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2008年11月

2008年11月28日 (金)

S君から冬の便り、

福島に住む友人S君から宅配便でリンゴが届いた。

私も母も荷解きが出来ないので、息子か妻が帰ってくるまで

〔おあずけ〕だ。S君とは東京にいた頃、仕事の関係の

講習会で知り合った。以来30数年の付き合いだ。

二つ歳下の彼は私に対して、ちょっとしたライバル心を

持っていたようだ、私が結婚をすると暫らくして結婚をし

私が独立の為、東京を引き上げると暫らくして彼も故郷の

福島に帰り独立した、私が車を買ったと言うと似たタイプの

車を買った、私がゴルフを始めると彼も始めた。

極めつけは私が病気で車椅子の世話になると、一月後

彼は足に大怪我を負い4年後の今も後遺症に苦しんでいる。

その事を知った時は二人共お互い絶句した。

でも彼の場合はビッコをひいて痛がりながらも仕事に

復帰している、最後まで私を追わなくて良かったと思っている。

リンゴの御礼の電話をしたら「先日久しぶりにゴルフに

行ってきたが散々な目にあい、もうやめだ」と言っていた。

言葉とは裏腹、声は元気だった「春になったら会いに行くか

らね」リンゴもうれしいが来春の邂逅もうれしい。

二年ぶりだろうか。S君も来春は還暦だ。

2008年11月26日 (水)

そんなつもりないのに、

今日は皮膚科の診察日、診察は午後しかない。

午前中のリハビリとの間に少しの時間があるので

近くの大型商業施設へ食事に行った。障害者用の

駐車スペースは8台分ある、明らかに健常者でなければ

乗らないような車も何台かある、でもこれは本人の意識に

悲しいかな依存するほかない。

でも今日の話しは別、  食べ終わって駐車場へ来たら

隣の隣のスペースに車が入ってきた、助手席から70歳位の

男の人が降りてきた、多分脳梗塞であろう、覚束なく

4本足の杖を使っている、夫人であろう人が車から車椅子を

出す支度をする、まだ手際が慣れていない。

その男性は車から降りる前から私を見ていた、降りてからも

車椅子を待つ間も車椅子に乗ってからも私を見ていた。

まるで野良犬同士が不測に出くわして、けん制しながら

お互いの力量を推し量っているような感じだ。(笑えた)

障害者同士、ついつい秤にかけ、自分は自分だから彼我の

違いを量っても仕方ないと分りつつも、つい量ってしまう。

私自身も少なくなったとはいえまだ、その傾向はある。

私は少し下がって道を譲る、その人は〔自分の方が軽度かな〕

と納得顔で私の前を通る。私は複雑な気分になった。

なにか今もその複雑気分は続いている。

健常者には難解な話かもしれない、かな?

2008年11月24日 (月)

え~っと、次の賑やかは、

三連休が終る、といっても自分にはこよみは関係ない

のだが・・・でも何となく寂しい。

土曜日、父方の叔父叔母の法事があった。

日曜日、母方の叔父が遊びに来てくれた。

今日は趣味の会の幹事Mさんが来てくれた。

機動力のない私は人の訪問がとても嬉しい。

そして休日は妻も一日中身近にいるので、やかましいが

安心感が嬉しい。

明日から又、母と二人の静かな日常が来る、

母との静かな時間空間は嫌いじゃないのだけれど

賑やかさの後はどうも寂寥感に支配されるようだ。

晩秋・・?初冬・・と言う季節がどうもいけない。

春は遠いなァ、そしてあんなに憎らしかった夏が

今はとても懐かしい、更に遠いなァ。

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2008年11月21日 (金)

