゃん、Rちゃん六年生、Aちゃん四年生

おかしくなって笑ってしまった。何を笑うのかわからないと言う

顔の二人、少人数の学校の産物かもしれない。

何となくほほえましくなる。暫らくこの年代の子供の会話から

遠ざかっていた所為か、懐かしくも新鮮に聞こえた。

ほんの小さな出来事だったが私には長く長く余韻した。

2008年11月 3日 (月)

まな板の奏でるメロディー

     Togi くりっく

私は障害者となるまえは職人だった。

職人は刃物を使う事が多い、刃物を使わない職業もあるが

刃物らしくない刃物も含めて大方の職人は刃物を使う。

当然刃物を使うからには切れ味保持のため、研磨をする。

私も40年近く刃物を研いで来た。

きょう私は彫刻刀を研いでいた、私には水研ぎは出来ないので

この身体になってから苦肉の策でサンドペーパーの研磨で

間に合わせている、何とか間に合っている。

研ぎながら考えた、このペーパーを固定できたら包丁が

研げないだろうか?  私が健常者の頃は定期的に研いで

いたので我が家の包丁は良く切れていた、近頃まな板の音を

聞くたびに切れ味が気になっていた。

さっそく試してみた、かなり身体への負担はあるものの

なんとかいけそうだ、試し切りしてみたら納得はいかないまでも

大分改善されている。夕飯の支度の妻のまな板の音が

リズミカルになった。  包丁の切れ味が料理の味に比例する

事は期待できないだろうが、軽やかなまな板の音色は私への

ほめ言葉に聞こえた。

2008年11月 1日 (土)

アズキの収穫、

     Mikaku くりっく

小春日和の一日だった。

収穫の秋、今夜は鍋だろうか?料理音痴の私でも

大根とねぎを見ると大方の想像はつく。

このほか今日はアズキをとって来た、私も抜いたアズキの

枝から莢をとる作業を手伝った、30分経ったところで妻の

ドクターストップがかかる。  違う作業だが以前同じような

体勢で頑張りすぎて三日ほど筋肉痛を起こした事がある。

30分の自分の出来高を見ると情けなくなるほどだ。

アズキの木を抜いて、莢を取って、莢から実を叩いて取り出す。

大変な手間隙だ、なるほどこれじゃぁアズキが安くないわけだ。

もちろん本職の農家は機械で大量に収穫できるのだろうが。

いざ、生産者の側に立ってみると(えらそうに)農産物の

値段に一定の理解を示したくなる。

畑にはまだアズキがいっぱいある、もしかしたら明日は、

妻の強権発動で妹達を招集して人海戦術かもしれない。

姉妹四人でなら瞬く間だろう、私も又30分手伝うだろう。

初めての収穫、暮れの餅つきや正月用の餡にこのアズキが

大活躍してくれる事だろう。

           --------

2008年10月30日 (木)

覚悟とは、

今日も又、病院だった。今日も疲れた、ふ~~。

先日の検査結果がでた、【MRSA】院内感染とか耐性菌と

いわれる年寄りや抵抗力の弱った人が罹る病気らしい。

(年寄り)も(抵抗力の弱った人)も悔しいけど該当するのだろう。

自分の身体がどの位弱っているのか、耐え忍んでいるのか、

私の体は私に報告をしてくれない。

待相室の隣の椅子で待っていた70過ぎの男性、一見元気

そうに見えるが家族4人付き添っていた、「今日は判決だな

何といわれようが覚悟は出来ている」にこやかに豪気に

話しているのが聞くともなく聞こえた。

五人で入った診察室から二人残り、その人は出てきた。

笑顔はスッカリ消えていた。私は見ないふりをした。

峠の向こう側を見るまでは覚悟なんぞ出来ない、と思った。

私は自分の体がどの位耐え、どの位頑張っているのか

理解してやれない、それなりに最善を戦ってくれているのだろう。

投薬で様子を見るというから火急ではないのだろう。

まだ覚悟はいらない、それよりも闘う妻に感謝しよう。

私より険しい顔をしている妻に。

2008年10月28日 (火)

夕陽におされて、

    Yuugure くりっく

飛駒の日没、右は飛駒の盟主、多高山(多幸山)と言う人もいる。

夏はこの山の右側に日没する、冬至の頃はもう少し左になる。

日没も冬支度をしているようだ。

ここのところ毎日医者通い、きょうは5時間半かかった、疲れた。

PCを開ける気力もなくブログはパス、と思っていた。

机の前でフッ、と横を見ると夕陽がきれいだったので気が変った。

一日の終わり・・・「なんていう日だったんだ」と言う人

「フム、まぁこんなものかな」と言う人、「充実の一日だった」

と言う人。何にも思わない人もいるかも知れない。

私はどうだ?夕陽のお陰で「なんていう日だったんだ」→

「フム、まぁこんなものかな」と言う所だろうか。

多くの人達は一日の終わりにどう考えるのだろう、あるいは

明日に思いを馳せ、忘れてしまうだろうか?

せっかくの明日のいい日を予感?させるきれいな夕陽、

「まぁ、こんなものかな」と思い、明日に仕切り直し・・しよう。

2008年10月26日 (日)

父さんと母さんは命を懸けて、

      Kamakiri くりっく

もしかして見てあまり、好い気持がしない人がいるかも

しれないが、カマキリのおかあさんだ、実は死んでいる。

一昨日までは、産み付けた卵の側に張り付いていた。

私はカマキリの生態や、その卵の仕組みを知らないが、

泡状のものが表面だけカサカサに硬くなって春先には、

その中から虫眼鏡で見ないと分らないような小さなカマキリが

イッパイ出てくるのを見たことがある。

他の生き物の例と変らず、大人と違ってとても可愛らしい。

もしかしたらカマキリのお母さんは産みつけた卵が

硬くなって安全になるまで見張っていたのかもしれない。

卵の入った殻はおよそ、ウズラの卵大だ。

私の知る限り三日間以上、一ミリも動かず護っていた。

来る年の春の子供達の無事の誕生を願い、時間に託す。

姿は別としてこのお母さんの死に、偉大な尊厳を見たような

気がする、自然はまだまだ美しく生きている。

春の児達の無事の誕生と旅立ちが見えるようだ。

2008年10月24日 (金)

天使の羽、

    Tennsi くりっく 

「こんにちわ~」 んん、なんだ?この天使のような声は?

間髪いれず「おじゃましま~す」臆する風もなく三人の少女が

戸を開けて入ってきた。「本を見せてください」まるで勝手を

知ったる、と云った感じで本を物色し始めた。

「あぁ、はい、どうぞごゆっくっり」精いっぱいの建て直しの

私の対応だ。聞いてみると妻に学校で聞いてきたらしい。

妻は週一回ボランティアで飛駒小に、読み聞かせに

行っている。学校では妻はM先生と呼ばれてるらしい。

「へェ、偉いんだ」私は先生、と聞くと勝手にコウベが垂れる。

私は邪魔をしないように静かに書きかけの手紙を書き続けた。

図書室のエチケットか、たまにヒソヒソ声が聞こえるが

静かな時が流れた。私はとても幸せの気分になった。

妻の【さといも文庫】の初めてのお客さんだった。

30分程すると「ありがとうございました」という、「えっ、もう

帰っちゃうの?」私の失望を感じたのか「来週又来てもいい

ですか?」という。私は又嬉しくなった。

帰ってゆく自転車の少女達の背に小さな羽があった。

「うん、いつでもおいで」目をこすった、天使の羽は錯覚だった。

2008年10月21日 (火)

初めてのパンフレット、

飛駒に【趣味の会】というのがある。

趣味の会、とは大雑把なくくりだがその名のとおり話を聞くと

【趣味の会】と言う名が相応しいようだ。

油彩、水彩、押し花、切絵、陶芸と趣味の万やさんのようだ。

発足して二,三年だろうか、メンバーは二十数人いるようだ。

その会の幹事級のMさんが来た、私も誘われ春の作品展に

出品した、その後Mさんから「秋の作品展の時パンフレットを

初めて作ろうと思うんだけど、作ってくれないか」と言われた。

今日その話で来た、どうやらパソコンを駆使して、と言う

ことらしい、私は尻込みしてその旨伝えると、アッサリと

「あァ、そうですか、じゃ私が適当に纏めてもいいですか?」

最初からそのつもりで、形式の手順を踏んだだけらしい。

中々抜け目がない(いい意味で) 私は花の作品を出すだけで

いいことになった、ほっとした。Mさんは何点かカメラに収めた。

私は「見識も格調も高くないので好きなように加工して

いいですから」と念を押す。どんな形にせよ表紙に使って

もらえるのだから嬉しい。

Mさんも重い病を患い今も闘っている、話の端々に前向きが

うかがえる、心の強い人と話をして今日私は元気を戴いた。

ちなみにMさんは陶芸で力強く繊細な作品を作っている。

2008年10月19日 (日)

一夜で立ち直り、?

きのう朝、八時半出発、県都宇都宮を目指す。

【白峰会】という版画のグループの作品展を見に行った。

行く度に見てくると作品に気おされてガックリして帰ってくる。

でもいつもは家に着くころには立ち直っているのに今回は

ヘトヘトに疲れてしまったようだ、早寝をすべく寝てしまった。

疲れの原因は分っている・・・・

自分自身の力が少し上がっているはずだから見上げる角度が

なだらかになっているのではと想い、望んだら 狭まるどころか、

しぼんだ心にその差がはさらに開いた様に見えた。

「とんだ井の中の蛙だ」と思いながら寝に着いた。

しか~~し、今朝起きたら立ち直っていた・・・てへへっ。

物理的、時間的その他のハンディをものともせず頑張って

いるじゃないか、と思う事にした、それに先生はじめ

色んな人に声をかけてもらい、収穫も沢山あった。

危なく有意義の部分を失うところだった。

今思うに案外立ち直りの早い事を・・?・・知ったのも

大きな収穫だったかもしれない。

ショボクレるのも早いけど・・・・

2008年10月16日 (木)

久しぶりの痛い注射、

チクッ、チクン。  「いって~」私は表情に表さないように

歯を噛みしめた。N病院のアイソトープ室で検査の下準備の

注射をうってもらった。

ホッとしたのも束の間、針を抜くときも又歯を噛みしめた。

ベテランそうな看護師さんだったので安心していたのだが

ゴムバンドを締め血管のところを、こすったり叩いたりしていて

なかなか本題に入らない、不安になった、注射器を手にした時は

私は目をつぶり横を向いた、不安は的中した。

私は元々痛みに弱い人間だ、「注射と苦い薬とどっちにする?」

と言われたら迷わず「苦い薬」と答えるだろう。

でも近頃の若い看護師さんは注射が上手な気がする。

「ちょっとチクッとしますよ」 いった通りチクッとするだけで

注射も採血もあまり痛くない。久しぶりに気合の入る注射を

うたれた。帰り道、「痛かったぁ」と言ったら、妻いわく「私も

危ないと思ったんだよね、あの人老眼で眼鏡があっってないん

だよね血管がよく見えてなかったみたい、お父さんの顔を

見なくても痛いの分ったもの」鋭い観察眼だ。

私は想像した、私の前の人もその又前の人も、後の人も

その又後の人もみんな歯を噛みしめた事だろう。

何かおかしくなった。エキサイティングな注射だった、ははっ。

2008年10月14日 (火)

変身、

   Tuki くりっく    念のため、月です。

久しぶりに昨夜、月を眺めた。 暫らく眺めていたら怪しい心

になった。「もし、この満月を見詰めていて狼男になって、

車椅子を捨てて走り回れたなら、それを叶えてくれる者に

魂を売ってもいいかな」って、もちろん有りえないことだが

もしも変身が叶って無事、狼男になれたらいいが

カフカの小説のように虫に変身してしまったら、かなりまずい。

それでなくても主人公の虫のような生活をしているのだから。

怪しい心に寒気がして(実際、寒くなった)中に引っ込んだ。

私の心は無事だった、へへっ。

私は人と話している最中でもたまに空想の世界に一人で

移動してしまい、何かの異音に目覚める事がある。

月は空想の世界に入りやすい最適の小道具だったようだ。

病気以来、夜空を見る機会が少なくなったが、これから

寒くなるので更に月を見る(変身する)機会もないだろう。

久しぶりの夜空の誘いの小さな冒険の旅だった。

2008年10月12日 (日)

アズキとササゲ、

    Sasage くりっく   ピンボケになってしまった。

「ササゲ」と言うらしい、昨日まで知らなかった。

赤飯に多く使われるらしい、赤飯の豆は「アズキ」だとばかりと

思っていた、アズキは煮ると割れるので割れないササゲが

武家社会の頃から多くなったらしい。(割れる=割腹の意)

きのう妻の友人、書家のUさんが妻の秘密基地を偵察に

きた【訪ねてくれた】。先ごろを頂いたO市の方だ。

私は少し舞い上がってなにやら余計な事をお喋りしすぎた

ような気がして今は反省している。

その時、妻の作った赤飯で昼食を一緒にとった。

ササゲの話になった「えらいねェ自分で作って」しきりに

Uさんは褒める、私はなんの話しかわからないので分っている

ふりして聞いていた、なんせササゲなんて言葉初めてだ。

きょう収穫している妻に聞いてやっと理解した。同時にこの世に

は未知の事まだイッパイ有ると理解した。

きのう、Uさんが帰ってから写真を撮らせてもらおうとしてカメラを

用意してたのに忘れてしまった、私はスッカリ舞い上がっていた

ことも、あらためて理解した。

2008年10月10日 (金)

小夏日和の中で、

    Aki くりっく

昨日は医者がよいのはしごをした、疲れた。

連れ歩く妻はもっと疲れただろう、結果は急を要するものでは

なさそう、という事だった。でも結論ではなく抗生剤で様子見だ。

今日はとても温かい、小夏日和という言葉が欲しい感じだ。

昨日病院から帰った後、妻が試しに掘って来たさといも

母が時間をかけてのんびりと(に見える)皮むきをしている。

なにか母が作業をしている所を見ていると時と言うものが

無限に(当たり前だが)あることを改めて思い知らされる。

言って見れば【悠久の草むしり】だったり【悠久の皮むき】だ。

今夜はケンチン汁になるのだろう、私はケンチン汁が好きだが

猫舌なので少しさめるのを待ってから食べる。

母の【悠久の皮むき】に報いる為に私は【悠久の猫舌】で

じっくり噛みしめ、ゆっくりと味わう事にしよう。

はつもののさといも、今年の出来具合はどんなものだろう。

2008年10月 8日 (水)

トーちゃんカボチャの大活躍

   Kabotya  くりっく

あ,ぁのお、俺カボチャです、・・えっ、言わなくたって見りゃわかる、

それもそうだ、どもすみません、前列左からみっつめの色白の

が俺です、みんなから器量良しと言われます、器量も何も

見分けが着かないって・・へへっまぁまぁ、 実はここの家の

おかみさんが俺のカーちゃんを生ゴミと一緒に畑の隅に

埋めたんだね~、この春のことさね。事の発端は。

埋められたは・・ん、種?・・種って事はカーちゃんと言うより

トーちゃんと云ったほうが適切だな。・・そのトーちゃんが

大活躍、畑のほかの野菜を押しのけ席捲してしまった。

果たして俺の兄弟は三十数人になった。これには、おかみさんも

こまった、でも試しに俺の弟を食ってみたら「いい仕事」を

したらしい、困ったのは旦那だ、味噌汁から始まって煮物、スープ

果てはカレーにも入っていた。でも泣かせるじゃねェか

おくびにも出さねえで「うまいうまい」って食ってるって話だ。

ここの所、旦那のところに来客が結構来てたが、帰りには

強制的に兄弟が持たされていた、客は微妙な顔をしていた。

現在六個までに減った。俺の出番は冬至の日らしい。

「その日にゃァ、俺もいい仕事するぜ、来年は俺が活躍して

俺の子供をたんと増やすべ~」

2008年10月 3日 (金)

里に下りてきたアキアカネ、

   Akatonbo くりっく

蒼穹をバックに赤トンボ、「絵になるなァ」と思うのは

私だけだろうか、今日はことのほかトンボが飛んでいる。

少年の日、「目の前で指をクルクルまわすと目を回すんだ、

目が回って飛べなくなったところを捕まえるんだ」

信じたのは私だけではなかった、みんなトンボの前で指を

クルクル回していた、目を回して飛べなくなったトンボを

見たことはなかった。むしろ、そっと後から近づき、ついっと

羽をつかむほうが確率は高かった。やがて学習した

少年達は指を回さなくなった。

面白い事に下級生達は一生懸命指を回していた。

一定のプロセスを経て学習すると言う摂理があるのかも

知れない、捕獲が難しい事でないと分ると少年達は飽きた。

その後に及んでいたずらにトンボを恐怖させるだけと知ると

トンボとりを卒業したような気がする。

今日の空ぐあいから見るとあまり広くない飛駒の空もきれいな

夕焼けになるだろう、「ゆうや~け、こやけ~の赤トンボ」

赤トンボの歌など歌ったら感傷的になりすぎるので、

それは止めておこう。

2008年10月 1日 (水)

ラーメンに勇気づけられて、

    Ramenn くりっく

きょうも皮膚科に呼ばれたのでリハビリもシフト。

皮膚科のU先生に又脅かされた。「血液検査の結果、炎症反応

の数値がさらに悪くなっています、私の薬が効かないのを見ると

内科、皮膚科ではなく外科的と見ていいでしょう、入院、手術も

有るかも・・・」  実は明日N病院の外科に予約がとってある。

帰り道、二人ともちょっとブルー。

「お父さん、なんか食べていこう」

「うん、たまにはラーメンもいいかな」

帰り道にある商業施設(ハーベスト)の集合食堂のような所。

あまり期待してなかったのだが、久しぶりに美味いラーメンに

当った、かなり美味かった。ブルーの気分が少し和らぐ。

「明日は明日さ」・・今が良けりゃいいじゃないか、てな気分。

人間、美味いものを食べると気が大きくなるのかな・・。

美味い酒を飲んだ酔っ払いの気分が分るようだ。

あすの診察、いい気はしないが、ラーメン一杯で

「矢でも鉄砲でも持って来い」安いねェ、

このラーメンの余韻どのくらいもつんだろう。

2008年9月29日 (月)

遠方よりの友人達の訪問。

今日、午前中元気に・・?・リハビリに行ってきた。

ただし2クールを1クールに控えてもらった、何故かって?

