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2008年9月

2008年9月29日 (月)

遠方よりの友人達の訪問。

今日、午前中元気に・・?・リハビリに行ってきた。

ただし2クールを1クールに控えてもらった、何故かって?

一昨日、栃木県市貝町からカンヤ親分率いるカンヤ一家の

殴り込みを・・・違う、ちがう、訪問を受けた(総勢4名)

一緒に食事をして我が家でもお話をして、楽しい時を過した。

帰りの遠路を思うと名残惜しくも引きとめも、ままならない。

惜別の見送りをした。  見送りをして部屋に戻って妻に

「日差しが強いのか、顔が熱くなった」というと「あれっ」っと

額に手を当て、体温計をよこす、38,2度、数字を見たら

急に身体が重だるくなった。余ほど訪問に興奮していたの

だろう、なんともないと思っていたのに。

今度はベッドで氷枕とヒエピタが話し相手になった。

昨日も一日長いお話になった(氷枕とヒエピタと)

今日はもう大丈夫【多分】。

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カンヤさんと会って   (初対面)

別れ際、カンヤさんと握手をした、右半身が不自由なので

左手で、思いのほか強い力だった、その時私は「あァ、この

手がカンヤさんの生活の全てを支えているんだな」と思ったら

鼻の奥がツンッと痛くなった。「左手君今後もカンヤさんを

宜しくね」と祈った。  カンヤさんはそのままの人だった

声も顔も話も、まるで古くからの知己のようだった。

Wさんと会って    (初対面)

初めて顔を見たときイメージと違うな、と思った。

かって、国家権力で人々を護る職場にいた、と言う先入観から

険しさを想像していたのだが、その何と柔和な笑顔、私は

一目で魅入られた、だまって座っているだけで、の存在感。

しかしWさんも重い病気と闘っている、笑顔はそれをのり越え

てのものだろうか、精神力がそれを作っているのだろうか。

でも、まぎれもない笑顔だった。

Hさんと会って    (初対面、女性)

Hさんもイメージと違った、引きこもりがちと聞いていたので

暗い人(ゴメン)と思っていたらユーモアを解し、明るく

目のパッチリしたチャーミングな人だった、Hさんが杖をつき

(やはり半身が不自由)慎重に歩を進める姿を見て「歩ける、

と言う事はなんて素晴しいだろう、羨ましい」と思ってしまった。

いつか、歩く喜びを見出してくれたら、と願う・・・

Sさんと会って     (初対面)

Sさんには脈絡が何もないので予備知識ゼロだった。

明るく全く屈託を感じさせない人だった、Sさんも障害を

持っているのに、座って話だけしてたらそういう人には

到底、見えない。私も自然に屈託なく人と接する事が

できたら、と強く思った、楽しい人だった。 

2008年9月25日 (木)

突然あられが降ってきた。

いきなりだが、私のお尻には床ずれと言うのがある。

これが中々厄介なものでソロソロ三ヶ月になる。

少しずつ改善はされているらしい、きのうその診察日だった。

皮膚科の診察は水曜の午後だけなのでそれを基準に

リハビリもシフトされる、診察のまえ、先生と看護師さんが

カルテを見ながらなにやらひそひそ、「実は今朝採血して

もらった結果が来てまして炎症反応の数値が・・・」

それから「熱はないか」「頭痛は」「かゆい所は、痛いところは」

いろいろ先生に聞かれるが何も思い当たらない。

「抗生剤を飲んで一週間様子を見ましょう」と言う事になった。

私も妻も炎症反応と聞くと気持が穏かではいられない。

私の脊髄の病気の時、N病院で毎朝採血をしてその数値を

主治医の整形のY先生はとても気にしていた。

今回の数値はその時の約半分なので【危険】と言うほどでは

ないと思うが、皮膚科のU先生の深刻そうな顔が気になる。

「来週、内科受診予定ですが、明日見てもらってください」

今日内科に行ってきた、内科のS先生はオットリしている。

「ふんふん、じゃ来週まで様子見ましょう」ちっとも深刻じゃない。

も少し手ごたえのある回答かと気合を入れたのに、カクッ。

気が抜けたけど、気が楽になった。

来週の今頃はもっと気が楽になれたらいいなァ。

2008年9月23日 (火)

ほたる橋、やっては見たけれど。

     Hotaru くりっく

作品展に出す【ほたる橋】のためし摺りが昨日終った。

ためし摺りはもったいなくて和紙が使えないので

いつも画用紙で摺っている。(写真は画用紙)