靴下

    Sox くりっく

「寒くなったので靴下を履かせなきゃ」

「なるほど、木の足だって寒いだろうからな」瞬間、私は

本気でそう思った、もちろん瞬間だけ、だが。

床との摩擦の緩衝材ということは、すぐに気がついた。

瞬間とはいえ健常者の人には理解できないだろうが、

私の感覚のない足や腰にも靴下やスパッツが必要なように

木の足にも、と錯覚をしてしまったのだ。

私は言葉に出さないでよかった・・と一人苦笑いをした。

この机と椅子は娘の旦那Sさんから妻に送られたものだが

その際、私のつまらない軽口を娘が咎め、ちょっと齟齬を

きたした。私は許容範囲のジョークと思っているので

謝る事はないし、謝ったら娘を困らす事になるだろう、と

思っている、ただSさんには釈明せねばとも思っている。

木の足に靴下を履かせたのは一週間ほど前だが、以来

この靴下を見るたび、その事が頭をよぎる。

妻はこれらを便利に使っている。私もついでに重宝している

改めてSさんありがとう。 

今日も靴下は温かそうに納まっている、

2008年11月19日 (水)

諸行無常、

午前中、隣接の足利市に行ってきた。

ゴルフ仲間だったSちゃんの父君が3年半の闘病の末

亡くなられた、その葬儀に出席してきた。

会葬者に久々の顔もいくつかあった、中には声をかけても

一拍二拍置いてやっと気づいてくれると言う人もいた、そんなに

私は面代わりしたのだろうか?・・逆に僅かの間に髪の毛が

私とスクラッチになってしまった人もいた。(親近感)

ほぼ4年ぶりという人が多かったが、4年と言う歳月が随分の

時間の経過を物語り、無常感をも実感した。

Sちゃんとは話が出来なかったが、少し疲れが顔に見えた。

看病や葬儀の施主と言う事で疲れたのかもしれない。

今となっては亡くなった人より生きている人が元気でいて

もらわねばならない。

飛駒街道の帰路、前を行く大型トラックの巻き上げるつむじ風で

枯れ落ちた沢山の葉っぱがカラカラカラとトラックを追いかける。

私は不思議なものを見るような気がした。

無常感が一層まして迫ってくるようだった。も一度心で合掌した。

2008年11月17日 (月)

一日ちがいで、

     Asa くりっく   今朝8時頃のあさもや

皮肉なもので今日はいい日になった、昨日このくらいなら

もっと楽しい【根古屋まつり】になったのに。

でも我が出店も予想よりは健闘したようだ。私も妹二人の

フォローを受け行ってきた、雨の中思ったよりは人がいた。

小雨の中、妻が店番をしていた、私はちょっと胸を衝かれた。

でも楽しそうな妻の顔に救われた。

私の気持を少しでも引き上げようと言う妻の想いとお祭り騒ぎの

好きな妹達のお陰で、雨もさほどの心の遅れとしなかった。

昨夜、寝るとき「かーちゃん今日はありがとう」っと言った。

「ん、なにが」・・・「うん」それだけは言って置きたかった。

雨のお陰で少し湿っぽくなったが、今日は朝から

カラッ、っとした。  さあ・・・明日から年賀状の支度をしよう。

2008年11月15日 (土)

天気頼み、

飛駒には根古屋森林公園と言う可愛い公園がある。

明日はその公園で【根古屋まつり】がある。

特に目玉があるわけではないがソコソコ人が集まる。

但し天気がよければの話だが、明日の天気やいかに?

天気予報によると寒くて少し雨があるかもしれない、とか・・

わが工房でも出店するので、すこぶる気になる。

雨が降ったら店じまいだ。

昨日、今日とその準備やら管理棟での作品展の搬入をした。

明日は妹達も来て店の手伝いをしてくれる。

その後は我が家じたいがお祭りのようになるのだが、

雨に降られたら全てがオジャンだ。

考えてみると根古屋まつり自体もそうだが、わが工房も

内容で勝負ではなく、全て天気頼みというところが

地に足が着いてないようでおもしろい。(本音=心細い)

ころころころころ、(サイコロを振る音)

天気のさいの目はどう出るのだろう。

2008年11月13日 (木)