一昨日、栃木県市貝町からカンヤ親分率いるカンヤ一家の

殴り込みを・・・違う、ちがう、訪問を受けた(総勢4名)

一緒に食事をして我が家でもお話をして、楽しい時を過した。

帰りの遠路を思うと名残惜しくも引きとめも、ままならない。

惜別の見送りをした。  見送りをして部屋に戻って妻に

「日差しが強いのか、顔が熱くなった」というと「あれっ」っと

額に手を当て、体温計をよこす、38,2度、数字を見たら

急に身体が重だるくなった。余ほど訪問に興奮していたの

だろう、なんともないと思っていたのに。

今度はベッドで氷枕とヒエピタが話し相手になった。

昨日も一日長いお話になった(氷枕とヒエピタと)

今日はもう大丈夫【多分】。

   ===================

カンヤさんと会って   (初対面)

別れ際、カンヤさんと握手をした、右半身が不自由なので

左手で、思いのほか強い力だった、その時私は「あァ、この

手がカンヤさんの生活の全てを支えているんだな」と思ったら

鼻の奥がツンッと痛くなった。「左手君今後もカンヤさんを

宜しくね」と祈った。  カンヤさんはそのままの人だった

声も顔も話も、まるで古くからの知己のようだった。

Wさんと会って    (初対面)

初めて顔を見たときイメージと違うな、と思った。

かって、国家権力で人々を護る職場にいた、と言う先入観から

険しさを想像していたのだが、その何と柔和な笑顔、私は

一目で魅入られた、だまって座っているだけで、の存在感。

しかしWさんも重い病気と闘っている、笑顔はそれをのり越え

てのものだろうか、精神力がそれを作っているのだろうか。

でも、まぎれもない笑顔だった。

Hさんと会って    (初対面、女性)

Hさんもイメージと違った、引きこもりがちと聞いていたので

暗い人(ゴメン)と思っていたらユーモアを解し、明るく

目のパッチリしたチャーミングな人だった、Hさんが杖をつき

(やはり半身が不自由)慎重に歩を進める姿を見て「歩ける、

と言う事はなんて素晴しいだろう、羨ましい」と思ってしまった。

いつか、歩く喜びを見出してくれたら、と願う・・・

Sさんと会って     (初対面)

Sさんには脈絡が何もないので予備知識ゼロだった。

明るく全く屈託を感じさせない人だった、Sさんも障害を

持っているのに、座って話だけしてたらそういう人には

到底、見えない。私も自然に屈託なく人と接する事が

できたら、と強く思った、楽しい人だった。 

2008年9月25日 (木)

突然あられが降ってきた。

いきなりだが、私のお尻には床ずれと言うのがある。

これが中々厄介なものでソロソロ三ヶ月になる。

少しずつ改善はされているらしい、きのうその診察日だった。

皮膚科の診察は水曜の午後だけなのでそれを基準に

リハビリもシフトされる、診察のまえ、先生と看護師さんが

カルテを見ながらなにやらひそひそ、「実は今朝採血して

もらった結果が来てまして炎症反応の数値が・・・」

それから「熱はないか」「頭痛は」「かゆい所は、痛いところは」

いろいろ先生に聞かれるが何も思い当たらない。

「抗生剤を飲んで一週間様子を見ましょう」と言う事になった。

私も妻も炎症反応と聞くと気持が穏かではいられない。

私の脊髄の病気の時、N病院で毎朝採血をしてその数値を

主治医の整形のY先生はとても気にしていた。

今回の数値はその時の約半分なので【危険】と言うほどでは

ないと思うが、皮膚科のU先生の深刻そうな顔が気になる。

「来週、内科受診予定ですが、明日見てもらってください」

今日内科に行ってきた、内科のS先生はオットリしている。

「ふんふん、じゃ来週まで様子見ましょう」ちっとも深刻じゃない。

も少し手ごたえのある回答かと気合を入れたのに、カクッ。

気が抜けたけど、気が楽になった。

来週の今頃はもっと気が楽になれたらいいなァ。

2008年9月23日 (火)

ほたる橋、やっては見たけれど。

     Hotaru くりっく

作品展に出す【ほたる橋】のためし摺りが昨日終った。

ためし摺りはもったいなくて和紙が使えないので

いつも画用紙で摺っている。(写真は画用紙)

今日は本番で和紙で摺っている、何とか今日中に終りそうだ。

和紙はいろいろと手続きが煩瑣だ、車椅子の私には辛い。

でも何とか終りそうなので、ちょっと安心(それほどのモンじゃないが)

あす、額縁やさんに持っていって入れてもらい、その足で

担当のMさんに届けると金曜日搬入だ。

ぎりぎり綱渡りの感じ、もっと簡単に終るつもりだったのに。

本当は何かが足りない感じがしているのだが、肝心の

その何かが分らない、もっと学習すればその何かが見えて来る

のだろうか? でも、もう時間がないのでこのままほおかむりだ。

恥をかけば次の一段が見えてくるかもしれない。

もしかしたら、こけて立ち上がれないかもしれない。

どっちにしても、始めての挑戦だ、力む事はない。

もし、余ほど暇をもてあました人は佐野文化会館までお越しを、

9月27~28日です。  笑いに来てやってください。

2008年9月21日 (日)

木の橋の向こう岸(彼岸)

   Hasi くりっく

もう、お彼岸がきた。(又言っちゃった)

妻と妹達は墓参りに行ったが、雨の心配が有ったので

私と母は留守番をしていた。(私は行っても墓の前には行けないが)

帰ってきた妹達は「雨、大丈夫そうだから散歩行こうよ」という。

ちょっと長めの散歩になるが、飛駒最奥とその手前の町内の

境辺りに行こうと言う事になった。飛駒生まれの彼女たちも

来た事がないという、橋に差し掛かった、近頃珍しい木の橋だ。

私は健常のころ何遍も来ているし、ちょっと前にも一人で

来て渡っているので「大丈夫」と言ったのだがみんな

ビビっている、一部が腐っているので落ちるのでは、と渡らない。

誰か一人試しに渡れ、と言う話になった。

私はニヤニヤ見ていた、末妹のKさんが毒見役になった。

及び腰の微速前進だ、無事通過、ガッツポーズをする。

次に私が渡って見せたらみんな安心して渡ってきた。

改めて振り返るとかなり怪しい感じもする、いつ壊れても

おかしくなさそうだ。築何年経っているか分らないが、ソロソロ

怪しそうだ。もう渡るのはやめた方がいいかも知れない。

利用価値と頻度の問題だが、個人的にはもう一度、木の橋が

架け替えられたら・・・と秘かに思った。

「この木の橋は何となく、捨てがたい」もう一度振り返って思った。

2008年9月18日 (木)

ヤブガラシのヤブヘビ、

 Turu くりっく 平たいのが(葛の葉)刺々しいのが(やぶがらし)

午前中A病院でリハビリをしてきた。

S先生「あれ、なんかやった?やに身体が硬いよ」

考えても特に思い当たらない、強いて言えば「車で長時間

ドライブをしたこと、日曜日草刈の手伝いで(ヤブガラシ)を

退治した事ぐらいかなァ」と私。

「なんだい、ヤブガラシって?」街に住む人は知らないらしい。

「繁殖力の強い蔓の寄生植物で、樹やヤブを枯らしてしまう、

それが梅ノ木にからんでいたので、根を引き抜いて枝から蔓を

引き下ろしたんです、沢山」 私は褒められる事をした児の

様に胸を張った。 「それらしいな、原因は」と言いながら

S先生は褒めてくれなかった。

「両手で力を使うと体幹保持のため腹筋と背筋の負荷が

大きくなり無理があるので、ほどほどにしないと」と

たしなめられた。でも「たまにゃ、刺激になっていいか」とも

昨日辺りからやに身体が重いな、と感じていたのだが

原因が判って少し気が楽になる。

少しでも貢献したいと言う気持が、勇み足になってしまった。

こういうのも(ヤブガラシ)ならぬ(ヤブヘビ)というのかな。

2008年9月16日 (火)

雲の上の車椅子乗り、

   Ropu くりっく  ロープウェーちょっと怖かった。

「お父さん、乗れるんだって、行くよ!」「へ~それは凄いことに

なったなァ」日光白根山の群馬県側(丸沼スキー場)にある

ロープウェー乗り場「無理だろう、車椅子が乗る訳がない」私は

絶対無理と思っていた、それが乗れるとは、ちょっと鳥肌・・・

きのう朝8時出発、めざすは栃木県奥日光、戦場ヶ原が有名。

私は戦場ヶ原を衛兵のように囲む男体山、白根山、太郎山など

おおむね歩きつくしていた。それらの山々を眺め懐かしかった、

でも、それだけだった。現地に行けば何か楽しむ方策がある

のでは、と漠然と思っていた、勇んで来てみたが、さすが山では

車椅子は通用しない。分っていたんだが・・・・

「峠を越えて、ドイツ村というところへ行ってみようか」

燃えきらない気分を感じたのか、妻が提案「うん、そうするか・」

峠を越えたら延々と続くロープウェーが見えた、「のってみる?」

「むりむり」と私。結果、妻の根性勝、係りの人は慣れていた。

一気に標高2000米へ私にとってはとんでもないサプライズだ。

思い出の白根山が指呼の間にあった、見飽きなかった。

私は雲上の気圧に満足した「かーちゃん、でかした」

帰りはもう、何処にも寄る気がなくなっていた。

2008年9月14日 (日)

おォ、もうそんな時期なのか、

    Myouga くりっく

  【桐ひとは 落ちて天下の 秋を知る】

こよみから時節を知るのではなく自然の営みを目にして

あわてて「あァ,もうそんな時期なのか」こよみにおいてけぼり

食いそうになる、若い頃と違ってそういうケースがふえてきた。

忙しい訳ではないのに、ついつい失念することが多くなった。

待ち遠しい事がなくなった所為だろうか?

草刈をしていた妻が採ってきた秋ミョウガ、花が開いている。

特に待ちわびている訳ではないので、たまたま見つけるという

感じだ、とくにミョウガは草を掻き分けないと目に入らない。

ピークを一週間ほど過ぎたようだ。

ミョウガのお陰で分っている筈の中秋を改めて感じた。

その後、思わず空を見た、まさしく秋空だった。

「まてまて、まてよ」三日前リハビリの帰り、見事なススキの

穂を見て中秋を感じたばかりだ。

改めて感じるのではなく、感じた事を忘れてるんだ。

「さァどうする」慌てふためくか、このまま放っておいて

感じる回数の増えたことを喜ぶか。

あしたも又、なにかをもって中秋を感じるのだろうか。

「おお!もうそんな時期か」・・なさけなや・・・・

2008年9月10日 (水)

私は客観的に・・君とは違う、

私は夜ベッドに入るとテレビを見る習慣がある。

余り頭を使わなくて済む様なものを見る、でも週のうち2~3日は

見るものがない事がある、そういう時は頭を使わない本を読む。

一昨日から読み始めた松本清張の【砂の器】35年前のものだ。

多分3回目だろう、映画を見て原作を読みたくなったと言う

自分でも例がないケースの本だ。

導入部を過ぎた頃、登場人物の作曲家の和賀英良が

「・・・ただ、僕はいつも自分を外において眺めている性質さ、

これは性分だから・・・」・・ん、・・どっかで聴いたような?

「あァ、福田総理と同じだ」・・なるほどな~いつの世にも

客観冷静な人はいるものだ、本をそっちのけで感心した。

ただ本の中の人は「君とは違う」なんて青筋は立ててない。

私はどうだろう?人の事は冷静に分析したり(??)するが

いざ、自分の事となるとこんがらがった糸のように

訳が分らなくなるような気がする。

その証拠に(後悔と反省)が数限りなく思い起こされる。

それでも今日まで生きてこられたんだから、世の中

総じてそんなに問題はないのだろう。

「どっちに転んでも大した事はない」と結論・・・・「う~ん」

近頃、自分はどうも投げやり傾向ではないだろうか、

客観的に冷静に分析してみた。

2008年9月 8日 (月)

栄枯盛衰の旅、

    Isigaki_2 くりっく

昨日上天気、妻は畑にいそしむ、仕方ないので電動椅子に

乗せてもらい、お散歩の単独行を決意。それほどのものじゃないが、

約二時間の冒険だった、北へ北へと向う、私が病気に

なる前は愛犬と散歩しなれた道だ。

十年ほど前、写真の辺でこの近所の翁と出会う。

傾きかけた母屋、はなれ、納屋、蔵、大きな石で囲った池。

当時、私の素人目にも贅が尽くされているな、と見えた。

その時、翁に聞いた「なんで、この家は空き家に?」

「昔ここは、大そうな金持ちだったんだ、絶えてしまったが、

まだ三十年ばかしだ、凄い家だったんだが」

あれから十年、木や竹や草にスッカリ飲み込まれてしまった。

覗いてみたが何もかも崩れ落ちたようだ、夏草の中に

当時のこの屋の栄華が見えるようだ。

通り過ぎて、何か後ろ髪を(ないけど)ひかれ写真に収めた。

【栄枯盛衰】【夢のあと】【無常】なんてフレーズが頭を横切る。

絶えて半世紀もすると、かっての住人もたたずまいも

過去の土になってしまうんだな、と思ったら歎息ともつかない

ものが「ふ~~」と出た

散歩と言う、短い旅の一コマとすべく、孤独の旅を続けた。

2008年9月 5日 (金)

Uさんからの贈り物、

   Yume  くりっく

先日、妻のところへ妻の友人の O市のUさんから

小包が届いた、Uさんが書いてくれた【書】だった。

「図書室に飾って」と言われたが、壁に据えたら図書室が

位負けしてしまった。 あたりを圧倒している。

Uさんは新聞社の書道展に何度も入選している高名な書家だ。

私も以前毛筆の手紙を戴いた、私にとって宝物なので

大事にしまってある。

書は「ゆめもなく おそれもなく」とある。

Uさんが妻に「この中から選んで」と言われ、この文字を

選択したそうな。迷わず「これっ」っと思ったらしい。

「お父さんにぴったりでしょ」別に揶揄の意味でなくすなおに

選んだのだろう、「ハハっ本当だ」私もすなおにそう思った。

特に、夢も野心もないから、人を恐れる事もないし、

天に背く事もないから自分の心にも権力にも怖れはない。

この歳と身体であれば明日その日が来ようとも、従容する

だろう。妻のものだが私はこの「夢もなく 怖れもなく」の

書がとても気に入った。私にも幾ばくかの夢や望という

よすがはある。それを差し置いてもこれから毎日幾度となく

見るだろう、小さくうなずきながら。

Uさん、有り難うございました。

2008年9月 3日 (水)

悪魔のささやき、

今日は午後、皮膚科(水曜午後のみ)にかかるので、

リハビリも変更してもらった、(いつもは月、木)でも

リハビリが終った後時間が余るので食事と買い物に

近くの商業施設にいってきた。私は材料をみたいので

(シナベニヤという版木材)木工の方へ妻とは別に行ってみた。

途中、通路に異物が落ちているのが目に入る。

近づいてみると、何とお金がむき出しで落ちている!!!

多分五千円一枚、千円二枚。

瞬時に頭の中が悪魔と天使の戦いの場となった。

周りに人影がない、やや悪魔が優勢だ。・・・と其処へ

店の人が通りかかる、ドキっ、でもまだ悪い事はしていない。

「あの~、お金が」と言うと「ハイっ」と拾って私に手渡す。

天使が悪魔をおさえる、「いや、落ちていたので」と渡し返す。

店の人「う~ん、じゃサービスカウンターに預かってもらいま

しょう」と歩き出す。そこへ若い男の人「お金を落しちゃったん

ですが」と言う。心臓がどっき~~ん、私は(まだ)悪い事して

ないのに、心臓が止まるかと思った。 確認の後「この人が」

と店の人、「あァどうもすみません、ありがとうございました」と。

一件落着だ「あァよかった」・・・・・「アッお礼の一割の七百円」

振り返るともうレジで支払いをしている、「まっいいか」

安堵感の影でまだ悪魔が小さい声でぶつぶつ言っている。

「だから、ダメなんだ」と。

2008年9月 1日 (月)

三回忌の法要、

きのう、亡き父の三回忌だった。

つつがなく、済ますことができた、極々内輪の法事とした。

生者は亡き人の冥福を祈り、死者は残された者を見守る。

言って見ればエール交換のようなものだ。

そして法事は【惜別の駅】だろうか。いくつ通り過ぎると

想いが薄れたり、笑いが起きたりするだろう?。

人によっては、なお増し引きずる場合もあるだろう。

我家はどうだろう?、(薄れる)と言うくくりは出来ないかも

知れないが、笑いが起きていた、多分ある域に達したのだろう。

涙はなかった、それぞれ一区切りの想いかも知れない。

母にも笑いが(寂しげだが)あった。区切りがついたのかも。

とにかく無事に終った。三々五々の者達を父が見守る事を

願わくば思う。 次の駅の頃には・・・・。

2008年8月29日 (金)

グッド、チョイス

   Tukue くりっく    送られてきた机といす。

きのう夕方、運送屋さんが大きな荷物を三個運んで来てくれた。

娘の旦那のSさんが「ネットで買ったからその内届く」との事。

「どんなのが?」期待は自分のイメージでどんどん広がる。

ちょうど帰ってきた息子に開封、組み立てをしてもらう。

「ちょっとデカイかな?」仕上がってみるとやはり大きめ。

妻と買おうと思っていたのは机がこの半分ぐらいで、

折りたたみのコンパクトな椅子三個ぐらいで充分、と話していた。

明らかに大きい、「使用者の意向を聞いてほしかった」と

内心思う、妻も微妙、しかも椅子四個、私の行動範囲が・・・

あす法事の為、娘家族が来る、間違っても本音は言えない。

「デザインと言い、色と言い、サイズと言い、グッドチョイスだね、

さすがSさんいいセンスしてるね」私は一点の曇りもないような

顔をして明日、言い放つだろう。

すると、娘は左手で(私も娘も左利き)ピストルの形を作り

私を指し「でしょ、でしょ!」一点の疑念も抱かずに言うだろう。

平和はこうして守られる。

なに、ちょっと我慢してれば、すぐ慣れるだろう・・・。

2008年8月25日 (月)

ひよどりの母親は、

     Hiyodoriくりっく   ひよどり

我家の裏庭に毎年枯れては生えるヨウシュノヤマゴボウ。

今のところ私は名前だけしか知らない。

毎年4~5本生えるが7月末あたり1本残しできってしまう。

今年は1本しか生えなかった、その所為か大きな木のように

育ってしまった。この草に葡萄じょうの実が垂れ下がる頃

決まって、このヒヨドリの雛達が母親につれられて訪れる。

食べごろは後半月ほどして、実が黒く熟す頃なのだが

多分予習を兼ねて来るのだろう、まだ母親から口移しに

食べさせてもらっている。

体格は立派だが羽ばたきも枝移りも覚束ない。

頼りなさそうに「ぴ~ぴ~」とはかなげな可愛い声だ。

幼子の鳴き声は動物も鳥類もみんな可愛い。

きっと、色んな母親達はこの幼子の声々を聞くと

母性を刺激されて、放っとけないのだろう。

雛達はこのヨウシュノヤマゴボウの黒く熟した実を

食べ終わる頃、一丁前になり勝手に自分で大きく

なったような顔をして自立を果たす。人間と同じだ、

ただ人間の親は親孝行を求める、自然界の親は求めない。

むしろ突き放す。人の親は怖くて突き放せない。

自然界の親の方がどうやら【潔い】のかもしれない。

2008年8月23日 (土)

アンニュイ、

ここの所、天気が優れず送り盆の16日を最後に

すっかり中秋の陽気になってしまった。

人は勝手なものであの暑さが懐かしい、と感じる。

何となく気分が乗らなくて窓の外をボンヤリ見ていた。

今日は窓を開けると冷気を感じるので窓は閉めてある。

ボンヤリ外を見ながらボンヤリ考える。

「結局人間なんてのは、えらそうな事をいったりえらそうな風を

装っても大地と大気の間を蠢いて生かされているだけなんだな」

こういう思考のときは心がいい状態ではないのだろう。

原因は分っている、妻に「市の作品展に応募したら」

言われたのは半月前、「うん、やってみるかな」そして

【ほたる橋】につながる、しかしどうもうまくいかない、期限は

一ヶ月とすこし、どうもこいつが重くのしかかっているらしい。

「なにも、参加しなくたっていいんだしな」ドロップスを口に

入れる、甘さが口に広がる、「もう少し、からかってみるか」

脳に糖分が足りないのかな?などと考える。

もう一個・・「いや、だめだ糖尿の方がやばい」

きょうは思考停止・・・明日だ、一晩寝たら何とかなるだろう。

明日までまだ大分時間がある、が思考停止、だ。

2008年8月21日 (木)

ブロードウェーのスターに、

「ずいぶん、静かになっちゃったね」と私。

「ほんと、静かだねェ」と母。 母と二人だけの静かな会話。

今朝娘とメーシャは妻と一緒に東京に帰って行った。

東京で何かを一緒に見るらしい、二人だけだと恐ろしく静かだ。

きのう夕方私はCDを聞きながら手作業をしていた。

何か後の方で気配がするのでソっと振り返るとCDの音楽に

あわせてメーシャが身体全身で踊っている・・・?

聞いていたのは60年代のポップス。

車椅子の向きを変えて見ているとエイトビートにもバラードにも

ちゃんと対応している、私が手拍子を打つと真似して打つ、

それが見事に同調している。 「天才か?」(注、ジジばか)

そういえば、おとといは意味不明の歌を歌っていた。

なにやら怪しげだけど、すごくいい歌のような・・・??

「もしかして、歌って踊れるライザ,ミネリのようなミュージカルの

スターに・・・?」 (注、ここまでくると、ばかジジばか)

一番乗ったのは(プリティーウーマン)(ミスターポストマン)

ついにCD一枚分踊りきった。ブロードウェーで通用するかも!!