今日は本番で和紙で摺っている、何とか今日中に終りそうだ。

和紙はいろいろと手続きが煩瑣だ、車椅子の私には辛い。

でも何とか終りそうなので、ちょっと安心(それほどのモンじゃないが)

あす、額縁やさんに持っていって入れてもらい、その足で

担当のMさんに届けると金曜日搬入だ。

ぎりぎり綱渡りの感じ、もっと簡単に終るつもりだったのに。

本当は何かが足りない感じがしているのだが、肝心の

その何かが分らない、もっと学習すればその何かが見えて来る

のだろうか? でも、もう時間がないのでこのままほおかむりだ。

恥をかけば次の一段が見えてくるかもしれない。

もしかしたら、こけて立ち上がれないかもしれない。

どっちにしても、始めての挑戦だ、力む事はない。

もし、余ほど暇をもてあました人は佐野文化会館までお越しを、

9月27~28日です。  笑いに来てやってください。

2008年9月21日 (日)

木の橋の向こう岸(彼岸)

   Hasi くりっく

もう、お彼岸がきた。(又言っちゃった)

妻と妹達は墓参りに行ったが、雨の心配が有ったので

私と母は留守番をしていた。(私は行っても墓の前には行けないが)

帰ってきた妹達は「雨、大丈夫そうだから散歩行こうよ」という。

ちょっと長めの散歩になるが、飛駒最奥とその手前の町内の

境辺りに行こうと言う事になった。飛駒生まれの彼女たちも

来た事がないという、橋に差し掛かった、近頃珍しい木の橋だ。

私は健常のころ何遍も来ているし、ちょっと前にも一人で

来て渡っているので「大丈夫」と言ったのだがみんな

ビビっている、一部が腐っているので落ちるのでは、と渡らない。

誰か一人試しに渡れ、と言う話になった。

私はニヤニヤ見ていた、末妹のKさんが毒見役になった。

及び腰の微速前進だ、無事通過、ガッツポーズをする。

次に私が渡って見せたらみんな安心して渡ってきた。

改めて振り返るとかなり怪しい感じもする、いつ壊れても

おかしくなさそうだ。築何年経っているか分らないが、ソロソロ

怪しそうだ。もう渡るのはやめた方がいいかも知れない。

利用価値と頻度の問題だが、個人的にはもう一度、木の橋が

架け替えられたら・・・と秘かに思った。

「この木の橋は何となく、捨てがたい」もう一度振り返って思った。

2008年9月18日 (木)

ヤブガラシのヤブヘビ、

 Turu くりっく 平たいのが(葛の葉)刺々しいのが(やぶがらし)

午前中A病院でリハビリをしてきた。

S先生「あれ、なんかやった?やに身体が硬いよ」

考えても特に思い当たらない、強いて言えば「車で長時間

ドライブをしたこと、日曜日草刈の手伝いで(ヤブガラシ)を

退治した事ぐらいかなァ」と私。

「なんだい、ヤブガラシって?」街に住む人は知らないらしい。

「繁殖力の強い蔓の寄生植物で、樹やヤブを枯らしてしまう、

それが梅ノ木にからんでいたので、根を引き抜いて枝から蔓を

引き下ろしたんです、沢山」 私は褒められる事をした児の

様に胸を張った。 「それらしいな、原因は」と言いながら

S先生は褒めてくれなかった。

「両手で力を使うと体幹保持のため腹筋と背筋の負荷が

大きくなり無理があるので、ほどほどにしないと」と

たしなめられた。でも「たまにゃ、刺激になっていいか」とも

昨日辺りからやに身体が重いな、と感じていたのだが

原因が判って少し気が楽になる。

少しでも貢献したいと言う気持が、勇み足になってしまった。

こういうのも(ヤブガラシ)ならぬ(ヤブヘビ)というのかな。

2008年9月16日 (火)