我慢の後に見えてきたもの、

  Azuki くりっく

「おとうさん、飽きたらこれやってね」と2~3日前、テーブルの

うえに置いていったアズキ。「なにするの?」と聞くと

選別だと言う、割れたのや虫食いや固くちじれたものを

省いておけという事らしい。 「うん」と生返事をしたが「大の男の

やることじゃないな」と思う、でも今の自分は大の男とは言えない

かな、とも思う。その後も飽きる事もないからそのままだった。

きょう、病院に行って又疲れて帰ってきた。

気持もすっきりしなのでちょっと何もする気が起きなかった。

アズキが目に入った、これで気分直しをする気になった。

天気も良かったので導入部は快調に進んだ、が。

厄介な事にすぐ飽きてしまった。「飽きたらやれ」と言われた

のに、ちっとも面白くないから飽きてしまったのだ。

私は我慢して続けた、我慢の限界の頃、作業の奥深さが

見えてきた、ただ真剣にやればいいと言うものでなく

目を離してみたら選別した筈のものから、いっぱい省くべき

物が見える「なるほど、遠近や角度を変えると見えない物も

見えてくる人生と同じで、も少し鷹揚にすべきだった」

アバウトに構えたら作業は進んだ。

なにかを悟ったような、悟らないような・・・「ふ~無事終った」

2008年11月11日 (火)

生きよ、

    Momiji くりっく

ここのところ、すっかり寒気が強くなってきた。

我が飛駒盆地を囲む山々も絢爛たるお化粧の大詰めの観。

我家の庭も準備中だ、いつもよりこのモミジだけ色づきが

早いような気がするのが気に掛かる。

ほかのモミジはまだ色づき始めたばかりだ。

今年は小さいカエデが虫にやられて三本かれてしまった。

このモミジには虫除けの手当てをしたのだが、どうだろう?

この窓の眺めの象徴的な樹なので、たとえ枝を何本か

切るとも頑張って生きて欲しい。

森羅万象・・ことごとく自分の状況と結び付けてしまうが

これも感傷の秋の所為かもしれない。

「来年、曲がりなりにも俺は生きるつもりだ、たとえ曲りなり

となろうとも、お前も生きよ」

晩秋にまさしく【感傷の秋】に浸ってしまった、こんなんじゃ

厳しい冬、越せねえぞ。・・・・・エイ、ヤ~~ッ。

気合で物事すむのなら世話ないが、気合もないよりは!

2008年11月 9日 (日)

素人の梅ノ木の剪定、

   Ume くりっく

アズキのこしらえの為、妹達が来てくれた。

末妹Kさんの旦那、Oさんも来てくれた。私とOさんは

梅ノ木の剪定(二人ともよく分ってないが)をする事になった。

私は一昨年、義弟のS君に頼んで梅ノ木に大鉈をふるった。

その所為で昨年はダメだったが今年は豊作だった。(多分)

そんな話をOさんに話したら大いに賛同「バッサリやりましょう」

と言う事で気分よくバサバサ伐ってもらった。(すっきり)

三本目が終りかけた所で作業の終った妻たちが来た。

見るなり眉を吊り上げ「それは伐りすぎだァ」と口々に。

説明しても舌鋒鋭くなるばかりで理解しない、と言っても

どっちも素人だからソモソモ話がかみ合わない。

話が膠着したので、提案した。「残りは小枝だけ切って

来年、再来年様子を見て決着をつけよう」

と言う事で勝負?はお預けとした。

私は思った、【三矢の戒め】もあるとうり、奇しくも我が家も

三本の梅ノ木だ「お前達よ再来年結束してりっぱな実を

つけてあの女たちの大口を塞いでやってくれ」なんか素人

たちの不毛の勝負の観もあるが、とにかく勝ちたい。

Oさんはスッカリ毒気を抜かれ何事もなかったかのように

パチパチ小枝だけ切っていた。あァ、鼻水が出てきた。

2008年11月 7日 (金)

オオトリは里芋、

   Satoimo くりっく   写真の量を5~6回運んだ、

きのう、妹の夫君S君が里芋堀りの指導に来てくれた。

S君は実家が農家だったので子供の頃、父君存命中

よく手伝っていたらしい、身近をを見回すと一番の農業通だ。

そうは言っても子供の頃の話だから全幅の信頼は(?)だ。

でも、鎌の使い方や鍬のさばきは相変わらず上手なもので

私は監督をしていたのだが、口を挟む余地は微塵もない。

左程の時間を要さず取り入れは終った、このあと、こしらえを

して収納だが、種をまいて、育てて収穫より最後の詰めが

一番めんどっくさい、と言う事をどの野菜を見ても理解できた。

S君は聞く人がいなくても、問わず語りになにやら説明をする。

説明と言うより自分で確認しているのかもしれない。

時として、言い訳に聞こえたりする、S君の人柄のよさが見える。

これで今年の収穫は全て終った、後はネギや白菜を

必要に応じて取るだけだ。  みんな、ご苦労様でした。

私の農事監督は見ているだけだが【田楽】のたし、ぐらいには

なったのでは、と自負している。

2008年11月 5日 (水)