こんな事があったから、さらに淋しい気分、でも10日後には

亡き父の法事で又会える、今度はクラシックか演歌でも。

八代亜紀さんか後藤みどりさんのようになるかも。

バカだねェ、ほんとにバカだねェ。 「わかってます」

2008年8月19日 (火)

水遊び、

    Puru_2くりっく  Mizugi くりっく

絵は孫娘メーシャの為にしつらえたビニールプールと水着。

スッカリ気に入ったのはいいのだが昨日今日と涼しい。

ところが誰の血を引いたのか真に強情だ。(私には分っているが)

入ると言い出したら聞かない、唇がむらさきっぽくなっても

出ない、一時間ほどガンバってやっと出た。

子供は楽しい事には目もくらんでしまうらしい。

この強情さが後々いいことにつながり結んでくれればと

ジジイとしてはひそかに願うのだが、見ているとどうやら

母親をてこずらせる娘になりそうな感じがする。

私は自身を親にとって手のかからなかった子供だったと

自負するが、そんなことは分ったものじゃない、でも

子供にとっては本人の人生だ、どのように成るのか、いずれ

選択肢も主導権もしっかり握るときがくるだろう。

強情であれ優柔不断であれ、どちらも立派な人生だ。

いまメーシャの水着は知るや知らずや自由に風と

たわむれ舞っている。

2008年8月17日 (日)

送り盆の後に、

きのう、送り盆でみんなが来てにぎやかだった。

一番暑い時間にお墓に行って、三々五々帰って行った。

いつもなら今日当り、母と二人で急の寂しさを味わうのだが

今日は娘もいるメーシャもいるそしてO市に暮らす次男の

ハネッカエリもいる、子供三人のオールキャストで

一つ屋根の下で過すなんて何年ぶりだろう、

世間では当たり前かも知れないが我家では本当に久しぶり。

だからといってどうって事はないのだが、嬉しいただ嬉しい。

次男は夜には帰るらしいがこうして集まるだけで、なんかいい。

無愛想でとっつきの悪い次男もメーシャにだけは叔父の

自覚を持っているのか、姪のメーシャにだけは優しく話す。

それも嬉しい、夏の(終わりの始まり)のころに楽しく過せた。

先祖や故人のお陰だ。 私にはいい盂蘭盆会だった。

【注・メーシャは孫娘】

2008年8月15日 (金)

サクマのドロップ、

      Doroppu くりっく

買い物から帰った妻「お父さんの好きそうなのがあったから

買って来た」目の前に突き出したのが【サクマのドロップ】

「う~ん、別に好きって訳じゃないけど・・」曖昧に答える。

「タイミングを計って買って来たの?」

「そういう訳じゃないけど」と妻。

折りしも野坂昭如さんの原作【火垂るの墓】の映画の上映が

始まったらしい、まだ見てはいないがこのドロップが重要な

役を演ずるはずだ。

ある年代以上の人なら大抵の人がこいつの厄介になっている。

私もたまにであったが、へこんだ缶をポケットにつっこんで

カラカラ鳴らしながら遊んでいた覚えがある。

見ていたら、ほろ苦さや甘酸っぱさが気持をかすめる。

食べてみた、昔に比べると少しなめやすくなっている様な気が

する。単に昔懐かしいでは済まされないなんともいえない

気持が去来した、感傷や色んな思いはあるがこれ以上は

言っても仕様がないし、うまくは言えない。

今私の口に三個目のドロップが放り込まれた。

思いの外、この懐かしい缶が空っぽになる日は

遠くないかもしれない。

2008年8月12日 (火)

日本人に取っての八月、

私がこの病気になってから三年半、以来物事の不自由さは

段々なれてきた(押し込めた)が、心の変化も見えてきた。

健常者の頃、私は夏はノーテンキに山などに登り、原爆や

終戦記念日には分った風に黙とうをし、人並みにお盆の行事を

こなした。病気以来私にとって八月は辛く重い月になった。

それはそれらを今までどうりに行なえなくなった事ではなく、

病気のお陰で情報が豊富に入ってきた為に特にこの八月は

日本人に取って重い月に見えてきた。日本人だけではない、

アジアの国々を巻き込んだあの戦争は傷いえぬ人たちが

今も多く各国にいる。

先日【佐野九条の会】(憲法九条の不戦を守る会)主催の

普天間かおりさんのコンサートに行ってきた。

沖縄の出身で彼女も不戦の運動をしているらしい。

若いのに(年齢不詳)歌の合間に沖縄の戦の話などをした。

沖縄の人の当時の「日本とその帰属」への思いなど

思いの外詳しくしかも明るく話し聞かせていた、でもうしろを

振り向き涙をふいたりもしていた。

私にとってはさらに重い八月になった。

今日の八月の焼け付くような日差しはさらにその思いを

際立たせるように明るくけだるい。

2008年8月10日 (日)

ほたる橋、

    Hotaru くりっく    ほたる橋 周辺

私の家から2KMほど離れた所にほたる橋という橋がある。

今考えるに【ほたる橋】と言う名は本名だろうか?。

今日一人でちょっと冒険、ほたる橋をスケッチに行ってきた。

今はどうか分らないが私が飛駒に来た25年ほど前は

夜、仕事の帰りこの橋の辺に車を停めると(枕草子)よろしく

「ほたるの多く飛びちがいたる・・・・」と云った感じだった。

時期になると時々車を停めたものだった。(故に本名だろう)

そのほたる橋をスケッチしようとしたら、景気のいい頃の

河川の改修の後、不景気の為、管理しきれず草ぼうぼうに

なってしまった。川だか原っぱだか分らないようだ。

折角の冒険も不発に終ってしまった。

カメラに何枚か収めてきたから、それから昔のイメージと

混ぜて空想のほたる橋をかいてみよう、どっち道、私の

スケッチなんてうまく書けた試しがないのだから問題ない、

それより今日は多くの知った顔に会った。

色々話をした、冒険の成果はそっちにスッカリ食われて

しまった、畑に魂を奪われた妻のお陰で、

私の孤独の冒険の旅は回数が増えそうだ。

2008年8月 8日 (金)

(い)抜き言葉、

昨日朝、吐き気とめまいがして一日寝ていた。

夕方にはスッカリよくなったようだ。

夕飯時、息子が帰ってきて「あっつゥ」と言う、近頃の人は

語尾の(い)を抜いた言葉をよく使うようだ。

「あつッ」とか「うまッ」とか「はやッ」「まづッ」など色々ある。

別に正しい日本語の啓蒙を等と言うつもりはない。

もちろん私も聞き苦しい、と思う近頃の言葉はある、

が、それは措いといて、私も秘かに(い抜き言葉)つかう。

いつか姪のHさんが来た時それを使っていたのを真似してみた。

「うまっ」言葉に出してみたら真に歯切れがいい、

それに表現がうまく強調される。

料理を作った人が聞いたら、きっと悪い気がしないに違いない。

恥かしいので人には聞かれてない筈だが、いつか声に出して

見ようと思う、理想は無意識に出ているのが望ましいのだが。

今日の暑さで私は無意識に「あつっ」っと声に出している。

この場合は状況は何も変らない。

むしろ 「あつっ、あつっ」と強調する分余計暑い気がしてくる。

(い抜き言葉)は褒め言葉に威力を発揮しそうだ。

いつ試してみようか、無意識が望ましいのだが。

2008年8月 6日 (水)

アブ考、

    Abu くりっく

バシッ!、

「いて~」私は思わず声を上げた、別に痛いわけではない。

視覚が声を上げさせたのだ、次の瞬間[ビシャッ]・・・?

血が飛び散り、私の靴下に血が残り妻の持つハエタタキに

いっぱい血がついていた、二人とも眼をみはった。

夕飯の後、歯を磨こうとテーブルから離れたら、アブが

足に食いついていた、「おっ」っと言ったら反射的に

妻はハエタタキでアブをはたいていた。

私はかってアブをはたいて血が出たなんて見たことがない。

それがこんなに大量の血を吸っていたなんて、

私は心が暗く重くなった。

自分ではスッカリ理解してたつもりが、改めて突きつけられた。

自分の下半身には感覚がないのだという現実。

何処へも何へも転嫁のしようのない、自分の心の鎮まるのを

待つしかない事柄だ。

今朝、靴下を履くとき足の親指の付け根が青黒く内出血を

しているのを見た、静脈のところだった、私の鎮まりかけた

心が又泡立った。一日心を鎮める日になった。

2008年8月 4日 (月)

カサブランカ、

    Yuriくりっく

10日ほどまえ、ゆりが咲き出した、その時は二本あった

のだが、今はなぜか1本しかない、その時母と話した。

「何であんな所に山百合が出てきたんだろう?」

「うん、なんでかねェ、どっかから種が飛んできたのかねェ?」

ウ~ン、・・・・タンポポじゃないからどっかから飛んでくるって

言うのはナ~。 何にせよここに山百合が増えたらうれしい。

私の子供の頃、山百合は当たり前のように何処でも咲いた。

川遊びの帰り、ゆりの花弁の根元の蜜をよくなめた、甘くて

川からの坂道に力がついたような気がしたものだ。

幼い頃の回想も悪くないものだ。

今朝、リハビリに行くとき「山百合も終わりだなァ」といったら

「山百合なんて何処に?」と妻「あれだよ」と私は指差した。

「ばかね、おとうさんは」と妻。彼女は勝ち誇った時、必ず

頭に「ばかね」をつける、よほど、おりこうと思っているらしい。

「あれは(カサブランカ)よ、どう見たって見間違いようがない

でしょう」 私の回想録はガラガラくずれた、「くそっ、カサブ

ランカだかモロッコだか知らないが俺にはどっちでもいい」

男のロマンをちっとは斟酌してくれよ。

去年ここへ妻が球根を植えたらしい、とどめを刺された。

私は思った「誰が何といおうとあれは断じてカサブランカなど

ではない、山百合だ、うん、まちがいなく山百合だ。」

2008年8月 1日 (金)

暑中お見舞い、

Syotyuu  くりっく 飛駒の原風景   暑い!、大丈夫?。

きのう、我家にもこの時代に信じられがたくも初めてエアコンが

入った。さっき、昼に母に聞いた。「暑くない?」「少し暑いかな」

「じゃ、エアコン入れてみよう」母は卓の上のリモコンの

ボタンを押す、はいらない「そうじゃなくて、リモコンをエアコンに

向けて押さなきゃ」母は言われたとおりにする、今度は入った。

日頃テレビのリモコンしかいじった事がないので勝手違いだ。

「あァ、涼しいね」当たり前だがきわめて新鮮な感想だ。

これでこの夏、母は涼やかに過せるだろう。

一時頃、郵便やさんが来た。 縁側に出た母「おおっ、外は

暑いね」私は可笑しくなった、・・・『これでやっと一丁前だな』

母と二人の現代では、嘘のような本当の話。

ちなみに我家のこたつは掘りゴタツにまだ炭をつかっている。

この冬の木炭の運命や・・いかに。

2008年7月30日 (水)

図書室ができた・・・けど、

    Tosyositu くりっく

大きな胸を張っていえるほどではないが、図書室が出来た。

昨日大工さんは遅くまで仕事をして、仕上げて「片付けは後で

来ますから」といいおき、今日から次の現場へいったようだ。

妻は仕事の都合上、学校の夏休み時期は忙しい。

少ない時間で、少しずつ本の搬入がはじまった。

棚に本が乗るとそれらしくなってきた。

安物でいいからテーブルとイスくらい有った方がよさそうだ。

大工さんの帰る時の一言「ものがみんな上がったので

見積もりよりも少し・・・」に妻はすっかりビビってしまった。

テーブルとイスはりんご箱とみかん箱に気を盛ったぐらいの

ものになりそうだ。なんだっていい、本たちが安住の地に

収まればいいのだから。 ただし妻の頭の中は出来上がった

喜びと支払いの不安に濁流のようになっているだろう。

さて、後日の大工さんの請求書やいかに。

落ち込むか舞い上がるか、私も心配だ。

頼んだ去年の秋は、原油高や物価高はなかったのに、

ちょっと・・いや、大分想定外だ。明日から五分粥に・・・・。

2008年7月28日 (月)

似ている顔、

妻とその妹の三女N子さんは人から良く似ているといわれる。

昨日も妹達が来てくれていた。4ヶ月ぶりくらいに隣接の

足利市から友人のIさんが美しい奥さんを伴って遊びに

来てくれた、そして妻に会う前にNさんと顔を合わせた。

「こんにちわ」とIさん「こんにちわ、はじめまして」とN子さん、

次の言葉をつなごうとしていたIさん「はじめまして」に出鼻を

くじかれ、【きょとん】と複雑な顔、「念のため、これはカミさん

じゃなく妹です」と私は説明した、妻とは何回となくいき会って

いたIさん、本当にビックリしたらしい。

見慣れている私にとっては似ているとは思わないが、

たまにしか見ない人にとっては同じ分類に入るのだろう。

私の入院中もN子さんに向って見舞いの言葉を述べる

見舞いの人は少なくなかった。

もちろん私は今まで一度も間違えた事はないし、間違えた

ふりをしたこともない、(あったら問題だ)

その位なのに、遊びに来てくれたIさん帰るまでなにやら

落ち着かなかったようだ、【私の二人の妻に】は、はっ。

次に来てくれる時は同じような事態になっても、今度は

大丈夫だろう、ショックが教訓となってくれるだろう。

帰りのIさんのあしどり、浮き足立って見えた。

2008年7月25日 (金)

やすいウナギ、

    Unagi くりっく

ここの所の暑さは尋常ではない、

昨日立てた誓いが早くも崩れそうになった。

昨日夕飯にウナギが出た、妻の勤め先でウナギ屋の娘が居て

何となく毎年買わされるのだが、去年までは千円だったものが

今年は千三百円とか(原油のせい?又は中国産廃棄のあおり)

その時、食べながら私は固く誓った、「こんな高いものを

食ったンだからこの夏はどんなに暑くても弱音を吐くまい」 と。

我家は自慢じゃないけどエアコンがない、(今月中に付く予定)

図書室の為、大工さんが頑張っているのに「暑くて参ったねェ」

と言いそうになった。昨日の今日でこんな志の弱い事でどうする

私は自分を戒めた。 それにしてもウナギを思い浮かべると

暑さを乗り切れそうな気分になるのが不思議だ。

この夏、これから何遍あたまにウナギを思い浮かべる事に

なるのだろう。一回食べただけで3~40回思い出されては

さぞや、ウナギ屋さんもたまらないだろう。

千三百円はかなり安いものに思えてきた。

2008年7月23日 (水)

プレリュード【雨だれ】

7月8日夕方、ポツン,ポツン、と雨が降りだした。

あわただしく屋根の上でヴァイオリン・・じゃなくて板金やさんが

シートをかけている、図書室の建て増しのジョイント部を雨から

守る為だ。しばらくして雨はシトシトからザーザーになった。

後の方から雨だれが聞こえる、ショパンやジーンケリーを

連想する【古くてゴメン】 たまには雨だれもいいものだ、・・・・

でも何となく音が近いような、「何か家の中みたいな気が・・?」

私は振り返ってたまげた。パソコンの上に雨だれが「げっ!」

パソコンをガードして一人残っていた大工さんに補修を依頼。

電気屋のNさんにTEL「電源を切って一日待ってから起動を」

私は言われた通り24時間待って、祈るような気持で

起動ボタンを押した、・・・・・「シ~~~~~ン」

翌日Nさんに来てもらう、「はい、入院です」カクシテ2週間、

一週間目あたりからやっとパソコンの無い生活になれた。

昨日夕方、退院してきた、今日から又パソコンのある

生活が始まる。 今思うに必ずしも私にとってパソコンは

必需品ではなさそうだが、無いと頭が錆びつきそうな気が

してならない、ボチボチと又行きますか。

入院の多い主人公に義理を果たしたかのような顔をして

退院してきた我がパソコンは晴々した顔をしている。

待っていた人も、待ってなかった人もお待たせしました。

今日から又、 ボチボチ・・・・・と。

2008年7月 7日 (月)

自然界のおきて、

    Yabukannzou くりっく

我家の庭の隅にもヤブカンゾウが咲き始めた。

妻に二本切ってもらって一輪挿しに挿してもらった。

私は時々野の花をスケッチする。(この部分、声を小さいしている)

スケッチする時、路地のままのスケッチと挿した物を間近で

書き写したりする、間近でみると花の構造はとても・・・・・

いや、今はそんなことはどうでもいい、よくよく見るとなにやら

虫がいっぱい付いている。

多分アブラ虫の一種だろう。隊列を見るとハイキングよろしく

先頭をサブリーダー、しんがりをリーダーといった按配だ。

ただし、動いてはおらず全員食事に余念が無い。

こんな所でも自然界のせめぎ合いがある、というより

一方的な被害者と加害者だ、人間同士ならお上に訴え

裁判に訴え、と言うところだろうが、この場合は花と虫だ、

【月にむらくも、花に虫】・・・ちょっとちがうみたい・・だな。

動けない被害者と動ける加害者、くやしい理不尽と思うが

自然の法則なんだろう、花は抗うことなく従容としている。

ちょっと、自分を見ているような気もする。自分も病気に

対し運命ときめ、従容としている部分がある、でも少しは

抵抗している部分もある、「このままでは終れない」と。

私は花ではない、「このままでは終われない」と。

2008年7月 5日 (土)

うまいジャムが、

 Umenomi くりっく Umenomi2 くりっく Ume2 くりっく 

ジャム用の梅が熟してきた。

ポトポト、と落ちだした。材料を拾うのも一仕事だ。

今までと違って今年はイッパイあるので、去年まで拾って

いたようなモノも今年は選別してよくないのはどんどん捨てる。

需給の関係で「もったいない」も死語になる時がある。

材料がいいからといって、いい物が出来る訳では無い。

この先は妻の腕にかかってくる、・・「しか~し」

妻はこう言う時も生来のアバウトさが黙っていない。

それだけに不出来と上出来が混在する。

その日によって味が違うので、言ってみれば色んな店から

買い集めた観がある。一人で多数の味を輩出するのも

特技だ、と理解するのも広い心と言うものだろう。

私はこれから毎日ジャムをいただく。

黙々と食べ、最後に「うまい」と付け加える事は忘れない。

たとえ、そうでない日のジャムにしても。・・「うまい」・・と。

2008年7月 3日 (木)

やっと、始まった。

図書室の基礎工事が終って3週間、

昨日やっと人気者の大工さんが来た。私は彼に言った。

「万歳三唱をするから、そこに立ってくれ」彼は言った。

「うわァ~、勘弁、かんべん」工事が遅れに遅れている事は

だれより知っているし気にしているはずだ。

掛け持ちの仕事を沢山抱えている大工さんをそれ以上

攻めるのはやめた。

今日は仲間の大工さん、左官やさん、板金やさん、

総勢6名で始まった、このペースなら数日で終るのでは?

と思うくらいどんどん進む。この先、中座があっても今月中には

出来上がるだろう、まずは一安心と云ったところだ。

別に急がねばならないことは何も無いけど、田舎の職人さんの

悠長さには気長の私でもムチを振りたくなる。

でも、今日のうちに雨に降られても大丈夫の所まで進めるらしい。

私の部屋のすぐ横なので、金槌や鋸やビス止めの音が気持を

落ち着かせてくれない、今日は職人さんたちの作業を

眺める事にした。しかし梁の上の作業は私が緊張して

しまうので(事故や怪我を連想してしまう)見ないことにした。

今は自分が山登りではるかに危険な事をしていた神経が

到底信じられない。

あせらず、無事故で終って欲しい、私は後にそっとムチを置いた。

2008年7月 1日 (火)

ヘビよけのお呪い、

今朝からクレゾールの臭いがする。ヘビよけの御まじないだ。

妻がこの前買って来たクレゾール石鹸液を希釈したものを

家の周りに撒いた臭いだ。ヘビよけに買った薬の成分を

見るとクレゾールが主成分だったので安直な発想から

じゃあ、そのまんま撒いてみようということになった。

効果は分らないが、もし効いたらはるかに安価だ。

ツバメが二番児を抱き始めたが、先日殻がいくつか

落ちていたので孵ったらしい、不思議な事に殻の数と

子どもの数は一致した事がないので何羽いるか分らない。

不思議といえばその存在を(ツバメの児)ヘビがどうして知る

のかも分らない。とにかく又こられては困る、このクレゾールの

希釈液が効果を発揮して単なる御まじないで無いことを

証明できたら、心細い我家の経済に貢献する事にもなる。

ツバメ家族の安寧と我家のサイフがこの臭いにおいに

掛かっている。秤にかけたら我慢できない臭いではない。

2008年6月29日 (日)

意外な力の発揮、

     Ume くりっく    例年の三割増し位だろうか?

昨日の収穫は、ご覧の一輪車に4~5台ほどだった、この上ない

天気だったが、妹達が都合で来れないので、どの位収穫出来るか

心配だった。ところが天佑出現、母の弟Mさん夫妻が来てくれた。

最初はM氏自分の持ち帰りの分を取ったら、お茶を飲んで帰る

と思ったら、途中から収穫の歓びのアドレナリンが爆発!

高齢にも拘らず(前期高齢者、失礼)少年のようにキラキラ目を

輝かせ、意外な力を発揮(重ねて失礼)棒をもってきて、枝を

はたき始めた、梅はアメアラレの如く降ってくる。

乗ってきたM氏、「余さず拾え」とばかりに奥さんのMさんと妻に

ムチを振るう、この快挙なくして今日の梅もぎの終了はなかった。

私はMさん夫妻の頑張りに今日か明日当たり筋肉痛が

起きるのでは、と心配になった、二人してシップ薬の貼りっこを

しながら「シップ薬の方が高くついたね」なんて事になったら

申し訳ない。「日頃の鍛え方が違うよ」と二人とも胸を張って

帰っていったが・・・・有り難うございました。

シップ薬の請求書は・・後日お受けします。

2008年6月27日 (金)

クシャミに関する考察、

昨日の朝から派手なクシャミを妻が繰り返している。

私のクシャミは「ハックション」ときれいに発音するのだが、

妻の其れは全身を使って、体の割には豪快なものだ、たまに

下の方から雑音が混じる事があるが、私は気づかぬふりをする。

多分父から受けたものだろう父の其れは天衣無縫のものだった。

「ハックショ~~イ、キショ~(畜生の略)このやろメ~」400Mほど

離れた墓地から聞こえてきたのは一再ではなかった、

町内の人達はみんな知っていた、今となっては懐かしい。

其れは其れとして、妻ははクシャミの後、鼻をかみながら一言

「お父さんのがうつった」と必ず付け加える、確かに私の風邪は

ほぼ治りかけているのでタイミングとしてはそうだが・・・

第一証拠がない、それに夏風邪がうつるなぞ聞いた事が無い

なにより母は未だに泰然としている。母がクシャミをしたら

認めてやろう「俺のがうつった」と。

考えてみるとこの四半世紀、母のクシャミ聞いた事が無い。

一体どんなクシャミをするのだろうか?。ちょっと聞いてみたい

気もする、アッ・・いやっ・・それはまずいナ。

母にとっても私にとっても、聞けないほうがいいに決まっている。

2008年6月25日 (水)

ふくらむ欲望、

    Ume くりっく   枝もたわわに、

父の生前、毎年この時期になると同級生のFちゃんとB氏に

およそ15kgほどの梅の実をそれぞれ届けるのが恒例だった。

昨年、梅の不作で我家でもスプーン一杯のジャムも作れなんだ。

そんな事とは知らぬ二人は「もう梅は届かないのかも知れない」

と危惧して、心配話をしていたらしい。

妻が「B氏とFちゃんに持っていく梅もぎをするけど、梅林いく?」

「うん」と私 なるほど今年は豊作だ、枝がたわんで地に着く

ほどだ。これなら私も手伝える、5kg程採ったかも知れない。

さしたる手助けには成らぬが参画の喜びを得られた。

二人とも、とても喜んだそう、特にB氏「いっぱいあるんで

いるならもっと持ってくるけど」というと「いや自分で午後採りに

いく」心配が無くなったら急に欲望が膨らんだらしい。

午後、妻と母は不在だ、私は電動車いすに乗せ変えて

もらわないと梅林に行けないのでB氏に庭で

(ジャム用にとっておく樹、自由に採っていい樹)をよーく説明し

「脚立置いて有るけど、危ないので使わないでね」と念を押した。

納得の収穫のB氏「上の方がいいのが有ったんで脚立に

乗って採った」・・と胸を張る・・・【人の話し聴けよ】・・・・

私は急に心配になった、ジャム用の梅を採られちゃったかな?