雲の上の車椅子乗り、

   Ropu くりっく  ロープウェーちょっと怖かった。

「お父さん、乗れるんだって、行くよ!」「へ~それは凄いことに

なったなァ」日光白根山の群馬県側(丸沼スキー場)にある

ロープウェー乗り場「無理だろう、車椅子が乗る訳がない」私は

絶対無理と思っていた、それが乗れるとは、ちょっと鳥肌・・・

きのう朝8時出発、めざすは栃木県奥日光、戦場ヶ原が有名。

私は戦場ヶ原を衛兵のように囲む男体山、白根山、太郎山など

おおむね歩きつくしていた。それらの山々を眺め懐かしかった、

でも、それだけだった。現地に行けば何か楽しむ方策がある

のでは、と漠然と思っていた、勇んで来てみたが、さすが山では

車椅子は通用しない。分っていたんだが・・・・

「峠を越えて、ドイツ村というところへ行ってみようか」

燃えきらない気分を感じたのか、妻が提案「うん、そうするか・」

峠を越えたら延々と続くロープウェーが見えた、「のってみる?」

「むりむり」と私。結果、妻の根性勝、係りの人は慣れていた。

一気に標高2000米へ私にとってはとんでもないサプライズだ。

思い出の白根山が指呼の間にあった、見飽きなかった。

私は雲上の気圧に満足した「かーちゃん、でかした」

帰りはもう、何処にも寄る気がなくなっていた。

2008年9月14日 (日)

おォ、もうそんな時期なのか、

    Myouga くりっく

  【桐ひとは 落ちて天下の 秋を知る】

こよみから時節を知るのではなく自然の営みを目にして

あわてて「あァ,もうそんな時期なのか」こよみにおいてけぼり

食いそうになる、若い頃と違ってそういうケースがふえてきた。

忙しい訳ではないのに、ついつい失念することが多くなった。

待ち遠しい事がなくなった所為だろうか?

草刈をしていた妻が採ってきた秋ミョウガ、花が開いている。

特に待ちわびている訳ではないので、たまたま見つけるという

感じだ、とくにミョウガは草を掻き分けないと目に入らない。

ピークを一週間ほど過ぎたようだ。

ミョウガのお陰で分っている筈の中秋を改めて感じた。

その後、思わず空を見た、まさしく秋空だった。

「まてまて、まてよ」三日前リハビリの帰り、見事なススキの

穂を見て中秋を感じたばかりだ。

改めて感じるのではなく、感じた事を忘れてるんだ。

「さァどうする」慌てふためくか、このまま放っておいて

感じる回数の増えたことを喜ぶか。

あしたも又、なにかをもって中秋を感じるのだろうか。

「おお!もうそんな時期か」・・なさけなや・・・・

2008年9月12日 (金)

遠い日の恋敵、

私は誕生日が三月三十日だ、もう少しで翌学年になる所だ。

同級生に特にハンディを感じる事はなかったが、チビだった。

I 君という転校生が来る中一まで、朝礼は一番まえだった。

I 君はチビの私が見下ろすチビだった。

私は二番になった。中三になった、上の方は入れ替わっても

I 君との二人の序列は不動だった。

修学旅行で京都,奈良、に行った。列車を降りてバスに乗る。

ガイドさんはきれいな人だった、前の方に I 君と座る。

前にいる二人に何かとガイドさんは話しかける。

私はときめき、うれしかった。 I 君はクールだった。

I 君はヒョウキンだったが幼かった、おみやげに刀と水鉄砲を

買っていた。二日目、横整列をした時 I 君は水鉄砲の

調整に余念がなかった、「きゃ~」と言うガイドさん(声もきれい)

振り返るみんな、I 君が赤くなって下を向いている。

「いけない人ね」と優しくガイドさん、I 君さらに赤くなる。

調整に失敗した水鉄砲が見事にスカートと足を濡らした。

以後、ガイドさんの関心は I 君の独り占めだった。(ような?)

わたしは「やられた」と思った、意図的でないだけに【運命】とは

こういうものか、などと当時思った。半世紀前の思い出。

以後、I 君を油断ならない奴、と尊敬した。

2008年9月10日 (水)

私は客観的に・・君とは違う、

私は夜ベッドに入るとテレビを見る習慣がある。

余り頭を使わなくて済む様なものを見る、でも週のうち2~3日は

見るものがない事がある、そういう時は頭を使わない本を読む。

一昨日から読み始めた松本清張の【砂の器】35年前のものだ。

多分3回目だろう、映画を見て原作を読みたくなったと言う

自分でも例がないケースの本だ。

導入部を過ぎた頃、登場人物の作曲家の和賀英良が

「・・・ただ、僕はいつも自分を外において眺めている性質さ、

これは性分だから・・・」・・ん、・・どっかで聴いたような?