懐かしい会話、

きのう、さといも文庫に又お客さんが来た。

この前来てくれた六年生のRちゃんが案内役で

知らない顔が二人、六年生と四年生だった。

私は私設の司書として読書の邪魔しないように、そして

余計な話しはしないよう、と一応心がけている。

しばらくして帰りがけ四年生のAちゃん「本、借りていっても

いいですか」という、私は「ウン大丈夫、じゃぁ貸し出し帳に

書かなきゃね」と日付と題名を書いて名前を聞いた、

聞いてみたが姓は分るが、名前がどうも分らない。

近頃、当て字を使うのが流行らしく名前の漢字がどうしても

分らない、側にいたRちゃん「私が書いてあげる」と言う。

私はペンを預けた、 「Rちゃん、あんた字が雑だからゆっくり

丁寧に書いてね」とAちゃん、Rちゃん六年生、Aちゃん四年生

おかしくなって笑ってしまった。何を笑うのかわからないと言う

顔の二人、少人数の学校の産物かもしれない。

何となくほほえましくなる。暫らくこの年代の子供の会話から

遠ざかっていた所為か、懐かしくも新鮮に聞こえた。

ほんの小さな出来事だったが私には長く長く余韻した。

2008年11月 3日 (月)

まな板の奏でるメロディー

     Togi くりっく

私は障害者となるまえは職人だった。

職人は刃物を使う事が多い、刃物を使わない職業もあるが

刃物らしくない刃物も含めて大方の職人は刃物を使う。

当然刃物を使うからには切れ味保持のため、研磨をする。

私も40年近く刃物を研いで来た。

きょう私は彫刻刀を研いでいた、私には水研ぎは出来ないので

この身体になってから苦肉の策でサンドペーパーの研磨で

間に合わせている、何とか間に合っている。

研ぎながら考えた、このペーパーを固定できたら包丁が

研げないだろうか?  私が健常者の頃は定期的に研いで

いたので我が家の包丁は良く切れていた、近頃まな板の音を

聞くたびに切れ味が気になっていた。

さっそく試してみた、かなり身体への負担はあるものの

なんとかいけそうだ、試し切りしてみたら納得はいかないまでも

大分改善されている。夕飯の支度の妻のまな板の音が

リズミカルになった。  包丁の切れ味が料理の味に比例する

事は期待できないだろうが、軽やかなまな板の音色は私への

ほめ言葉に聞こえた。

2008年11月 1日 (土)

アズキの収穫、

     Mikaku くりっく

小春日和の一日だった。

収穫の秋、今夜は鍋だろうか?料理音痴の私でも

大根とねぎを見ると大方の想像はつく。

このほか今日はアズキをとって来た、私も抜いたアズキの

枝から莢をとる作業を手伝った、30分経ったところで妻の

ドクターストップがかかる。  違う作業だが以前同じような

体勢で頑張りすぎて三日ほど筋肉痛を起こした事がある。

30分の自分の出来高を見ると情けなくなるほどだ。

アズキの木を抜いて、莢を取って、莢から実を叩いて取り出す。

大変な手間隙だ、なるほどこれじゃぁアズキが安くないわけだ。

もちろん本職の農家は機械で大量に収穫できるのだろうが。

いざ、生産者の側に立ってみると(えらそうに)農産物の

値段に一定の理解を示したくなる。

畑にはまだアズキがいっぱいある、もしかしたら明日は、

妻の強権発動で妹達を招集して人海戦術かもしれない。

姉妹四人でなら瞬く間だろう、私も又30分手伝うだろう。

初めての収穫、暮れの餅つきや正月用の餡にこのアズキが

大活躍してくれる事だろう。

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