B氏84歳、近頃、足と・・が衰える。怪我しなかったからいいか。

15kg程の梅、胸を張って車に積み込み、車中の人となった。

2008年6月23日 (月)

夏風邪は・・?

朝から少しの頭痛とだるさが少しある。

熱もあるかもしれない、A病院にリハビリを電話で断った。

時間が空いたので妻は娘とメーシャを駅まで送っていった。

メーシャは朝から機嫌が悪かった。いっぱい泣いたり

グジュグジュ文句を言った(解析不能)

私はもしかしたらメーシャも風邪を引いてしまったか?

と危惧した、一昨日夜蒸し暑かったので、明け方の冷え込みを

甘く見てしまった報いだ。

しかし、妻が帰ってきてからの話。「車に乗るなり一分ともたず」

コロンと寝てしまい、駅へつくころ機嫌よくペチャクチャ喋りだ

したとか、ただ眠かっただけらしいとの事。

どうやら私は抵抗力でもすでに孫娘に負けているらしい。

それはとも角、又静かになってしまう、私は子供の頃から

見送る側は淋しくて、なんて損な役割だろうといつも思っていた。

見送られる側の誇らしげに見えること、半べそのメーシャさえ

誇らしげに見える。いや、今日はそんな事言ってる場合じゃない

そんなことより風邪を治すこと、第一義としよう、寝るか・・?・・・。

そうそう、娘よ「ありがとう」

2008年6月21日 (土)

招かざる事態だが、

今朝6時前から、孫娘のメーシャがゴニョゴニョ喋っている。

どうやら早起きして一人で遊んでいるらしい。(もうすぐ2歳)

今日は妻が一泊の研修で出かけるので私を見てもらう為

娘に昨夕来て貰った、褥創がなければなんとか母のフォローで

済むのだけれど、娘といえども傷口を裸になってシャワーで

流して貰うのは恥ずかしい。

そうは言っても私に選択の余地は無い、昨夜は実地で

リハーサルをした、恥ずかしかった、歳を重ねるという事は

こういう事も有るという事なのだろう、【・・子に従え】・・か。

今まで車椅子に乗っている私しか見ていない娘にとって

現実の私の状態は少なからずショックだったようだ。

いつかは通りすぎねばならぬものであろう、いい機会だった

かもしれない。いつか又頼らねばならぬ日も有るかも知れぬ。

そう難しい事ではないので、今夜はうまくやってくれるだろう。

メーシャは喋りつかれ、あそびつかれ、ふかい昼寝をしている。

起きれば又賑やかになるだろう、孫娘を呼び寄せる口実

ではないが、悪くない【おまけ】だったな、と思っている。

2008年6月19日 (木)

レジスタンス(抵抗)

心なしか今日、妻は少し優しい感じがする。

私のお尻に褥創が出来たので、昨日N病院の皮膚科にいった。

妻は私の褥創をとても心配し心を砕き、早い治癒を願っていた。

N病院はいつも混んでいる、予約が無いので覚悟してたが

待たされた。二時間を過ぎた辺りから妻は愚痴りだした。

三時間半でやっと呼ばれた、治療法を見て妻は失望した、

日頃の妻の施しの域を出ないものだった、イライラしてた。

院外薬局に行くと求める薬が無いから買ってくるまで待て、と

妻のイライラは沸点に、駐車場まで文句のいい通しだった。

冷静を欠いた妻は車椅子の固定の手順を間違えた。

「これじゃ留らないよ」・・「お父さんは分っていたらそれを先に

言いなさいよ」とんだ側杖だ。 妻の愚痴の矛先が病院であり

薬局である事は私には分りすぎる程分っている、だが事の発端は

私であり、責任を感じるので妻の言葉は私の肌を刺し続けた。

「お前は何で俺ばかり攻撃するんだ」「一言だってお父さんの

事は言ってないよ」少しばかり不毛のいさかいが続いた。

あざ笑うように私の足が痙攣性のクローヌス(貧乏ゆすり)を

始めた。私は自分の足を叩いた、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ

弱者が自分をいじめる、弱者と弱者が(私と妻)不毛のいさかいを

する、私は悲しくなった、心で妻に謝った「逆らうつもりは

無かったんだよ、ただ俺も我慢してたんだよ」と。時間と共に

自然消滅するだろう、妻も謝らない、私も謝らない、夫婦だから。

私は病院も薬局も恨むつもりは無い、ただ自分の体が恨めしい。

ドラマのような仲直りとは行かないが、今日は妻がちょっと優しい。

2008年6月17日 (火)

高木美保さんのように、

今、飛駒は梅雨なのに五月のような爽やかな風が吹いている。

高木美保さんというメガネをかけた、如何にもお利口そうな

すてきな女優がいる、私のタイプではないが(そんな事聴いて

ないって、アッそう、・・・それもそうだ、どうも失礼)

その彼女ラジオの朝の番組を持っている、朝なので聴く

機会が無いのだが、あるとき彼女の話を聴いた。

「私はいつも気球を見上げていて思った、あそこに乗って

風に吹かれたら気持いいだろうなァ、いつかあの気球に・・」

庶民ならここで話は終るのだが、庶民ならぬ美保さん、間もなく

乗る機会が訪れた、彼女は大空に浮かび上がった。

「今日は風ありませんねェ」同乗の人に甘えてすねた(多分)

「いや、今日はいい風吹いてますよ、こんなに流れている」

「だって・・・・ちっとも」「・・・・あァ、風に流されていると同化して

風を感じられないんです」 「へェー」 ちょっとがっかり、

でも下界を眺め堪能したそう。 わたしは(ガツン)と頭を

叩かれた。真只中に飛び込むとそれを感じる事ができない、

なら【苦しみの中に】【悲しみの中に】【痛みの中に】等々

それらの中に飛び込んだらそれらを中和できるのでは?

「心頭を滅却すると火も又涼し」空海がよぎる。

考え足り無いかも知れぬが考えても無理があるようだ。

物理的なことと心の問題はすり替えたり同化はできない。

私はガツン、と叩かれただけだった、もすこし、考えてみよう。

2008年6月15日 (日)

日本海の夕陽の旅、

    Yuuhi くりっく   【日本海の夕陽】

一期一会、と言う言葉がある。

出あった者同士が惹かれつつも再び会うことはないだろうと

思いながら別れる、と言う風に自分流に解釈しているのだが、

(間違っていたらゴメンナサイ、鵜呑みにしないデ)

山形県の湯の浜温泉に二泊の旅をした。

米どころ新潟、魚沼地方の田園風景、日本海の空と海の

グラデーション、沿道で働く人々、月山や鳥海山の雄姿、

刻々と変わる景色に自分と時間との一瞬一秒の一期一会を

感じた、ふと、自分はこの景色を二度と目にすることは

無いのではないか?と、そう思ったらこの旅をおろそかには

出来ないなと、・・・・何も明日死ぬわけではないが、

私の年齢になったり、私のような病気の重い後遺症を

抱えているとつい弱気が頭をもたげる。

今回は妹達やKさんの夫君O氏やむすこのFの力強い男手が

安心感を与え弱気を誘ったのかもしれない。

にぎやかなみんなの会話とO氏の企画のテンポのいい旅の

なかで、私はこの旅を丁寧に咀嚼をし、噛みしめるように

味わった、片時も私の側を離れる事のできない妻に

申し訳なさを感じつつ。

2008年6月11日 (水)

Mさんへのメール(手紙)

Mさん、元気?  いつもメールありがとう。

Mさんのメールは伯父さんの脳ミソの栄養にはならないけど

伯父さんの元気のもとです。(深く考えなくてもよろしい)

伯父さんはMさんのメールがくると、水を貰った花のように

元気に起き上がります。

明日から三日間、山形の海沿いの温泉にいきます。

レンタカーで8人の旅です、先週、みんなが来た時、Mさんの

お母さんなどの顔を剃りました、みんな張り切っていました。 

さっき、おばあちゃんの顔も剃りました。(美しくなりました、

其れなりだけど・・)おばあちゃんは張り切ってジュースやら

お菓子やらイッパイ買い込みました。本当は伯父さんは

この旅に気乗りがイマイチなんだ、不安の方が大きいからです。

でも、張り切っているみんなを見るとそんなこと間違っても

言えません、「とても楽しみだ」と言う顔を演じています。

でも、楽しみもあります【日本海に沈む夕陽】パンフレットでは

宿から毎日見えるらしい(雨でも・・?)是非見たい。

おばあちゃんと伯父さんの為にみんなでフォローしてくれるので

土曜日には無事帰れると思う、その時は又メールします。

  じゃ、     Mさんへ             伯父さん

追伸、三味線の稽古、続いていますか?

2008年6月 9日 (月)

オペラ【カルメン】

隣接の足利市には市民交響楽団と市民合唱団がある。

きのう、その二つのジョイントコンサートがあった。

素人の私は論評する立場にないのだが、素人だから言っちゃう。

合唱団は相当なものと思うのだが楽団は今一息かな・・・?

それはともかく・・【関係者の人ゴメンナサイ】・・今回は合同ならでは

と言う感じのオペラ【カルメン】が企画された、恥ずかしい事に

私はオペラなんて見たことない(ビゼーの曲は有名なので知っているが)

いいとこどりの抜粋仕立てだが、二人の指揮者と三人の

プロ歌手の所為もあるだろうが、こんなに楽しいものとは

知らなかった。合唱団員も色んな扮装をして熱演していた。

終盤に体格のいいスーツ姿の男性、牛に扮して闘牛士と

戦うシーン、落ちていたバラに足を滑らせ大きな音を立てて

こけてしまった、これには指揮者も演者も観客も大爆笑。

一人でうけを食ってしまった。

演奏、合唱、オペラと三時間半も短く感じるほどだった。

帰り道は妻も私も興奮しているのが判るくらいだった。

この先、多分オペラなんて見る機会はないだろうが

楽団、合唱団初めての企画がこれだけ成功すると

二匹目のドジョウをねらうかもしれない。

そしたら又、見たい。入場料1250円だった。

2008年6月 6日 (金)

Sさんのフラストレーション

    Kiso くりっく

「外仕事はこうでなくちゃァ」図書室の基礎工事を

してもらっているSさん、鼻唄交じりで仕事が進む。

どうやら今日はご機嫌らしい、久々の晴れ間が気分を

よくしているのだろう。

きのうは朝からニコニコしてても不機嫌が隠しきれなかった。

原因はここの所の続く雨、「職人殺すに刃物は要らぬ、雨の

三日も降ればいい」少し焼け気味にうそぶいていた。

降らなかった朝の内に生コンを打ちたかったのに生コン屋

さんの都合でだめになった、イライラ、イライラ。

一時半ごろ来た生コン屋さんに「遅いぞォ」と一発。

生コン屋さん、運転が苦手らしく(プロなのに)バックで

中々所定の位置に決まらない、霧雨降り出すイライラ、

イライラ「なにやってんだ、運転代わるか?」とSさん、

生コン屋さんも容易じゃないニヤニヤ照れ笑い。

やっと生コンの流し込みが終ったら「さっさと帰れ、その辺を

擦るんじゃねえぞ」と追い討ち、生コン屋さん逃げ帰りだ。

変って今日は上天気、Sさん本物のニコニコだ。

よかった、ヤッパリ気分良く仕事をしてもらいたいものだ。

見ている私も面白かったけど、容易じゃない。

2008年6月 3日 (火)

女心をかいま見た。

リハビリ病院の長いスロープをやっと登りきった。

リハビリ室の前で息を整えていると、中から小児病棟の

PT、K先生が来た、このうら若きK先生はいつもニコニコ

ヘラヘラしている、如何にもノーテンキげな人だ。

「やりましたね~」とニコニコ、「ふ~へへっ」

私はチョビッとの皮肉と10%の真実を10倍に膨らませて

「先生はいつも幸せそうな顔しているね」と言ってやる。

ついでに「先生の顔を見た人は幸せな気分になるだろうね」

するとK先生うろたえ気味に「え~、だめですよ、私なんか」と

頬を少し染めて病棟の方へ走っていった。「へっ、???」

どうやらK先生は私の言葉を額面どうり受け止めて大いに

納得と満足をしたらしい。「なるほど!・・・」

女心とは、かような物であったか、40年前にこの真実を

知りえたなら私の人生も変わっていたかもしれない。

いや、人生が変わっていた事を望むのではなく、今から

変えられるかも知れない。

妻に対して褒め言葉を10倍にしてぶつけたらどうなるだろう、

モチベーションがあがり、待遇がもっと好くなるだろうか?

・・・いや、止めといた方がいいか、その瞬間私の左頬に

鮮やかな紅葉ができるか、判りにくくなった顔と頭の境あたりに

手を当てるのが関の山だろう。でも、リハビリ室に入ったら

私も幸せな気分になってきた、もしかしたらK先生への

言葉は100%真実なのか?というような気がしてきた。

2008年6月 1日 (日)

初めての草刈機、

     Kusakari くりっく   

「お父さん、エンジンの掛け方を教えて」妻が少し

緊張気味の顔で草刈機を持ってきた。

始動の紐の引きが弱いので何回か掛かったが

快適な音を響かせてエンジンが始動した。

肩への掛け方、持ち方、スロットルの加減、止め方

一通り教えたが見ているとどうにも危なっかしい。

心配なので電動で畑の草刈現場まで行って見た。

ちょっと及び腰ながら何とか刈れている、案ずるより

なんとかだ。私が贔屓目に見ても妻は万事不器用

部類に属すると思う、向う気の強さと反比例に感じるが

この強気何処から来るのだろう。

無事終わった時はほっとした。

何事もそうだが、慣れて来た時が怖い、上手になるより

へたで草刈機に慣れないで貰いたいものだ。

結果の論評はこの際おいておこう(無事でよかった)

2008年5月30日 (金)

蛇過、続報

     Hina くりっく   おおっ、にび色の空のもと、

けさ、起きて顔を洗うべく縁側に出ると物干し竿の上に

ツバメの雛4羽、親鳥のくれるエサを並んで待っている。

きのうも一昨日もたまにそろう事はあっても巣に戻らないし

玄関にも入らない、先日青大将の大きい奴に襲われ

1羽犠牲になったようだ、よほど深く心が傷ついたらしい。

羽ばたきの練習をしていたので、後2~3日で飛び立つな、

と思っていた矢先だった。揚力をシッカリ身につける前に

スクランブルを余儀なくされた。

今朝見る限りでは大きくなったし飛び方もうまくなった。

夜は一体何処で寝ているのだろう、不思議な事に

親鳥2羽は巣の中で寝ている・・??

人生にも禍福はあまたあるけれど、この雛達の始まりは

災いからのスタートとなった。雛達にとってただ心の重しに

なるだけでなく、転じて学習として以後の生活に何らかの

プラスとなってほしいものだ。見る限りではこの雛達はすでに

あの恐怖は過去のものとし前だけを見詰めているように

見えるのだが・・・(そんな単純な訳にはいかないだろうが)

その部分だけは私も見習いたい。

2008年5月28日 (水)

夏椿の生存率、

         Tosyositu くりっく

いよいよ図書室の増築が始まった。

本来は今月始めには出来上がるはずだったが、大工さんの

都合でのびのびになっていた、その間我家の都合も発生して

予算を少し削らねばならなくなった、素敵な図書空間から

一歩後退したものになりそうだ、それも仕方ない。

それはとも角、地所を均してみたら夏椿の樹が

邪魔になる事がわかった、他の木は冬のうちに引越しを

していたのだが、今の時期樹木の移転はかなり難しい。

生きてくれるのは30%くらいか。

何事に関しても人が何かを達成しようとするとその

リバウンドが周辺に類を及ぼす、基礎工事のSさん

「なんとかなると・・・」といっているが・・?

今の私の関心事は図書室の完成より夏椿の活着に

傾いている、自分らの都合を夏椿に押し付けている事に

何とも後ろめたさを重く感じて。

2008年5月26日 (月)

青大将の大物、

    Tubameくりっく

リハビリから帰ると玄関で母がヤス(泳ぐ魚を刺すどうぐ)

持って下駄箱をにらんでいる、妻が聞くと「玄関で大きな音が

するので見ると梁から蛇が落ち下駄箱の裏に逃げ込んだ」と

言う。スッカリ妻は浮き足立ち「IさんかHさん居るかなァ」と

走り出す、良かった、たまたま隣のHさん居てくれた。

Hさん、引きずりだして川に投げ捨ててくれた、どこかに

流れ着いてその辺に住み着くだろう、Hさんも殺すのは

嫌だったらしい。およそ1,5メートル以上の青大将だった。

帰ったとき物干しにツバメの児が2羽止まっていたので

巣立ったな、と思ったが、巣を見ると1羽しか居ない、

5羽いたのだが2羽呑み込まれてしまったかも知れない。

母は「腹が膨れておっこちたんだ」と言う、多分そうだろう。

外に出た雛は帰れるだろうか?、今は見えない。

親鳥は何事も無かったかのように、残った1羽の為に

餌を運んでいる、見ていると何か切ない気分になる。

せめて外に非難した2羽が戻ってくれれば・・・

ムシコロリアース、蛇には効かないのだろうか?

又対策を考えねば、Hさんありがとう。

母は闘うアマゾネスのようだった。

2008年5月24日 (土)

終ってみれば、

    Niwa くりっく

妹達が母のもとへ来て、長姉である妻に頼まれた草むしりや

刈り込みを始めた   (妻は所用でいずこかへ)。

私も外へ出て監督をしたのだが、見ていると危なそうで

とても怖い、あまり賑やかなので隣のHさん、見に来た。

見ていたが我慢できなくなったらしくて「貸してみな、

鋏の使い方、順序全然ダメだ、持ち方はこう、使い方はこう」

【いろはのい】から始まった。再度交代してKさんが鋏を持つ

「おめェは返事だけで何にも聞いてねえな」再度【いろはのい】

から始まる、見ていて「枯れるか?」と行く末を案じていたの

だが、終ってみればこの通り、Eさんの藤の剪定も写真の

掲載には耐えられないので載せないが、生き延びるだろう。

(Nさんはもっぱら草むしり)1ヶ月もすれば素人の手とは

思えないように見えるのではないのだろうか。

Hさんの教えが即効したとは思えないし、

なるほど学習、ものごとは出来るか出来ないかより

やるかやらないか。という事だろうか?

妹達は学習より結果に満足、意気揚々と帰って行った。

2008年5月22日 (木)

山ぶどうの生命力、

   Kusakari くりっく   Yamabudou くりっく

リハビリから帰ると妹の旦那、S君が草刈をしてくれた。

S君は食品関係の仕事で休みは木曜日だ。

あらましきれいになった庭を見て「アッ、しまった」と又思う。

5年前、私は山から山葡萄の蔓を取ってきて植えておいた。

私が病気になって以来三年、息子や義弟達の草刈の

都度、山葡萄の蔓は刈り取られていた。

私は忘れなかったが諦めていた、去年の秋その蔓が

まだ生きていた、その時S君に話していたのだが、

なんとS君覚えていてくれた、そこだけ除けてあった。

4本残っていたので棒を刺してもらった。

さて、のびたら棚を作り間引きをして棚影からたわわな

葡萄を見上げて熟したら・・・・得意の空想が展開する。

それにしても踏まれても伐られても生き延びていた

山葡萄に敬意、チャチかもしれぬがきっと棚を作るから。

S君覚えていてくれて有り難う、草刈も有り難う。

何年先いつの日か山ぶどう酒ができたら

最初に飲んでもらおうか?。

2008年5月20日 (火)

オオカミの遠吠え、

私は標高二千メートルくらいの山にいた。

ツェルト(簡易テント)も張ったし夕食もすんだ、「さて、寝るか」

「アッ、その前におまじないだ」私は空に向って叫んだ。

「あお~~~ん」「うお~~~~~ん」「よしこれで大丈夫、寝ョ」

「お父さん、どうしたの?大丈夫?」誰か肩を揺さぶる「ん?」

「あァ、夢か、どうした?」空が少し白み始めた中で妻が

心配そうに声をかけて、見下ろしている。

「どうした?って、お父さん大きな声で叫んでいたよ」

夢だけでなく声も出てしまったらしい。

昔、山小屋などでストーブを囲みベテランが初心者ばかりだな

と見ると自慢げに与太話を始める、初心者はベテランの

真顔の話をその内の半分は「ほほ~」と感心する。

さらにその半分は愚直にも信じ込む、私もその中にいる。

「単独のテントの時は寝る前に、オオカミの遠吠えを真似

すると獣が寄ってこないから絶対やっといたほうがいいぞ」

最初は信じたが怪しいと気づきオオカミのまねをすることは

無かった、すっかり忘れた昔の事なのに脳みそのヒダに

引っ掛っていたらしい。長い時間を費やしたのち、

初心を果たしたらしい。「・・・それにしても・・」

人は大声を出すとスッキリするらしい、実感は無いが

清々した気分になった、「妻よお騒がせしました、この後は

オオカミのまね、二度としません、・・多分」

2008年5月18日 (日)

棟方志功展のバチ、

      Kuranomati くりっく  栃木市蔵の街美術館

気持のいい、青葉の西風の中、栃木市の蔵の街美術館に

棟方志功展を訪ねた、栃木市は始めて来たのだが

セコンドが二回に一回しか進まないのではと思うくらい

ゆったりと時と風が流れていく。繊維産業、盛んなころのなごり、

多くの蔵をいかした街づくりの所為かもしれない。

版画家、棟方志功と栃木市は浅からぬ縁があったらしい、

市内の個人所蔵の作品展示も少なからずあったようだ。

棟方作品は余りにも有名なので書物や映像で多くの人が

目にしている、私もその口だ、でも今日、目の当たりにして

とても強烈に映った。

もしかしたら、ゆったりした市中を味わった後の所為かも

しれない、この両者はミスマッチなのかな、と思った。

【帰り道、食後でねむくなった妻は眠気覚ましにコンビニで何か飲むという

「お父さんは?」・・「アイス」・・家に近づくにしたがって私は気持悪くなってきた】

もしかして初めての街と少ない材料でミスマッチなどと

知った風な口を利いた罰が当たったのか?なんて思った。

家に着いたら本格的に気持悪くなった、「棟方さん、蔵の街さん

知ったかぶってゴメンナサイ」と私は言った。

吐いたらスッキリした、食後のアイスがミスマッチだった。

2008年5月16日 (金)

ユダヤの民のように、

昼前、妻が畑にいると隣のHさんが聞いてきたそう。

「虫除けの粉薬なんという名で何処で売っている?」と

さらに「去年まで一度も入ってきた事ないのに今年はもう

三匹もムカデが入ってきた」と、ムシコロリアースの事らしい。

妻は先回りして「なんかうちのムカデが隣へ行った、という

言葉のニュアンスにとれた」と言う、「まさか」と私。

(Hさんの名誉の為、そう言う事を言う人でない、と添えておく)

そういえば私の入院前日(2週前)畑へ行ったとき裏のIさんがいて

「きのうジャガイモの葉にテントウ虫がイッパイいて薬をやったら

今日はいなくなった、おめんちにいったらしい、残っているの

やるから撒きな、そうすれば前のトクちゃんちに行くから

少し余してとくちゃんにもやりな、最後は西のTの畑に

いく、その先は俺も面倒見きれねえ」とニヤニヤ。

「まるでババぬきだな」と笑った。T君は畑熱心だから、すぐに

対応をするだろう、テントウ虫のその先は想像がつかない。

話を戻すと我家に来る筈のムカデが隣に行き、となりに

追われたムカデ達ははいずこへ?、少し離れたM君ちに

行くのだろうか?少しぐらい離れていても足があんなイッパイ

有るんだから物ともしないだろう、(そういう問題では・・)

いや、そもそもうちのムカデじゃないし、その連鎖は

成り立たないような気が・・・

頭の中がメリーゴーラウンドのように巡っている。

2008年5月14日 (水)

きついお叱り

先日、裏のIさんが来て「入院してたんだって?」

あがり込むなり恐い顔をして怒っていった。

「何で俺に黙っていたんだ、お前は自分の立場をわかってない

お前に何が出来る、昼間おふくろとお前だけでなにかあったら

何が出来る、何も出来ないだろ、何故俺や周りをたよらない?」

一言も無い、こんなに怒ってまで心配してくれるIさんに

私は涙が出そうになった。ここまでハッキリ言う人もいないが、

他人でここまで心配してくれる人もいない。

「半年で3回も入院騒ぎは気が引けるし、何事も無かった事で

すませたら、と思ったんだよ」

「まァお前の言い分もわからんじゃないけど」

それから、延々20分ほどIさんから説教をくらった。

Iさんが帰った後シーンとなった。

「うるさいけど、有り難いね」と母。

「そうだね」と妻。私は(うるさい)とは思わなかったが

「うん、そうだな有り難いね」とつぶやいた。

「俺を頼れ」と言い切るIさんが羨ましかった。

2008年5月12日 (月)

東京葛飾、柴又の

「さくら、ひろし、みつお、おいちゃんおばちゃん、お帰り」

「ふ~やっと家にけーった、やれやれ寅、留守番すまなかったな」

「あいよ、おばちゃん熱いお茶だ、で、どうだったい、旅は?」

「ありがとう寅ちゃん、でも旅もいいけど帰ると家が一番だね~」

「そうだろそうだろう、いつも旅してる俺の気持わかるだろ」・・・・

柴又の【寅ヤ】の面々でなくとも誰しも思う、

なんのかんの言っても家がいちばんいいもんだ。

長い入院ではなかったが特に今回は早く帰りたかった。

帰ったからと言って特に何も無いし、

病院に居たからと言って別に何も無いのだけど、・・・・

退屈で怠惰な私の日常がまた始まる。

入院ではオペもあり、緊張や心の波もあった、

むしろ入院中のほうが私にとっては退屈しないかも知れない、

それでも、家に帰ってきて出迎える寅さんはいないが

熱いお茶はある、そして安堵の妻の顔がある。・・・・

「やっぱり、家が一番だなァ」

母も息子もお出かけ中、みんな揃っていればシチュエーションが

ビシッと決まるのだが、・・へへっちょっと物足りないくらいが

またいいのかもしれない。

2008年5月 2日 (金)

落し文、

      Otosibumi くりっく  おとしぶみ(落し文)

10年ほど前に妻と二人で尾瀬から裏燧林道を下山した。

森林限界を超えたころ、樹林帯の木道に葉っぱを丸めた

ようなものがいっぱいあった。

「なんだこれ?」不覚にも私はそれまでそれを知らなかった。

「オトシブミよ」と妻、そして簡単な解説をしてくれた。

虫が卵を葉に産みつけ、その葉を丸めて落下させておくらしい、

孵化したこどもは、その葉をユリカゴとし食料として成長するという

究極の放任主義?虫の名はそのまんまオトシブミ。

私はそのネーミングがとても気に入った。

訴状や恋文を目指す相手の通り道に置いておく、と言う

奥ゆかしさ、(他力本願とも取れるが)

意識をして見ると飛駒にも結構いっぱい落ちている。

今日、妻が忙しいのでちょっと用足しに森林公園まで

完全装備で一人で行ってきた、その帰り銀杏の木の下に

沢山落ちているのを見つけた、若芽であれば樹種を

選ばないのかもしれない。

ちょっと私はときめく、だれかが私に文を・・・・ふふっ、

恋文、訴え、愚痴、相談、いずれの文にせよ

私には待っている心があるのだろう、オトシブミを。

2008年4月30日 (水)

筍が椎茸になった、

きのう奈良から戻った姪のMさんが(大学二年)来た。

来るなり、沢山の筍を見て「筍堀りがして見たい」という

午後、筍をいただいた一軒、S家へ散歩がてら行った。

S家のFさんは亡き父の同級生だ、妹のKさんと二人して

縁側に座り、まるで私たちを待っていたかのよう。

元々仲のいい姉妹だが二人とも未亡人となってから

さらに連帯感が強まったように見える。

S家の裏に竹やぶがあると思ったのは私の勘違いで

筍の件を伝えると、少し奥山の斜面だと言う、さらに

きのう全部採ってしまった、と気の毒そうに言う。

やはり、労働を伴って採り持って来てくれたのだ。

改めて感謝、Mさん、残念がることしきり、又来年だ。

来年は素人でも簡単安全な収穫場所を確保しておこう。

手ぶらで帰るのを気の毒に思ってか、妹の方のKさん近くの

我家にとんぼ返りをし、干ししいたけを持って来てくれた。

余計な気を使わせてしまった。

Mさん、来年、再トライだ、又おいで。

2008年4月28日 (月)

竹の子の大発生、

   Takenoko くりっく   竹かんむりに旬、竹の子だ。

我家には竹林が無いので毎年時期になると親戚や知り合い

近所から竹の子の貢物が届いていた。

ところがここ数年、段々と届けが減ってきて、ついには

去年など一ヶも献上されない有様、筍なしの春なんて

春が来ないとばかりにスーパーで求め、食した。

人間の慣性的感覚とは恐ろしいもの、毎年の事だから

届いて当たり前、挙句は掘り出す手間、運び届ける労苦を

認めず処分に困ったものを貰ってやっている、等と限りなく

増長する醜さ、転機があって、やっと気づく愚かさ、

ここ飛駒あたりもイノシシが増えにふえ、鼻のよくきく

やつらは筍が頭を出す前に掘って食べてしまうらしい。

(私は食べた事ないが地表に出る前の筍はワサビ醤油で美味らしい)

イノシシのお陰で筍の届くありがたさを我家のものは知った。

ところがまたまた転機、きのう近所4軒から続々と届いた。

合計14ヶ、イノシシが何処かへ旅したか居なくなったとか

その所為で、筍がニョキニョキ生えたらしい。

またまた人間の愚かさ、たちまち有難みが薄れる。

妻は処分に頭を悩ましていた。

長持ちするものではなし、「三食、筍か?」

私はなにやら、寒気がした。

2008年4月26日 (土)

ムシコロリアース、

都会や街中に生活する人には想像できないだろうが

私の家では(多分近所も)おととしまで家の中に

コウロギやバッタ、アリは当たり前、時には恐ろしい事に

ムカデや蛇が入ってきた。

元気の頃は私がその害虫処理班だった、それが妻の

仕事になった(当時父がいたが虫嫌いで見ると何処かへ姿を消した)

到底、蛇などと対峙出来る筈の無い妻が武勇を振るった。

げに、女と言うものは立場を与えると強いものだ、と思った。

今朝、妻は家の周りの片付けを始めた、聞いてみたら

虫除けを撒くと言う、ムカデのお陰で辺りがきれいになった。

虫除けの霊験はあらたかで去年は全く入ってこなかった。

コウロギやバッタ、蛙などは跳び越えて入るが

地を這う奴は完封した。

やはり、蛇ムカデとは争いたくないとのこと、当然と言えば

当然だ、私だって虫除けがこんなに効く事を知っていたら

殺生はしたくなかった。

この粉末のお陰で今年も安心できるだろう。

撒いた後に降りだした雨がちょっと気になるが。

2008年4月24日 (木)

春の贈り物

Umenomi くりっく梅の赤ちゃん    Taranome タラちゃん

「わいわい、わいわい」 「あーたらこーたら、あーたらこーたら」

「がやがや、がやがや」  「ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ」 

おさな児たちの会話にならない会話が聞こえてきそう。

きのう、昼前撮った生まれたての梅の赤ちゃん。

このさき二ヶ月と少しで立派な大人の梅になる筈。

夢や希望があるや否やは別として、見ていると

その前途に思わずほほが緩んでしまう。

「でっかく、育てよ~」

一方、タラノ芽のたらちゃん、去年より確実に4~5日早い。

早速の収穫できのうの夕飯の食卓へ、

初物は笑いながら食べよ、と言われるがその前にこの

春の贈り物を見つけただけで笑い出しそうな気分だった。

左程の量じゃないけど充分に味わえた。

「カアちゃん、笑えよ」 「えェ、そんなこと云ったって」

多分、これは幸せなことなんだろうな。・・・・

2008年4月22日 (火)

宝物が来ちゃったよ、

この前の土曜日、午前中【版画展】を見てきた。

県都、宇都宮の総合文化センター(版画の街)展だ。

色んな絵画展を見に行くたびに気持が萎え、萎縮していくのが

私のツネだ(家に着く頃には復活している)その日もそうだった。

そんな折、私は一つの作品に見入っていた、

一人の人が近づいて来た「いかがですか」・・「?」・・

「私はこの絵の作者、上吉原です」車椅子から

転げ落ちそうになった(ジョーク)、栃木の版画の世界では

高名な先生だ。 不安定な心理状態の所に上吉原先生は

インパクトが強すぎた。「帰り署名していってください」と先生

いつの間にか版木(版画の板)や和紙を送ります、と言う話に

なったらしい、 帰り道「ちょっと厚かましくないか?」

「だって、お父さんがお願いします、って言ったんだよ」

「??」 私は相当舞い上がっていたらしい。

きょう昼すぎ、小包が届いた「本当に来ちゃったよ」

手紙も入っていた、余人は別として私にとっては宝物だ。

それにしても何故私に先生は声をかけたのだろう、

そして板や紙や自身の小作品まで贈ってくれたのだろう?

車椅子に同情したのだろうか?

でも今日の私はポジティヴ・・・・「車椅子でラッキー!」

2008年4月20日 (日)

帰心矢の如し

さきごろ、東京の病院へ叔母の見舞いに行ってきた。

「おばさん、看護師さんに聞いたら短い期間なら

   大丈夫だって、5月か6月飛駒に行ってみよう」

「うれしいねェ、その時は頼むよ」・・・・

の筈だったが、その日から叔母の望郷の心が一気に

膨張したらしい、叔母の願いをかなえるべく事態を

前倒し、と言う事になった。

妹Kさん、Nさん、Nさんの旦那 T氏のサポートで

久しぶりの帰郷を昨日果たした。

開口一番「山はきれいだし、やっぱり飛駒はいいねェ」

帰られた事、本当に嬉しそうだった。しかし時間がたつにつれ

私は叔母の顔にくもりを感じ、「やはりな」と思った。

自分の入院中、弟が(父)亡くなりその葬儀もままならず

前回の帰省には迎え送り、再会を約した居るべき筈の弟が

居ないという現実、自分の存在と居場所の希薄さ、

妻や妹達にとって父の姉弟の最後の一人のこの叔母の重さ

それだけにこの帰省を充足してもらいたいと願っているだろう。

「これで何時でも過せる事わかったから、おばさん、いつきても

いいんだよ」帰り際車椅子の叔母への妻の言葉、

叔母の心にクサビとなってくれるだろうか、・・そう願いたい。

「おばさん、又来るのを待っているからね」と送った。

叔母の心に去来するものは、どうであったろう?

2008年4月17日 (木)

頼りない弟へ、

東京に【鳴子坂下】と言う所がある。

姉が新婚時代住んでいた所だ。その姉を頼って、

二人の姉、兄、私と(田舎に嫁いだ姉は別として)みんな

一度は東京に出てきた、その折の格好の

ベースキャンプが【鳴子坂下】だった。

その頃から、自分のはらからの心配をするのが、この姉の

仕事のようになった。いまなお、この姉をなんとなく頼る

気配をみんな持っている、私も心配を掛けたろう。

その姉から、きのう小包が届いた。

まるで母親が頼りない息子を慮るような内容物、

胸が熱くなる、末っ子の私はいまなおこの歳をして

この姉に心配を掛け、行く末を憂慮させる。

きのう手紙を書き、リハビリの途上投函した。

「姉さん、もう俺だって子供じゃないんだから、大丈夫

いっぱい支えてくれる人いるし、自分も心の不確かさ

固まりつつあるし、今さら夢なんてないけど、これからの

生きていく為の心の糧も無いわけじゃないよ、だから

これからは自分の心配を第一にしてよ、これでも

一応、心配しているんだから、でも、ありがとう、本当に

ありがとう、うれしかったよ。

この歳になっても、強がってみても、

やっぱり、姉さんには敵わねェや」きょうも降参だ。

2008年4月15日 (火)

名も無い花の名、

    Nanasi くりっく  スケッチしようと戴いてきた花

先日、妻と散歩した時のこと、

中山地区のある場所で見つけた花。

およそ1M の範囲に密生していた、名前は・・・・・?

家に帰ってからネットや図鑑、野の花の色んな本を

ひねったりひっくり返したが、わからない・・う~む。

まさしく名もないような花だが、名前が無い訳は無い。

名前が分らないと来歴も体系もとっかかりがさっぱりだ。

似たような花も無い、分らないとなると益々気になる。

仕方が無いとりあえず、近頃新聞をにぎわせている、

暫定税率という言葉があるくらいだから

暫定ネームでも付けてやろうか。

~~しばらく考えたが浮んでこない、しっくりも何も

なんにも浮んでこない。 

昔の人は偉い、花の名、樹の名、鳥の名、虫の名

いい名前もあるが不粋なのもある、それでもちゃんと

残さず名前を付けておいた、昔の人は偉い。

だから名前が無いわけはない、・・・降参・・

誰か教えて、知らなかったら暫定ネームでも。

2008年4月13日 (日)

花見の うたげ 、

今日は我が鍋沢町内の花見会、

花は満開だが微かな霧雨模様、私の気持と同じだ。

朝から気が重い、のがれる手立てをあれこれと

模索したが何にも浮ばない、私は飲めない所為もあるが

口角泡を飛ばすような場があまり好きではない。

まして私が場に混ざる事により座の雰囲気を

微妙にさせるのではと、いつも危惧する。

会場は鍋沢唯一の酒場【いこい】残念ながら今日を最後に

閉店するそう、女将も強がるが淋しそう、これも時代か。

妻に一時間経ったら迎えに来てくれ、と頼む。

こういう時いつも迎えは遅れるのが妻の意図だ。

人との接触を長く取らせようとする、還暦の宗旨替えは

むりだろう「かあさん、俺そんなに淋しいと思ってないよ」

ただ思惑と違い時間は早く過ぎた、一年ぶりにいろんな

情報や個々の人の現状が見えるにつれ、容易でない

人間関係や生活ぶりが垣間見える。

「自分だけ大変ぶってるんじゃないよ!」と言われたような

気がした、「そうだよなァ、生きているだけで色々あるしなァ」

みんな、背にも腹にも抱え物をして生きている。

ある意味障害者である事に、思い上がっていたのか?

考えさせられた花見会だった。・・・・さて、来年は?・・

2008年4月11日 (金)

見納めの桜、

   Sakura くりっく  我家の桜が満開になった・・・と・・

思っていたのだが、・・去年の秋、道路拡幅の件で市役所の

Hさんと話したときの事、「あの桜も伐らなきゃダメですか?」

「そうです、でもあの桜は神社のものだから神社で伐ります」

「えっ、うちの桜じゃァ・・」「土地はMさんですが桜は神社です」

?・?、私は、なき父が「あの桜はYUKI坊(妻)が生まれた

記念樹だ」と言う言葉をずぅ~と信じてた。

だから樹齢を聞かれると妻の年齢を答えていた。

母に質すと「そうだよ、神社の記念植樹のとき

余って植える場所が無い、と言うのであそこに植えたんだよ」

ちゃっかり便乗しただけだったのだ、でも父も嘘をつく

つもりじゃなく自分で思い込み思い通したのだろう。

だから所有権は違っても我家の記念樹に違いは無い。

来春には、この桜はもう無い。

永くながく、せめて心にとどめよう、

神社の総代さんいわく「記録だと55年前だね」

妻も母も、たんたんとしている。  「きれいだねェ」

2008年4月 9日 (水)

三丁目の夕陽、

先日、東京に行った帰り、大きな大きな夕陽を見た。

さきごろ妻と見た(オールディーズ三丁目の夕陽)を思い出す。

私の好きな大人のメルヘンだ、内容その他はおいておく。

地平、水平線近くの太陽は角度の関係で大きく見えるそうな。

私の住む飛駒は山あいにあるので夕暮れに太陽は早々に

山陰に引っ込み、間をおいて、思い出したように

夕焼けを放り投げてよこす。

したがって大きな夕陽を見る機会がない。

妹のKさん「Nさんはね(三女)・・」と帰路夕陽を見ながら話す。

妹のNさんは生まれてから飛駒から出た事が無かったので

結婚と同時に初めて関東平野に進出したのだ。

そして初めて【大きな太陽】の洗礼を受けた。

「おお~、見てみて、でっかい太陽」

「おめえ、なにバカなこといってんだ」(群馬なまり)と夫君のT氏。

25年も前だから、それがT氏には可愛く見えたそうな。(失礼)

「もう、そんなこと云わないと思うけど」とKさんは結び、大笑い。

かっては見慣れていたはずの大きな沈む夕陽、

東京のビルと電線のかなたに見たとき、なにやら胸に

迫り来るものがあった。

昭和40年代がせつなくよぎって日没と共に消えた。

2008年4月 7日 (月)

篆刻の門の下で、

叔母の見舞いを済ませて帰路に着くと西の空に大きな夕陽。

叔母とは4年ぶりの邂逅「あんた、誰?」なんて危惧したが

開口一番「あんた、そんな身体でよく来てくれたね」

相変わらず、歯に絹着せぬそういう叔母は嫌いじゃない。

帰路私は叔母に心で謝った。

「ごめんね、叔母さん本当は今日、叔母さんメインじゃなく

ついでなんだ、でも妻やKさん夫婦は叔母さんメインだよ

結果的には違っちゃったけど」

きのう、私の本線は東京、板橋にある静かな秘密基地の

ような空間での【篆刻の会】の集まり。

【篆刻】(てんこく)石等を刃物でこそぎ印判を作ること

妹Kさんの友人Mさんから参加の打診、迷った挙句

興味、関心の方が勝った。秘密基地に入った瞬間

「妻たちが叔母の見舞いに行っている間、一人でこの

不思議の空間で過すのだな」緊張でこわばる。

でもMさん夫妻とM先生の口に丸め込まれて全員受講、

かくして叔母の見舞いは(メイン)から(ついで)に格下げ。

静かな時間が流れ、石を削る音を、耳というより指先で

聞く感覚、私の肌に合っている、と思った。

山門の下で境内までの石段の【はるか】が窺えた。

機会と条件が許せばいつか門内の石段を1~2段

登ってみたい気もする。

Mさん、奥さん、M先生、参加の皆さん楽しい時間を

有り難うございました。それからKさん、夫君のOさん

長い時間、ありがとう、いい一日でした。

叔母さん、叔母さんの望む飛駒行き外泊、叔母さんの

姪たちは真剣に検討を始めたからね。

2008年4月 5日 (土)

見なけりゃ良かった、

    Sika くりっく

一昨日、電動車いすに乗せてもらったとき

裏の家の Iさんに会った、顔を見るなり

「よう、いいものをあげようか」私は「ギクッ」とした。

聞く前から「いらない」とはいえない、

聞いた後はもっと断れない、

「いい肉が入ったんだ」 予感は的中だ。

日頃何かとお世話になっている、Iさんの申し出、断れない。

「来て見」と Iさん、何を見せようとしてるのが分るから

「いや、いい」と断った、「いいから、来て見」

どうしても見せたいらしい、仕方ないので見ると

案の定、鹿が梁につるしてあった、いかにも自慢げだ。

今夜は鹿の肉を食べるんだな、と覚悟した。

「いいとこの肉だからわさび醤油で刺身にして食えよ」

二切れ食べて、おいしいのだが鹿の目が瞼から離れない。

仕方ないから焼いてもらって、姿を変えたら少し食べられた。

後から帰ってきた息子、「うまい、うまい」とパクパク。

「見てなきゃ、あんなふうに食べられるんだがな」

「だから、見たくなかったんだ」後の祭りだった。

鹿の目は脳のしわにしっかりとしみこんだ。

2008年4月 3日 (木)

時間差攻撃、

      Masato くりっく

【時間差攻撃】と言うのがある。

発祥がどこか分らないが、バレーボールの競技で

ちょっと間をくるわせて、相手の防御を突き崩す戦略だ。

人は少なからず時や暦を頭に置いて生活している。

先日、私の誕生日の朝・・「お父さんプレゼント買う暇

なかったんで、今年はなしね」  「ふーん、いいよ」

私は妻に聞こえないくらいの声で 

「君には毎日プレゼントもらっているから」と呟いた。

それで、そのことはもう過去の事とすっかり

失念していた今日、東京の娘から小包が届いた。

この意外な時間差攻撃に私の心は立て直す

暇もなく突き崩された。

不覚にも涙がポロン、とこぼれ落ちた。

「へっ、時間差たァ、粋な事をするじゃァねえか」

いきがってみたけど、もうひとつポロンってこぼれ落ちた。

2008年4月 1日 (火)

季節はずれの・・

    1yuki くりっく   庭には・・あしびと紅梅とさんしゅうが

「じゃあ、飛駒の実況中継を・・3,2,1、キュウ」

「えェー、4月1日こちらは色々花も咲いて、いよいよ春本番・・

あれー、ちがう未だ冬だ、さむさむ、以上飛駒でした」

てなことになりそうな、何年ぶりかの4月の雪。  

今朝、9時頃撮影。里はみぞれ雨、山は雪 

エイプリルフールではなく本物の雪だ。

テレビでは「東京はぬけるような青空です」とアナウンサー。

それを横目に、梅の花びらがよこなぐりのみぞれと

一緒に飛んでいる。

午後2時頃には青空になったが、強い風で

まるで嵐だ、春の嵐と言うのかな?

これが過ぎると本物の春、を予感させるようだ。

我家のツバメは巣の中で小さな声で語らっている。

「早く来すぎたかなァ」「そうですねェ」・・・・

2008年3月30日 (日)

ツバメの北帰行

   Tubameくりっく   昨日の夜撮影(まだ孤閨)

♪~まどは~よつゆにぬれて~~(これは小林旭の北帰行)

野心を小脇に手挟んで南進するも夢破れて【北】に

失意の帰郷をする事をうたった歌だ。

時計も暦も持たないツバメが、去年と三日違いだけで飛来した。

三日間一羽だったのに、けさ見たらチャンと二羽だった。

つまり、二羽目はまったく同じ日に来た事になる。

「ふむっ、揃ったか、まずはよかった、よく来たな」

途中、夫婦喧嘩をしたか、片方旅の露と消えたかと心配したが

渡り鳥がシベリアに北帰行したように、我がツバメも無事帰ってきた。

私は今まで感覚的にツバメは春訪れて秋、南へ帰ると思っていた、

でも、家庭を持ち子を育てる所、が帰る所と定義すると

我がツバメも、まさしく北帰行を果たしたことになる。

ツバメにとっては、この飛駒も北国の故郷と言う事になる。

ここが北国と思った事がなかったから、錯覚していた。

二羽とも元気な所を見ると、失意の帰郷ではないらしい。

又、賑やかになる、南国よりの使者、ではなく

南国よりの帰郷者で。

2008年3月27日 (木)

季節の花【さくら】

 季節柄、近頃ラジオを聴いていると【さくら】に

ちなんだ曲が多くなった。

森山直太郎の【さくら】 福山雅治の【さくら坂】その後は

こぶくろ、の【さくら】もいいなと思う。

私は歌を聴く時、余り歌詞を意識した事がない。

メロディーと雰囲気だけで選んでいたようだ。

きょう、こぶくろの【さくら】を聴いていたら、

♪名も無い花に名まえをつけよう~・ふむふむ、いいね・んん?

詩を良くきくとなんか変だぞ、名もない花は有名でない花、

つまり無名の花だ、無名だけど本当に名前のない花なんて

ない、知らない花も図鑑を見ると必ず名前はある。

人間だって有名無名はあっても、名前のない人はいない。

その上に又名前を付けようなんて、大きなお世話だ。

っと、思ったけど、歌の文句に文句をつけたってしょうがない。

もしかしたら、歌詞とはそういうもので、色々と

じっくり聴くと矛盾の詩の方が多いかもしれない。

やっぱり、今までどうりメロディーと雰囲気だけで聴くに限る。

じっくり聴かないでサラッとききながそう。

【さくら】と【さくらの歌】を楽しむ為に。

2008年3月25日 (火)

束の間、有名人気分、

きのう、A病院にてリハビリが終わり、

私は妻が精算するのを玄関で待っていた。

事務室から一人女性が出てきて

「Mさん、広報に出ていましたね、私、佐野に住んでいるので」

ずっと以前、ブログに書いた事のある(キツネ目で太りめの)

【笑顔の君】だった、笑うと糸のように細くなった目の

素敵な女性だ。

私はメジューサの目を見てしまった漁師のように

石になってしまった。

佐野市の広報に載ったものを見てくれたらしい。

色々絵のことや版画のことを褒めてくれたようだが、石になった

私はどうにも憶えていない。最後に「ありがとう」と言うのが

精一杯だった。どうも私は妻とその周辺の女性しか

免疫や抗体が出来ていないらしい、ただ笑顔に見とれていた。

折角のIDカードを見るチャンスも逃したから名前も知らない。

でも、ちょっと有名人になったような気分を味わえた。

握手もサインも求められなかったけど

束の間、幸せ気分・・「お父さん、終ったョ」妻の声に我に返る。

余韻は今も続いている。・・・へへっ、笑ってください。・・

2008年3月23日 (日)

あれから三年、

2005年3月23日夕方、ストレッチャーに乗った私の顔を

しのつく雨が濡らしていた。

2~3日前から続いていた背中の悪魔のような痛みが

少しずつ薄らいでいた。

私は勝手に事態が改善されているのだな、と思いつつ

この身体の不自由は一体なんだろうと不安になった。

N病院の受け入れが決まり、初めて救急車に乗った。

薄らいだ痛みで終息に向うと思っていた症状が

神経の麻痺によって痛みを感じる事のできない

最悪の始まりだった。私は夢を見ているようだった、

妻は事態を把握しようと恐い顔をしていた。 

病名、細菌性膿瘍による胸髄損傷

私はこの三年前の出来事を昨日の事のように思い出す。

もう三年、なのか、まだ三年なのか、何ともいえぬが、まだ

私の心は、うたかた根無し草のように、漂い彷徨っている。

こんな生殺しにするなら、何故あの時一思いに、・・と

病気を呪うことも時には、まだある。

だが、私はこの三年、家族や周りの多くの人々に

生かされてきた、その人々に応える責務がある。

昨夜妻に「三年経ったね」 「そーねェ」

「いっぱい世話を掛けました」 「うん」

私は妻にも、いっぱい応えねばならない責務がある。

どうしたら、最良に応えられるだろうか?

四年目に向けて。

2008年3月20日 (木)

雨の春の彼岸、

    Niwa くりっく  部屋からの彼岸の雨の庭

少しだけ、青みが出てきた庭の草。

寒そうな雨の春の彼岸、妹達がきて妻と墓参りに行った。

晴れたなら私も連れて行ってもらえるのだが

しのつく雨では動きが取れない、母と留守番だ。

墓参りといっても墓地の一部は私の部屋から見える、

双眼鏡を使うと我家の墓も見える。

上空や電線を見るとカラスがいっぱい居る。

彼岸やお盆や納骨があると、お供物目当てに

何処で見張っているのか、すぐ集まってくる。

内緒にして独り占めしないところが中々民主的だ。

人が去るとすぐ片付けてくれる、喧嘩するでもなく居るので

どうやら配分も民主的なシステムがあるらしい。

願わくば家人が立ち去り姿が見えなくなってからにして

くれたら好もしいのだが、亡き人が賞味する間もなく

失敬する所が面白くない。

いかに頭のいいカラスもそこまでの機微は無いようだ。

双眼鏡から口にくわえたダンゴが見える。

母の作ったダンゴ、父は食べられただろうか。?

2008年3月18日 (火)

賞味期限切れ、

    Terebi くりっく

プツン!、・・・・突然テレビの画面が消えた。

停電か?私は新聞を読んでいたのだが、母がテレビの

リモコンをさかんにイジッテいる、電源は入っているらしい。

たまたま居た息子が、色々いじったけど埒が明かない。

妹のEさんのように横をはたいたが、ウンともスンとも。

電気屋のNさんに連絡、さすがプロ、ちょっと考えて即答

「あァ、あのテレビ14年目ですから、丁度いい機会かも」

(地デジ)の事も言っているらしい。

そんな事いわれても、ちっともこっちはいい機会じゃない。

Nさん、もう売れたつもりで「やはり大きい方がいいですよ」

さかんに大きいのを薦める、大きいのはお金も大きいから

とてもNさんの期待には副えない。

とりあえず2階にあった使ってないテレビを置いてみたら

すごく小さい、母は「字が読めないねェ」と。

母のためにも大きいほうがいいに決まっているが・・・

返事はそんな先延ばしにできない。

「大きいの、小さいの」「大きいの、小さいの」「大きいの、小さいの」

「大きいの、在庫ありますから」電話の向うでNさんの

笑い声が聞こえた。私は「大きいの、小さいの」「大きいの、小さいの」・・・・

2008年3月16日 (日)

波うつ、ジャガイモ畑、

    Jaga くりっく    ジャガイモ四姉妹  ?

きのう、桜の散る頃のような陽気。

畑をさくった後が、くねくねと波うって、なんか海のよう。

【春の海ひねもすのたりのたりかな】

「曲がっているな」なんて思うのは私くらいのもの。

誰一人、気にする者もおらず、作業は粛々と進む。

(男爵)と(北あかり)というジャガイモの種の植え付けだ。

きょねん、近所のMさんに(北あかり)を戴いて

食べたら、とてもおいしかったので今年は我家も、と言う次第。

いつも何かあるとき、終わり頃にやってきて「私も活躍したかった

のに」というような顔をする確信犯の三女N子さん、

どうしたことか昨日は一番乗り、天気の心配をしたのは

私だけではなかった、しかしそれも杞憂に終わり

(代りに大量の花粉だった)午前中、無事に作業はすんだ。

五月には緑の波うつ海・?のようになり七月には早収穫だ。

私もイライラすることなく監督業にいそしんだ・・?

我家初の(北あかり)の味、ちょっと興味津々。

後は雨を待つだけ。  ご苦労様でした。

2008年3月14日 (金)

花も実もある人生。

      Itirinn1 くりっく①  Itirinn2 くりっく②

この前の日曜に見たとき、梅の蕾みの具合が横一線だったが

昨日、十時のお茶の時、開く直前の梅の花を見つけた

屋根や外壁の板金の仕事をしてもらっている I 君に

私の行けない場所なので撮ってもらった。

I 君はお父さんを助けて家業の仕事をしている感心な

物静かな二枚目風の若者だ(まるで余談だが)

さすが健常者、手振れも無くきれいに撮ってくれた。

ついでに梅林の梅も撮ってもらった、やはりもう咲いていた。

一輪ではなく、いくつか咲いていたらしいが見た感じは

まさに梅一輪だ、飛駒に春が来た、間もなく満開になるだろう。

そして、今年こそ梅の実をいっぱい付けてくれるだろう。

私は妻の作ってくれる【梅ジャム】と【梅ジュース】を夢見る。

花の前に実を連想するのは不粋だが、写真を見ていたら

先走ってしまった。

去年、飛駒一帯不作だったので尚更そう思う。

花が咲き、実を結ぶ、なんていい響きだろう。

人生までそう願うのは、欲張りすぎだろうか。

2008年3月12日 (水)

日々の暮らしの中で、

 「お父さん、お昼温めてもらってね」

 「うん、わかった」

きょう妻は午前中ちょっとお出かけでそのまま勤めに出るという。

お昼になって食卓に着くと、母がレンジで温めたご飯と

大根の煮付けたものを出してくれた。

「熱くて手で持てない」といって布巾で包んできた。

よく見ると台布巾だった、ラップで包んであるので

問題ないのだが、ちょっと気になった。

でも、何か可笑しくなった、「母娘だなァ」と思った。

妻も何かにつけて、アバウトな所がある、目的が達成されれば

過程は問題じゃない、と云った考えらしい。

私は物事を「こうあるべきだ」とか「このほうが好もしい」と

こだわる性質だったが、この病気になってから考え方が

微妙に変わってきた。

妻や母もだが、義妹たちも似たような精神構造をしている。

この細事に拘泥しない【鷹揚さ】をもったこの人たちの

【アッケラカンさ】に、どの位わたしの心が救われたか知れない。

私は台布巾を見詰めながら感謝をした。

そして、ありがたく、おひるをいただいた。

2008年3月10日 (月)

一輪ほどの、

    Ume くりっく   きのう(3月9日)撮影

「位置についてェー」・・・「よォーい」・・・

みんな、お尻をあげて号砲を今か今かとまっている。

「どん!」といったら、いっせいにポンって開きそう。

【梅一輪、いちりんほどの温かさ】

この有名な句を、きのう梅ノ木とそのつぼみを見ていて

私はすこし疑った。

後、幾日で咲くか分らないが、この連中の中に

先駆けとなったりフライングする奴が出るとは思いにくい。

それとも、人間社会と同じで目端の利くやつと

たいてい出遅れる私のようなやつがいるのだろうか?

多分そうなんだろう、でなきゃあの句は生まれなかったろう。

いずれにしても咲けばいい、大輪か小輪かは問題ではない。

あちこちで梅の便りが聞こえる中、見ていて、もしかして

こやつ等全員、私と同じ(出遅れ組)か?・・と思ったら

一人笑ってしまった、なんかいとおしい気分になった。

数日で色々結論が出るだろう。

2008年3月 8日 (土)

歯がゆさにイライラ、

    Kouunnki くりっく

【春の喜び】のようなメロディーが流れてきそうな

穏かないい日だった。

義妹,Kさんが夫君Oさんを伴い、来週予定の

ジャガイモの植え付けの下こしらえの手伝いに来てくれた。

私も現場監督をすべく、電動いすに乗せてもらい

畑の点検・・?・に鋭意努めた・・?。

でも、見ていると手を出したくて仕方ない気持になる。

鎖につながれ、「おあづけ」をくったワン公の気分だ。

それでも見ているより、外ない。

そのうち、なんか眠たい感じになった、ゆるやかな南風が

見も心も弛緩させたのかも知れない。

あくびが続けて出た、私は舌打ちした。

動きたくても動けない状態で、気持もその意識も向う気で

それ処じゃないと言うのに、のどかにあくびとは

何事か!と思った。めずらしくイライラした。

多分、余人には理解にむずかしい心理だろう。

私は物置建築現場に戻り、その現場監督になった。

緊張感が発生して、気持が落ち着いた。

静かで穏かな生活だけが、幸福の条件とは

言えないのかな・?・・と思った。

2008年3月 6日 (木)

ささやかな建て前。

   Tatemae くりっく

いよいよ、物置の建築が始まった。

建て前風景だ、こんな小さな建物でも手伝いの人も

入れると6人掛かりだ。

平屋の建物だが私は見ていると少し怖くなった。

私がこの病気になる前は山に登り、岩を攀じっていたので

高い所や不安定な所もヘッチャラだったが

脊髄損傷や頚髄損傷という病気や怪我を知ってからは

高い所に乗る事や危険なスポーツをみていると

怖くて身のすくむ思いがする、この小さな建て前でも

何事もない事を祈って見ていた。

物置だから多分2~3週間で出来てしまうと思うが

出来上がる事より無事終って欲しいと願う。

思えば、随分自分も臆病になったものだ。

昔の山仲間に「チキン野朗になったなァ、たくちゃんも」と

笑われそうだ、でも付け足してくれるだろう。

「いいじゃない、若くないのだし、みんな色んな意味で

臆病になってるし」・・「ふむっふむっ、まァね」・・・

これが終ると図書室が始まる、又「ひやひや」だ。

2008年3月 4日 (火)

【広報さの】

    Kouhou2 くりっく

絶対に載せまいと思っていたが・・・

文章ではどうにも纏らない、悔しいけど、はげ頭を衆目に

さらす覚悟をした。

実物は、も少してっぺんにも毛があるのに

広報のEさん、「あるように見せますから」と云ったのに

まっ、いいや、一回晒してしまえば後は怖いもの無しだ。

1ヶ月ほど前、我が佐野市の【広報さの】の記事にしたいので、

と言う話が現実になり、きのう配布されてきた。

載ったからどうと言う事はないだろうが、版画の事が

少しでも知れる事になったら嬉しい。

リアクションはそんなに期待できないが誰かが

「へェ、」と思ってもらえたら、はげ頭を晒した価値があると

言うものだ。

妻は「あっはっはっ」馬鹿にして笑っている。

「やっぱり帽子でもかぶれば良かったかなァ」

2008年3月 2日 (日)

塩釜様の祭礼、

   Sisimai1  くりっく    Sisimai2 くりっく

今日は我が、鍋沢地区の塩釜神社の祭礼の日だ。

写真は神社から降りてきて下の広場で神への

獅子舞の奉納風景だ。

年々、少しずつ寂れていて今や瀕死の状態だ。

飛駒の中でも、あちこちと色んな祭礼が形骸化してしまっている。

私の好きなこのお祭りも、この先どの位存続できるか

怪しげな状況だ。

毎年、塩釜神社の祭礼は天気が大荒れになるのが

大半だが今日はめずらしく静かないい日だった。

私は何かご神体が覆い護ってくれているような気分になった。

にも拘らず、笛の音も、踊り子のしょう鼓の音も

私の耳には、なぜか【哀調】としか聴こえなかった。

この鍋沢地区最大のイベント【しおがま様】の祭りが

若者が街に流出し人口減少の今、復調とは言わぬが

年配者が「今年も踊りが見れた」と言う言葉を

この先も、ずーと聞きたいと思う、いや願う。

何より私自身が帰路思わず「良かった、今年も塩釜様の

踊りが見る事が出来た」と後を押してくれる妻に呟いていた。

そして、うなずく妻のけはいが感じ取れた。

2008年2月28日 (木)

モズ太、参上

    Mozuta_2 くりっく

写真は もずのモズ太君

  栃木県出身、推定年齢(人間換算)30歳。

  少し膨らんできた梅のつぼみに囲まれてのショット。

  性格・・温厚、ただしお酒を余分にたしなむ、

  現在、花嫁募集中(手がかりの気配すら見えない)

  勤労意欲まずまず、 年収・・それなり。

  趣味、 スノボ・・・・あれっ、なんか変・・、

どの辺からかモズ太君とうちの息子と入れ替わっている。

まっ、いいや、どっちも似たようなものだ。

やっと撮れた一枚、(でも、てぶれだ)

一見、思慮深いような風だが考え事したりする事あるのだろうか?

見ていると、どうもそうではなく今の事しか考えていないようだ、・・

将来のことを心配しない生活、今だけを考えればいい生活、

割り切ってしまえば気楽で幸せな過し方だ、羨ましい。

だが、しかしそれじゃ困る、その辺もモズ太君と息子は似てる、

困った、困った。モズ太君はいいけど、息子は困る・・・

いや、これは論理に反する、モズ太君も困る。

モズ太君、私が息子を説得するから君も考え給え、・・説得かァ・・・

無理っぽいなァ、君からも言ってくれ給え。

2008年2月24日 (日)

楽しい日曜日、

    Yukinoasa くりっく   寒そうな シェンタ君

朝、「わァ、雪だ」 と妻の声。

写真はそれから一時間後のもの。

今日は妻が、昼前から夕方までお出かけの予定、

その前に散歩の予定だったがこの雪では、又来週だ。

「じゃァ、早めに行くから」と妻は楽しそうにいそいそ。

母は妹のE子さんと買い物、

息子はスノーボード(いいかげん、嫁もらえ)

仕方ないから私は一人静かにお留守番。

でも、そのお陰で昔懐かし、一時期聴いた事のある

ラジオ【オールナイトニッポン】特別版をのんびり聴いた。

独身の頃聴いた記憶なので、35年ぶり位だろうか?

ラジオの出演者も余り変わってない感じで(頭の中身)

自分も含めみんな進歩してないのかなァ、と思う。

妻の作ったおにぎりを頬ばり、庭の雪煙をみて

【オールナイトニッポン】(昼なのに)を聴く。

なにやら裏寂しくも寒々しい日曜日だ。

こんな日もある、ありがたくお受けしよう。「あァ、たのしい」

まさしく、負け惜しみだ。

2008年2月22日 (金)

安宅の関、

ここの所の暖かさの所為か

来客がぼつぼつとある、義母はいつも居間にいる、その前を

通らないと私の部屋に来る事が出来ないと言う寸法なので、

言ってみるとそこは関所のようなものだ。

お客さんが見えると、すこしの間を置いて母は菓子などを

添えてお茶を持って来てくれる。

少し背中の丸くなった母が頭を下げ、訪問を歓ぶ意を伝えると

とても丁重な挨拶の場、と言う雰囲気が生まれる。

訪のうてくれた人は一様に威儀を正す。

そのやり取りを見ているとちょっと意地悪だが

ぎこちなさが面白い、しかし私はそういう時のその場が好きだ。

そして、その場をすっ・・と母は下がる。

さすが、年の功、と私はいつも感服する。

客人は帰りも居間の前で丁重に挨拶をして帰ってくれる。

母はまるで、安宅の関の富樫のようだ。

今日も訪ねる人あり、その訪問に感謝し、

そしてそのプロローグを整えてくれる母に感謝する。

さらに、その余韻もありがたく思う。

2008年2月20日 (水)

空だけの春、

    Ume くりっく

春一番と間違えそうな、南からの微風。

きょうだけなのか、まるで春のよう。

蒼穹に透かしてみると、真一文字に結んだ唇のように

頑なに固く結んだ、我家の梅のつぼみ。

ふむっ、まったく春を認めんぞ、の気配。

あまた小鳥も来るけど、うぐいすなどはあと一月さきか?

昨日までは温暖化が信じられない。

義妹のEさんの旦那、S君が小枝を払いに来てくれた。

本来は晩秋に父の仕事だった、そして私の仕事になる筈だった。

S君に付き合ったが、私はただ見ているだけ、

手伝う方策を探したが何もなかった。

みていると楽しそうに見えて仕方ない。

不思議だが人のやってる事は何で楽しそうに見えるんだろう?

逆に人から見ると、私も楽しそうに見えるんだろうか?

もし、そうなら楽しそうなふりをしよう。

いや、ふりではなく、あくまで深い蒼穹を見詰めると

本当にそんな気分になってきた。

空には春が来ているのだが。

2008年2月18日 (月)

人類の偉大な・・・

午前中、リハビリに行ってきた。

前回、S先生と【闘うリハビリ】(NHK)の話をしたらビデオに

撮ってあると言う、今日聞いたら「まだ半分ほどしか見てないが

最新のリハビリはすごいね」・・なんとも頼りない返事。

S先生、50代なかば、最新から遠ざかっているらしい。

前回、立つ、と言う作用だけででも刺激を与えると下半身の

筋肉が発達(立てる、歩くは別の話し)すると言っていた事を

伝えたら、ビデオを見て、刺激されたようだ。

「今日は立って(まねだけ)みましょう」と言う。

もしかしたら、と私も心の準備はしていた、秘かに「やった!」

でも、それからが大変、平行棒に向かい合わせに立ち

膝と膝をあわせ、私の尻をひっぱる。

立ち上がった「高い、怖い」床に真っ直ぐ立ったのは

およそ三年ぶり、周りの景色がいつもと違う、2~3分だろうか

随分長く感じた。たったそれだけでヘトヘトになった、

先生も必死だった、小柄な先生にはちょっと過負荷だったか?

緊張も手伝ってか、「はァーはァー」いっていた。

いつもと変わらぬ病院であり、リハ室だが私にとっては大違い。

ガガーリンかアームストロング船長のような悪くない気分。

【偉大な一歩】か【大仕事】をなし終えた感じだ。

終った後の妻の入れてくれた紅茶が、「あァ、うまかった」

2008年2月16日 (土)

1日遅れのバレンタイン、

    Tyoko くりっく

きのう、2月15日朝の内「お父さん、ハイ」と

妻が私の机の上に怪しげな赤い箱を置いた。

「なに?」と私は聞いた、・・・わかっていたけど。

「先週買っといたの忘れていた」本当に忘れていたらしい。

たまたま引き出しを開けて思い出したとか。

危なく【赤福】や【白い恋人】と同じ賞味期限切れになる処だった。

でも「忘れるとは何事か」と怒るより先、頬が緩んでしまった。

去年はパート先で貰った1cm角のやつを2個だけ、

おととしは何にもなし、に比べたら大したビハインドではない。

しかし、この一連を思い返すと【枯れた愛】に思える。

「彼は近頃人間的に枯れてきたね」と言うと褒め言葉だが、

「愛が枯れてきた」はどうもいい言葉じゃない。

いまさら、どうこう言う年じゃないし、目くじらも大人気ない、

何事も無かったように流すのが大人と言うものだろう。

ただ、もったいぶって夕方まで食べなかったが、

食べてみたらその甘さにチョッピリ愛が感じられた。

へへっ、男なんて甘いもんだね。・・・てへへっ。

2008年2月14日 (木)

図書室、

  Satoimo くりっく  

その昔、といっても4半世紀まえぐらい、

我家も含めて子供がいっぱいいた、飛駒小も200人以上

いたと思う、今は過疎と少子化で6学年で60人あやしい。

その頃、妻はこども文庫を開いていた、周辺の子供達で

けっこう賑やかだった。  今は周りに子供がいない、

ここ10年ほど、その役目を終っている、妻にとっても

楽しい時期だったろう。

そしてこの図書室も取り壊しの対象だ。

私の部屋の隣に建て増しをして引越す予定だが、

問題はその本の処分、絵本から全集、単行本、文庫本

約4千冊ある、お気に入り、3分の1残して捨てると言う。

私の本も含まれている、この病気になってから、私は色んな

物を捨てた、過去との決別の意味もある、今又、本も捨てる。

寂しいがこれも人生の一つの道だ。

妻も寂しいだろう、一つの青春にピリオドだ。

淡々と片付けているように見えるが・・・・

本たちに感謝しよう、利用してくれた子供達にも感謝しよう、

この図書室にも感謝しよう。

与えてくれた一時代【一青春】にも感謝しよう。

せめて、私の作った看板だけでも新しい図書室に付けようか。

2008年2月12日 (火)

諦めない、とは

一昨日、昨日、二夜連続NHKで【闘うリハビリ】と言う番組があった。

色んな人の苦闘と気迫。見ていて『自分は未だ甘い』と

感じる。もしかしたら、それ以前かもしれない。

リハビリの現場もその研究も進んでいる。

「うーん」と見ていて考え込むシーンもあった。

安静が常識の脳梗塞の患者を二日目から(たち)(あるく)

訓練をさせる、結果は納得させられる内容だ。

まとめにリハビリの先生の言葉、「決して諦めないで

欲しいですね」と言う、聞いていて何となく違和感・・・

寝につきながら考えた「なんだろう、諦めてないのに

諦めるな、とは?」  よくよく考えたら【諦めない】とは

願う事と実行する事、に行き着いた。

自分はどの位実行したか?

少しは実行しているが、事態が好転するのを待つ気持が

強く働いていたような気がする。

待つ、のではなく、近づくために実行する。

【諦めない】とはそういう意味かもしれないと思った。

映像の中身は私の障害には当てはまらないかも知れないが、

【諦めない】は私にも当てはまる。

【諦めない】の為に何かを考え、何かを実行せねば、と

改めて考えた。

ただ、待つのではなく。

2008年2月 9日 (土)

開門、

きのう、N病院に外科と口腔外科の検診に行って来た。

Nさんに会った、・・と言うよりNさんから声を掛けてきた。

Nさんは左程親しいと言う間柄ではないがよく知っている人だ。

放射線治療が終わり、病状は安定しているとのこと、

早期だったのが幸いしたとのこと。

「死と向き合った頃、あんたに会いに行こうとしたけど

訪ねる勇気がなかった」と言う。

用事がなくても行き来する、と言う間柄でなかったので

「不用意に行って、歓迎されざる場合を思うと足を運べなかった」

と言う。  「あァ、思慮深い人だな」と思う。

言わんとするところ、私にもよく分る。

偶然の鉢合わせで、ひとつの垣根が取り除かれた気分だ。

多くの人が色んな垣根を持っている、

私もいっぱい持っている、

低い垣根で中がよく見えれば交流も広がり易いのだろうが、

中々簡単にそういう訳にはいかない。

「今度、行ってもいい?」と言う。「歓迎です,是非」と答える。

来てくれるかどうかは分らぬが、嬉しい言葉だ。

門を大きく開けておこう(門がないんだけど)

2008年2月 7日 (木)

本当にいいの、知らないよ。

きのう、市役所の広報課のEさんとYさん、二人見えた。

一週間前、コンタクトがあったものだ。

「市の広報の(話題の人)の取材をしたいのでお願いします」

「だれを?」と私、 Eさん「Mさん、あなたです」

私「・・・・だってあれは、人様の役に立ってる人とか今

活躍している人が載るんでしょ、私何にもしてないし・・」

Eさん「大丈夫です、Sさんの推薦もらってますし」

私「・・・じゃァ、まァ・どうぞ」

二人から色々聞かれて困った、私には自慢するもの、

誇れるもの何にもない、 どうやら一寸だけ知られてきた

私の【飛駒の野の花】の版画が対象なんだが、それだって

海のものとも山のものとも、と言うマイナーなものだ。

帰り際「こんなんで記事になりますか?」と心配すると

「充分です」と生真面目そうなEさんが太鼓判を押す。

これで纏め上げたら大風呂敷かほら吹き男爵だな、と思う。

「写真は勘弁を」と言うと「写真は載せなきゃ話になりません」

私の白髪でハゲ頭は何とか避けたかったのだが、

ここまで来たら、まな板の鯉だ。

帰っていく二人に聞こえないようにつぶやいた、

「どうなっても知らないよ」

3月号に載るらしい「知らないよ」私はも一度つぶやいた。

2008年2月 5日 (火)

更地が物語るもの、

      Sarati くりっく あっと言う間に雪がとけ乾いてしまった。

古い家が解体されアレレッ、と言う間に更地になってしまった。

ここまでサッパリすると思い出も感傷も蹴散らされてしまう。

先日、叔父のMさんが見え「甕か何か凄いもの出たかい?」

縁の下の小判とか掛け軸の類でも出て、いい思いが出来たら

ご相伴に預かろうと、ニコニコしている。

残念ながら期待に副えるもの、何も出なかった。

自慢じゃないが代々お金を溜め込んだと言う人物はいない、

日々体内のアルコール消毒にいそしむ者ばかりだったらしい。

負け惜しみではなく、喧嘩が起きなくていい。

その証拠に姉妹みんな和やかだ、さらに叔父も和やかに

帰っていった(最初から期待して無かったんだろうナ)

何にも出なくて良かったんだ。・・・・

重ねて言うが、負け惜しみ、でなく・・それにしてもなァ・・。

2008年2月 3日 (日)

雪のね(音)、

  Yuki2 くりっく

      『雪』        三好達治

  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

このシンプルな詩がすきだ、シンシンと降り積もる雪の夜

静寂と安堵感が少年達を深い眠りに落とし込む。

東京で寮生活のころ、ある雪の夜、T君が窓の外を見ながら

「雪が降ることをなんでシンシン、て言うんだろう?」

「シンシンは深々で深い静けさを雪がさらに音を消す様だよ」

Y君が文学的に解説する。

「ちがうよ、シンシンは雪の降る音そのものだよ」

新潟出身のO君が反論する、さらに続けて

「雪の降り積む側で耳をすますとちゃんとシンシンって

聞こえるんだ、水分の多い雪の時はシュンシュンって言うんだ」

私以外の3人は「うそだ」と言うような顔をした。

私は小さく膝を打った、私もシンシンを聞いたことがあったからだ。

中学の時、軒先にたたずみ静かにしゃがんでいた時だった。

翌日友達に話し、笑われた時から封印してしまっていたのだ。

それがO君の言葉で復活確信できた。今まだ雪は降り続いている、

夜まで続いたら、も一度窓を開けて「しんしん」を聴いてみよう。

シンシンはきっと、聞える筈だ。

2008年1月31日 (木)

永い旅の始まり、

木曜はリハビリの日、午前中 A病院へ行ってきた。

リハビリが終って妻が会計をしている時、玄関の方が

騒がしくなった、大勢付き添いをつれストレッチャーが

入ってきた、 医師一人、看護師4~5人、自治医大からの

救急搬送らしい、エビぞりになった一歳前後の児が

ストレッチャーに乗せられていた。【重い】と見た。

このA病院は色んな障害児を数多く受け入れている。

リハビリの都度見かけるので、慣れてゆく自分が怖い。

私の前を通過する時、目が合った。

実際は目が合ったのではなく、目がすれ違っただけだった。

その児の目ははるかを見ていた。

後からついてくる若い両親を見た、意外に明るかった。

以前の私なら、そのまま見遣るのだが、今の私には

二人の明るさの中の装った気丈さと懊悩が見えてしまう。

病室に向う一団の後尾の二人に声なき語り掛けをした。

「いっぱい愛してよ、がんばれよ、道は長いぞ、力みすぎるなよ」

三人のながい人生が始まるんだな、と思った。

なんの足しにもならないがしあわせ

見つけてほしい。と祈った。

2008年1月27日 (日)

神様の引越し、

古い家の裏には稲荷様と庚申様が祭ってあった。

道路の拡幅の余波でこのお二方も引越しを余儀なくされた。

時代の波には神様もあらがえない、黙って任せて下さった。?、

Inarisama2 半分伐られた樫グネと稲荷様Karizumai 仮の宿

道路が出来るまで二つの神様は仮住まいを強制された。

仮住まいを遷座と言うらしい、(神主・談)

父の盟友でもあった神主のKさんにお祭りをお願いした。

ついでに外便所【昔は外にあった】もお祓いしてもらった、

妹のE子さん「Mさんが言ってたけど便所をお祓いして貰わないと

×××が曲がっちゃうんだって、男も女も」見ると真顔で言っていた。

「まさかァ」であるが、ものはついで、念の為お願いした。

お祓いが済むと信じてなくても何となく安心するから、不思議だ。

いずれ、もう一度道路完成の暁に、安住の場所に移ってもらう

ことになる。 神様も二度も引越しじゃ容易じゃない。

何時になるか分らないが「どうど怒らないで下さい」と願う。

それにしても、樫グネを伐られるのを見るのは辛かった。

妻もなに思うかずーっと見詰めていた。

つらいのを我慢していたのだろう、拳を固く握っていた。

2008年1月25日 (金)

ライフライン打撃、

きのう朝、電話が通じなくなった。

テレビも見えなくなった。  水道も水が出なくなった。

昼前PCを起動するもインターネット【ページが表示できません】・・?

電話回線(ADSL)なので電話が不通だからPCもダメだった。

   Kaitai くりっく    ← 犯人の重機

解体屋さんの段取りミス、NTTと電気屋さんが来てケーブルを

取り外す前に、若い衆がフライング、電話線とテレビアンテナの

ケーブルを切ってしまった、おまけに水道メーターのボックスに

重機を乗り上げバルブを破損、水道とテレビは夕方復旧も

電話とPCは今日昼前まで使えなかった。

母はテレビが見えないので、さァ大変、暇つぶしに苦心、

里芋の皮むきや繕い物で時間をしのぐ【相撲の終盤には間に合う】

さらに「洗い物が出来ない」と嘆いていた。

山家といえども文明に馴染んだ身、母は大分ライフスタイルを

揺さぶられたようだ。(たまには好いかも知れない)

母は、なるたけ解体を見ないようにしている様だが

きのう一日、変な縁で解体とリンクしていた。

きょう私もやっとパソコンに向かう事が出来た。

________________________

スカイプというPC通話機能でKさんとHさんとお話が出来た、

Hさんは、たおやかな素敵な声だった、Kさんはだみ声(しつれい)だった。

2008年1月22日 (火)

さざ波の解体工事、

家の裏の道路拡幅の為、いよいよ昔の母屋を取り壊す。

20数年前まで住んでいた、築100年になろうと言う家だ。

  Omoya くりっく

約20年のあいだにスッカリ物置と化していた。

毎週のように妹達がきて片付けをしてくれたが、

結局中身は一部の物を除いて、燃やす物捨てる物ばかり、

解体屋さんが来て今日は下準備とサッシと障子襖類を

取り外ずした、彼らは外ずしたものをポンポン投げる。

どうせ捨てるのだが、も少し丁寧に・・と口から出そうになる。

私自身はこの家には数年しか住んでないが、いつの間にか

愛着が心に居ついていたらしい。

母も暫らく見ていたが、色んな思いや居た堪れなさ【多分】

せいか居間に引っ込んでしまった。嫁して60年、駆け巡る

思い、何も言わないがイッパイあるのだろう。

10日ばかり掛かるらしいが、その間母の胸にはさざ波が

幾度となく押し寄せるのだろう。

樫グネ【樫の木の生垣】を伐る時はもっと辛いだろうか、

仕方ない我家にも時代の波が押し寄せたのだ、と

あきらめ納得する事としよう。

思い返すと、もう今の家も20年になるのか・・・時代・・だな。

2008年1月20日 (日)

熊公の成仏を祈る日、

今朝、この冬一番の寒さ

十時頃、妻が庭の片付けを始めたので外へ出てみた、

風がないので思ったより寒くない。

裏の家の Iさんが来て手招きをする、

「いい物を見せてやる」と言う、「やな予感」がしながら

ついて行くと思ったとおり、

納屋の梁に大きながぶらさがっていた。

150Kgあると言う「きのう、岩穴で獲ってきた」と胸を張る。

電動車だから中に入れないがまさしく【大物】だ、

私は「すごいね」とは言ったが「よく獲ってきたね」とは

言えなかった、眠りを破られたが可哀そうと思った。

狩猟監視員でもある Iさんは気性のさっぱりした

気のいい人で私は好きだが、これがなきゃあなァと

時々ひそかに思う。

残念だがきょうはこの熊公の成仏を祈る日としよう。

私はそっと Iさんに分らないように手を合わせた。

私は又「すごいね」と云った、 Iさんは得意満面

満足そうな顔をしていた。

私はうらはら、背中で 熊公に合掌

2008年1月18日 (金)

庶民の味方、

  【アナウンサー僕ら庶民と言わないで】

きょうの毎日新聞の川柳の欄にあった一句、作者が

どの番組のどのアナウンサーを指したか知る由もないが

私は「ははァ・・」と思った。

3~4日まえ、朝の番組で ミノさんと言う司会者が言う。

「役人は何考えているんだろう、20度設定では庶民に死ねと

いう様なものだ」どうやら温暖化に対するエコや原油高の

対処法に部屋の設定温度を20度にと役人が提唱したらしい、

それに咬みついたものだが・・??我家の設定は19度、

まだ死なない、もったいなくて灯油を大事に使っている。

私はその時思った、「あァこの人の財力は灯油の値段など

感知させないんだな、庶民ではあるが経済的庶民ではないな」

こんな人に庶民の代表のような顔されたくないな、と。

世の中は広い「19度でよく我慢しているな」と言う人有れば

「うちはもっと我慢しているよ」と言う人もあるかもしれない。

どの方向からか、どの番組かで川柳の作者は

私と似たようなものを感じたらしい。

読んだ瞬間、私はニヤッとしてしまった。

価値観の近い人かな・?と思う。

決して、ミノさんを咎めたり糾弾しようなどとは、

マッサラない、  ただ近い人ではないな、・・・と。

2008年1月14日 (月)

もうすぐ春・・?

    我、飛駒は今日、微風快晴。

お散歩日和だ、が・・寒い、チベッタンのような格好をして

電動車に乗せてもらった、ちょいハヅカシの着膨れ。

  Tannpopo くりっく     Hotoketohuguri くりっく

まるで、「おきろ、おきろ」と鬨を告げるオンドリのよう、

たんぽぽが「はるだ、はるだよ」と精一杯の声を張る。

【おおいぬのふぐり】と【ほとけのざ】も陽だまりで

おっかなびっくり咲き出した。   でも、・・・

  Koori くりっく

日陰は氷が残っている、

これから未だ、一回や二回は雪が降るのでは、と

思うのだが、ちょっとフライングじゃなかろうか。

知らないよ、どうなっても。

でも、春の使者さきがけは、なんとなくうれしい。

寒かったけど、何となく嬉しいお散歩だった。

~はーるよこい、はーやくこい、あーるきはじめた

   ミーちゃんが、おんもにでたいとないている~

2008年1月12日 (土)

鏡開きで「さーて」、

   「お父さん、お昼・・」

 「あいよ」・・・・ 「あれ、おしるこ?」

「そう、鏡開きだから」そういえば昨日、神棚から

カビが生えたやつを下ろしていたっけ。

武家社会から始まったしきたりらしいので、仕事始めに刃物を

使う事を忌み嫌い、昔はカナズチや石で割って食したらしい。

我家は武家ではないので、妻は平気で包丁を持ち

カビをこそぎ落したり、切ったりしている。

私はこのお供えをおしるこにしたのは、どちらかと言うと

硬くて好きではない。 ただ、甘党なので

三割引ぐらいの気分で毎年食べる。「んん、かたい」

鏡開きが終ると正月気分を終らせなければならない。(らしい)

きょうから通常の生活をしよう・・・・?

と言っても、障害者で浪々の身では変化の仕様がない。

つまり、気分の問題と言う事だ。

「いい正月だったから、いい一年にしよう」 

これは気分の問題ではなく、気合の問題だ。

「さてっ」・・・・・

2008年1月10日 (木)

一つの終焉、

「お父さん、痛み止め飲みながらゴルフしてたんだね」

キャディバッグのなかみの整理をしながら

妻は言った、その手にはバファリンの箱があった。

私は悪戯を見咎められた子供のように、面を伏せた。

正月、娘一家が帰るとき娘が言った、

「お父さん、Sさんがゴルフを始めるというんだけど、もし

要らなかったらゴルフ道具ちょうだい?」(Sさんは娘の旦那)

私は瞬間とまどった、ゴルフ歴30年、そのセットは

20年使っていた、 今の私には全く無用のものに

なってしまったが思い入れは随分ある。

Sさんが娘を貰いに来た時のような気分になった、

簡単に渡したくなかった。

でも私は左程時間をおかず「ウン、いいよ」と云った。

頭を切り替える一つのチャンスでもあると考えた。

そして、送るためのキャディバッグの整理を始めた、

妻の語調には咎める響きはなかった、だけど

私は「愚かしい事をしていたもんだ」と思った。

ゴルフと私の病気の因果関係は全くないが、

痛みを押してまで、プレーをしたことを恥じ入る気分だった。

でも、「送ったよ」と妻が言ったとき、私は何かスッキリした。

何かが終ったな、と思った。

空いた空白に何かが始まるかも・・とも思った。

始まらないかも知れないが、区切りがついた、とも思った。

2008年1月 8日 (火)

初夢のヒロインが・・

毎週月曜日は、妻の参加する【オカリナアンサンブル】の

練習日、そのために私は早い時間のベッドのお留守番。

目が疲れたので本をやめてテレビを見る。

バラェティーの番組に、山本モナさんが出ていた。

私の初夢のヒロインだ。「ぎょ・・」

実は認識して見るのは初めて、

いつもはラジオで声だけ、(週一で大竹誠さんの番組(火))

可愛らしい声なので小柄なコマシャックレタ、女の子と

思っていたら、若い頃のイーデス、ハンソンさんの様な

知的な美人、イメージなんて当にならない、

と言うより私の耳力のなさだろう。

知っていたら多分夢に出演させなかったろう。

きょう、たまたま火曜でモナさんの声をラジオで聴いた。

やっぱり可愛らしい声で、顔と一致しない、

どうりで妻が鼻で笑って相手にしないと思った。

タイプじゃないと知っていたのだ。

やっぱり、モナさんは声だけにしておこう、声だけに限る。

「大きなお世話、勝手にしろ」・・・・・もな・・談

2008年1月 6日 (日)

大事な大事な家族、

   妻のレンタルしてきたDVDを見た。

「村の写真集」・・藤 竜也、主演の湖底に沈むかもしれない

村の各家を一軒ずつ写真に収め、写真集を作ろうという

村役場の企画の物語だ。

一人暮らしのお婆さんから大所帯の集合写真まで

一軒一軒めぐってカメラに収めていく村の写真屋のストーリー。

何の変哲もない映画だが、妙に心に引っかかる、

そういえば我家も元旦に集合写真を撮った。

   Sany0030我家の集合写真   

我家の次男坊と姪のKさんが欠けただけの

ほぼフルキャストだ。

映画の中で、写真の中の誰かが亡くなったシーンは

随分、重く感じた。

これから毎年、写真を撮っていこうと思う、

願わくば写真のメンバーが増える事があっても

減ることなくアルバムが重ねられて行って欲しい。

【みんながいつも元気に】とは日頃から思っているが

映画を見た後の所為か、いつになく強く思った。

みんな大事な、家族だから。

2008年1月 4日 (金)

夢のような初夢、

3日の明け方、初夢を見た。

年が明けて始めて見たので初夢と言うこと事にしておこう。

大きなソファに私は足を組んでくつろいでいた。

となりに山本モナさん、・・??・・なんだ?よく知らないんだけど

年代的には山本リンダのほうが近いから知ってるんだけど「かーちゃん

あのー二人の間にはなにもありませんから」・・そんな心配いらないか。

そのモナさんが私の足をギュゥ、とつねる。(自分の足より長い?)

「いたっ、モナさん 何するんですか」・・なぜか名前知っている、

私は足を組みかえる、瞬間「あっ、足が動く、痛みを感じる」

心がゆれる、そして目が覚めた。

私の心の中の【対策委員会】は半ば諦め、方針変更を

練り始めたというのに、芯の部分は未だ諦めていなかった。

「正夢か?」足を動かす作業をしてみる、そんなに

世の中甘くない、ピクリともしない「うーん」

ちょっとガッカリするが、夢のような夢、悪い夢ではない。

現実と夢と二刀流か、ふむ、わるくない・・・か、

モナさん、ありがとう、・・うーん、よくわからん、

文化放送で【ラジオ】午後週一回声は聴くけど、顔は知らない。

どうでもいいけど、「モナさんありがとう」

新しい年に向けて、いい初夢でした。

「かーちゃん、ほんとになにもありませんから、モナさんとは」・・「ばかっ」・・

2008年1月 2日 (水)

肩を張らずに、

    あけ初めし年を、こころよく迎えた事と思います。

 この星の公転が、つつが無きよう、

 そして、みんなが少しでも幸せを感じられる

 年となりますよう。

     Gajou くりっく

 一年の計は元旦にあり・・・

 でも、何にも計画立ちませんでした、

 昨日の続きの今日、今日の続きの明日

 強いて言うとこんな所です。

 今年も宜しくお願いいたします。

2007年12月31日 (月)

たのしい餅つき、

ターン、ターン、餅をつくいい音が

静かな飛駒の空に響き吸い込まれていく。

・・・・処が人間の声がやかましくてそういう風情ではない。

 1 Koti1  2 Moti2 3 Moti3  

1、こんなに大勢いるんだもの、2、臼も杵も温ためたし、

3、薪の心配はないし、セイロでもち米もふけたし。

 4 Moti4  5 Moti5  6 Moti6

4、一番肝心の搗くまえのこね、近頃とみに腕を上げたOさん、

5、どちらもベテランの二人、見てて安心、

6、どしろうとの二人、緊張と不安、見てる方が力が入る。

 7 Moti7  8 Moti8

7、延ばし作業、ここでも「ああじゃねェ、こうじゃねェ」

8、今は便利、ビニール袋にいれて、のし棒で出来上がり。

働く人、見てる人(働かないひと)食べるだけの人(私)

動かないで口だけのお奉行様、総勢21人、

遠路駆けつけてくれた、叔父や秩父からの信ちゃん、

そして、みんな、ご苦労様。

 来る年への願いを込め、今年一年への感謝をし

そして、子孫繁栄の象徴でもあり、正月の料理としての

年の締めくくりの行事、お餅つき が無事に終った。

 今年も無事に・・?? 終った。ありがたい。

皆様のよき年を迎えられん事を。

2007年12月29日 (土)

にもかかわりなく、

人々のささやかな喜びも

人々の肩抱き合う歓喜も

人々の果たした夢も

人々のかかえ進む希望も

人々の悲しみも

人々の一人耐える辛苦も

人々の共に流す涙も

人々の潰えた夢も、希望も

それらにまなこを大きく開いたり

胸打ち震わせたりする

人々の一喜一憂にも

まるで関わりなく、年は暮れそして明ける

また、同じことが繰り返される

でも、それが今生きてる証

また、一つ歳を重ねる

また、一喜一憂が始まる。

2007年12月27日 (木)

やぶ椿、 寒椿、

         Kanntubaki_2くりっく

「あれっ、つぼみが赤くなってる」 「あァ、ほんとうに」

先日、落ち葉焚きをしたとき見た(やぶ椿)だ。

その時、妻が切って挿しておいたものが、今朝咲いた。

「何でこんなに早く咲くんだろ?」

「寒椿だからよ」・・・・?「だって、これやぶ椿だよ」

「なんの椿だって、寒い時咲けば寒椿っていうの!」

妻の論理は相変わらず強引だ。

10年ほど前、知り合いの T 君の山から酒一升で

二尺くらいのものを12~3本もらってきたものだ。

初めて見かけたが、去年あたりも咲いてたかもしれない。

やぶ椿と寒椿を検索すると、寒椿はサザンカの仲間らしい、

でも、具体的なことはよく分らなかった。

「まァ、いいか」 この歳になると探究心の衰えだけでなく

人生、物事を追求して結論をえた先が必ずしもハッピーでは

ないと言うことを肌で感じたりする。

椿に関して曖昧であっても人様に迷惑が掛かる訳じゃなし

曖昧の方が丸く収まりがいい。【花を愛でる心あるや佳し】

私の心、知るや知らずや「寒椿きれいねェ」と妻は言った。

2007年12月25日 (火)

クリスマスがやってきた、

      Keki くりっく

「こいつ、生意気にメリークリスマスなんてプレートが」

「ふふっ、そうよ これでもレッキとしたクリスマスケーキよ」

伯母さんの見舞いに出かけた妻に頼んだものだ。

「帰り、憶えていたらデコレーションとは云わないから

ショートケーキ買って来て、コンビニにあるらしいから」

T さんがいっていた「セブンイレブンのケーキがうまい」に

おおいに刺激されたものだ。

子供が成長してからは、キリスト教徒でない我家から

ケーキもツリーも絶えて久しい。

キャンドルもクリスマスソングもないけど、

妙に照れくさいような嬉しさが湧いてきた。

母も「へェ」 と意外なものを見るような目をして

おいしそうに食べる。

交響曲第九も聴いたし、クリスマスも済ましたし・・??

後は30日の餅つきだけだ、そしたらお正月だ。

いい年だった、・・・・としよう。

「ん・?うん、もちろんおいしいケーキだったよ」

2007年12月24日 (月)

同じ時、同じ場所、

足利市民会館大ホール、同じ日、同じ場所に私はいた。

車椅子の人は他にいないので、そのスペースは私と妻だけ。

群馬交響楽団(プロ)と足利合唱団(アマ)による

年末恒例の【第九】のコンサート会場だ。

去年初めて、全楽,聞いた、今年は二度目だ。

年末に【第九】とはよく聞くが何故なのか私は知らない、

(四国に有った捕虜収容所の外国人兵士が起源とか・・?)

そして、その意味も分らなかった、きのう二度目の【第九】

聞いて「あァ、こう云うことか」と思った。(的外れと思うが)

クライマックスの歓喜の歌声を聴きながら

「ここで聴いて一年経ったんだなァ、あっという間だったけど

色んなことがあった、つらい事も楽しいことも色々と

織り交ざって、今又ここにいる」 違う年、同じ日、同じ場所で

自分史の比較をする、そして私の場合はそれらの出来事が

となりで聴いている妻のフォローなしでは、何も語れない。

心の昂揚と共に、諸々の人や妻への感謝の念で

つい、不覚の涙が流れる。 「どうしたの?」と妻、

「ん、・・なにが?」私はとぼける、暗い客席が救ってくれる。

来年もまた、この日この場所【第九】に私は在るだろうか、

私は小さく「さァーて・・・・」と云った。

2007年12月22日 (土)

火を囲みて和をなす、

           Sirohebi くりっく

天に昇る、白龍のような煙・・?そんなかっこよくない?

実物はそう見えたけど写真ではそれほどでもなかった。

午前中、妻が「外出てみる?」

私は首を振りながら云った「寒そうだから出ない」

陽が出なくていかにも寒そうだった。

妻は栗林の落葉タキを始めた、眺めていたら庭に行きたくなった、

でも今更「やっぱり行く」とは云えない。

昼食後「午後、外出る?」と妻、即座に私は「うん」

2時間ほど落葉タキを手伝う(見ているだけだけど)

私は健常なころ、よく焼き芋をしてそのたき火の火を

眺めているのが好きだった、暗くなり寒くなった頃、

火を見ていると、太古の人たちが祭りに火を使ったのが

理解できるような気分になる。

私が酒が飲め酔うたなら、多分踊りだすのではと思う、

火はそういう魔力が有るような気がする。

注、あくまでもたき火であって、火事の火ではないので、誤解なきよう。

思うに昔、家の中で火を使っていた頃、その火を囲んで家族の

が保たれていたのではないだろうか、【囲炉裏とか暖炉など】

きょうは妻と火を囲んだのでが生まれたろうか・・?。

寒かったけど、風の少ないたき火日和だった。

2007年12月20日 (木)

良いお年を、

リハビリの後、内科に掛かった。

きょうは、担当のS先生の今年最後の診察日になる。

打診、聴診、血圧と診て S先生「概ね、いいようです、

お薬は正月をはさむので三週間分多めに出しときます」

私「はい、有り難うございました、お世話様でした」と

辞する旨つたえる。

車椅子の場合は診察室に入った時と同じ方向で

出なければならない、妻がバックしながらドアの所へ

来た時、先生「Mさん、良いお年を」と言う。

私はちょっと、うろたえる、先生がそういう言葉を

云うのは以外だったし、未だその言葉は早いのでは、

との思いで虚を衝かれた感じだった。

「有り難うございます、どうど先生も」永年の接客業が

体勢を立て直してくれる。病院を出てから考えた、

12月20日、良い年を、といってもちっともおかしくない、

毎日が日曜のような生活のせいか、新しい年がすぐ

そこまで迫っているのに良く分っていなかったようだ。

先生の言葉以降、急に慌ただしい気分になり、一人で

苦笑した。健常の頃の暮れの緊張感が懐かしくなり

今の緩んだ気持を寂しく思った。

あすはN病院の外科に行く、「O先生、良いお年を」と

云ってみようか。

2007年12月18日 (火)

白い朝の夢、

         Simo クリック

けさ、この冬一番の雪と見紛うばかりの強い霜、

     しもばしら

 ざくざく、ざくざく 白いあさ

 ざくざく、ざくざく しもばしら

 ざくざく、ざくざく 足あとついた

 ざくざく、ざくざく あるけあるけ

 ざくざく、ざくざく 白いいき

 ざくざく、ざくざく 白いあさ

多分こんな感じの詩だったと思う。

4年生の時の詩集【山なみ】に載せてもらった詩だ。

でも先生の添削でイメージが変わり、口には出せぬが

すこし不満だった記憶がある。

けさの霜を見て思い出した、50年前の白いセピア色だ。

当時、畑は10cm以上の霜柱があったりしたものだ。

今は見かけない気がするが、どうだろう?

今、車椅子の私は二条の轍(わだち)だが、

ざくざく、ざくざく 足あとついた・・は

私のつかのまの、白い朝の夢だった。

2007年12月16日 (日)

セピア色から見えたもの、

        Nikki くりっく

「takumiさん、これ読んでみる?結構面白いみたい」

妹のK子さんから渡された、いわくありげな一冊。

見ると父(義父)の日記だ、取り壊しの決まった昔の母屋の

片付けをしていて見つけたらしい。

昭和15年、父16歳の時のものだ(見つかったのはこれだけらしい)

67年も前のものだ。奇しくも皇紀2600年に当たる(らしい)

皇紀2600年といえば・・・・・?・・私は知らないので省略。

知りたい人はあと33年生きると2700年になるので・・・・

男6人女4人の兄弟の末子である父が跡継ぎであった。(された)

文面からすると、この時既に家長たらんとの自覚が

あちこちに見える、兄、姉は都会に出て、父母は年老い

16歳で稼ぎ頭であった。変化の無い山家暮らしだったが、

それなりの青春はあった。が、疎開してきた母との出会いは、

更に後年の事なので色気はサッパリ無かったようだ。

山の中なので戦時色は薄いが、巻末の大晦日には

【一日一日良く学びよく働くこそ非常時下の我等の

務めではないか】16歳で家を支え、国を思う父、

セピア色に染まる日記を読み、24年間同居し昨年

亡くなった父に改めて脱帽。

当時の少年達にも脱帽、敬服。日記の発見者にも敬意。

2007年12月14日 (金)

湯たんぽVS洗濯機、

きのう、電気屋のNさんが洗濯機を持ってきた。

世の中は皮肉も潜んでいて、良かれと思う事を

実行すると裏目が出て、悔やんだりする事は

そんなに珍しい事ではない。

信ずる気持が強ければ強いほど裏目のダメージは大きい。

近頃、妻の叔父のMさんのブログに、湯たんぽ礼賛の

記事が乗っていた、コメントもおおむね、賛意をもって

迎えていたようだ、まるで万能の神器のごとく称えている。

私も異論はなかった、しかし私と妻は思い知らされた。

湯たんぽ礼賛はあまい,湯たんぽは凶器だ、と。

妻は毎朝、湯たんぽの湯を洗濯機に使っている。

モッタイナイ、の精神は正しい、しかし一昨日の朝、

妻は何と湯たんぽを中身ごと洗濯槽の中に手を滑らせた、

にぶい音をたてて、洗濯槽は20cmほどヒビ割れた。

致命的だ、我家のゴツイ、ブリキ製の湯たんぽは

ビクともしない。どうせなら湯たんぽが壊れれば

良かったのに、ニヤリ、笑う電気屋のNさんの顔が浮ぶ、

これが世の中の摂理なのか?

湯たんぽ万能思想は危険だ、と声を大にして云いたい。

ただし、昨夜も妻の足を暖める仕事をこなした

湯たんぽを捨てるわけにはいかない、皮肉だが。

2007年12月12日 (水)

孤高のハエ、

    Hae くりっく

【やれ打つな、ハエが手をする足をする】

暖冬の所為だろうか、それともこいつが特別の生命力か、

4~5日前から私の部屋に居座っている。

あろうことか、私の薄くなった前頭部がお気に入りらしい。

じっとしているならまだしも、フィールド代わりに歩き回る。

ハエタタキを手にしたが、こやつは手を摺らない、

一茶のハエのように、命乞いをしない、何か気圧される。

「お前の命運はこの手にあるんだぞ」と威嚇するも

動じない、暫らく,にらめっこをしたが命乞いをしない、

そこへ妻が来た、「あっ、ハエが」と私の手から

ハエタタキを取ってかまえた、「一寸、待って」

私はその瞬間、気が変わった、

その度胸と(?)気位と(?)生命力に敬意を持った。

それに、この部屋を,終の棲家,と決めたのかも知れない。

そう思ったら、むげに打ち据えるのは忍びない。

妻はやな顔をしたが、私は食客として迎える事にした。

この五月蝿いやつが、この先どの位生きるか?、

共存生活が始まったことになる。

「あまり、なれなれしくするなよ」

2007年12月10日 (月)

あぁ、恥ずかしかった。

「はい、どうぞ」可愛い店員さんがソフトクリームを目の前に

差し出す、私は反射的に「ありがとう」と受け取ってしまった。

まずいぞ、なんかまずいぞ、と思う。

リハビリの帰り、近頃出来た、集合型商業施設の一角の

スーパー。初めてなので妻に誘われ入ってみた。広い!

屋上の駐車場からエレベーターで降りた。

買い物が終わって「お父さん、ソフトクリーム食べる」と妻

恥ずかしいが私はそれが大好きなので「うん」と答えた。

妻はお金を払い、車椅子を押す、「まずい」

エレベーターまで40M程ある、衆人環視のなか

還暦のジイさんがソフトクリームを持って車椅子で進む

どう見ても絵にならないだろう、 誰が見てる訳じゃないが

恥ずかしくて、私の目は宙をさまよい、地を這う、

「エレベーターへ早く着いてくれ」長い道のりに感じた。

分ってたら車で待ってたのに、食べるなんて

言わなかったのに、暑いわけじゃないんだから。

「あぁ、恥ずかしかった」誰が見てるわけじゃないが

とても恥ずかしかった。

車に乗り、落ち着いて食べたソフトクリームは

微妙な気分だが、やっぱり美味しかった。

2007年12月 8日 (土)

夢のような研究、

きのう、テレビニュースで万能細胞の事を伝えていた。

皮膚細胞から様々な細胞を培養させて広い範囲の

病気や障害に応用できそうな、夢のような、研究らしい。

ニュースは半月ほど前、京大が成功させたがアメリカの

大学が今度はマウスで実験を成功させたと、・・・

このままでは日本は負けてしまう、世界に後れを取る、・・

私は自分の障害にまるで無縁ではない研究なので

とても関心がある。血管障害、半身麻痺、心臓、

更に脳にまで影響を及ぼすかもしれないと言う研究が

成功したなら、恩恵を受けられる人は計り知れない。

そのような事柄に勝ち負けの話は、何か違和感を感じた。

江戸の火事ではあるまいし、どの組が纏を挙げようが

病人や障害者には関係ないことだ。

でも、視点を変えると、競争すると、より早く、より確実な

結果に結びつくかもしれない。

多くの人の苦しみをとりのぞき、また見守る人の労苦が

なくなる時が早く来て欲しい。

そして夢ではなく、現実として成功して欲しいと願う。

まだまだ、先の話らしいが。

2007年12月 6日 (木)

退院、

電気屋さんのNさんが帰っていった。

入院していた、我 パソ、コンがメーカー修理から帰ってきた。

先日のNさん「うちの若い衆(し)でP,Cにめっぽう強いのが

居るんで、なに遅くとも2,3日中には・・」それが、どうだ!、

12日も掛かった、長かった。

Nさん、大きい身体をすくめながら入ってきた。

色々と訳を聞いてみたが、どうも要領を得ない。

Nさん、説明(言い訳)するのだが、どうやら

言ってる方も、聞いてる方もP,Cに強くない事が判明。

とにかく、直ったんだからいいや、と言う事で決着。

作業が終って、Nさん、そっと請求書をさしだす、

「メーカーに交渉して5万いくらの処を1万ちょっとに

させましたから、保障期間そんなに過ぎてないんで」と

胸を張る、私はなぜかお金の事、全く考えてなかった。

なんとなく損をした気分、考えてみたら、2,3日で

直るはずが、12日も掛かったので、

被害者意識が芽生えていたらしい、そんなことも

知らぬ気にNさんは「まいど!」と元気に帰っていった。

まっ、とにかく直ったんだから、いいかっ。・・・・

ささやかながら、復活しました。

2007年11月21日 (水)

根古屋まつり、