「あァ、福田総理と同じだ」・・なるほどな~いつの世にも

客観冷静な人はいるものだ、本をそっちのけで感心した。

ただ本の中の人は「君とは違う」なんて青筋は立ててない。

私はどうだろう?人の事は冷静に分析したり(??)するが

いざ、自分の事となるとこんがらがった糸のように

訳が分らなくなるような気がする。

その証拠に(後悔と反省)が数限りなく思い起こされる。

それでも今日まで生きてこられたんだから、世の中

総じてそんなに問題はないのだろう。

「どっちに転んでも大した事はない」と結論・・・・「う~ん」

近頃、自分はどうも投げやり傾向ではないだろうか、

客観的に冷静に分析してみた。

2008年9月 8日 (月)

栄枯盛衰の旅、

    Isigaki_2 くりっく

昨日上天気、妻は畑にいそしむ、仕方ないので電動椅子に

乗せてもらい、お散歩の単独行を決意。それほどのものじゃないが、

約二時間の冒険だった、北へ北へと向う、私が病気に

なる前は愛犬と散歩しなれた道だ。

十年ほど前、写真の辺でこの近所の翁と出会う。

傾きかけた母屋、はなれ、納屋、蔵、大きな石で囲った池。

当時、私の素人目にも贅が尽くされているな、と見えた。

その時、翁に聞いた「なんで、この家は空き家に?」

「昔ここは、大そうな金持ちだったんだ、絶えてしまったが、

まだ三十年ばかしだ、凄い家だったんだが」

あれから十年、木や竹や草にスッカリ飲み込まれてしまった。

覗いてみたが何もかも崩れ落ちたようだ、夏草の中に

当時のこの屋の栄華が見えるようだ。

通り過ぎて、何か後ろ髪を(ないけど)ひかれ写真に収めた。

【栄枯盛衰】【夢のあと】【無常】なんてフレーズが頭を横切る。

絶えて半世紀もすると、かっての住人もたたずまいも

過去の土になってしまうんだな、と思ったら歎息ともつかない

ものが「ふ~~」と出た

散歩と言う、短い旅の一コマとすべく、孤独の旅を続けた。

2008年9月 5日 (金)

Uさんからの贈り物、

   Yume  くりっく

先日、妻のところへ妻の友人の O市のUさんから

小包が届いた、Uさんが書いてくれた【書】だった。

「図書室に飾って」と言われたが、壁に据えたら図書室が

位負けしてしまった。 あたりを圧倒している。

Uさんは新聞社の書道展に何度も入選している高名な書家だ。

私も以前毛筆の手紙を戴いた、私にとって宝物なので

大事にしまってある。

書は「ゆめもなく おそれもなく」とある。

Uさんが妻に「この中から選んで」と言われ、この文字を

選択したそうな。迷わず「これっ」っと思ったらしい。

「お父さんにぴったりでしょ」別に揶揄の意味でなくすなおに

選んだのだろう、「ハハっ本当だ」私もすなおにそう思った。

特に、夢も野心もないから、人を恐れる事もないし、

天に背く事もないから自分の心にも権力にも怖れはない。

この歳と身体であれば明日その日が来ようとも、従容する

だろう。妻のものだが私はこの「夢もなく 怖れもなく」の

書がとても気に入った。私にも幾ばくかの夢や望という

よすがはある。それを差し置いてもこれから毎日幾度となく

見るだろう、小さくうなずきながら。

Uさん、有り難うございました。

2008年9月 3日 (水)

悪魔のささやき、

今日は午後、皮膚科(水曜午後のみ)にかかるので、

リハビリも変更してもらった、(いつもは月、木)でも

リハビリが終った後時間が余るので食事と買い物に

近くの商業施設にいってきた。私は材料をみたいので

(シナベニヤという版木材)木工の方へ妻とは別に行ってみた。

途中、通路に異物が落ちているのが目に入る。

近づいてみると、何とお金がむき出しで落ちている!!!

多分五千円一枚、千円二枚。

瞬時に頭の中が悪魔と天使の戦いの場となった。

周りに人影がない、やや悪魔が優勢だ。・・・と其処へ

店の人が通りかかる、ドキっ、でもまだ悪い事はしていない。

「あの~、お金が」と言うと「ハイっ」と拾って私に手渡す。

天使が悪魔をおさえる、「いや、落ちていたので」と渡し返す。

店の人「う~ん、じゃサービスカウンターに預かってもらいま

しょう」と歩き出す。そこへ若い男の人「お金を落しちゃったん

ですが」と言う。心臓がどっき~~ん、私は(まだ)悪い事して

ないのに、心臓が止まるかと思った。 確認の後「この人が」

と店の人、「あァどうもすみません、ありがとうございました」と。

一件落着だ「あァよかった」・・・・・「アッお礼の一割の七百円」

振り返るともうレジで支払いをしている、「まっいいか」

安堵感の影でまだ悪魔が小さい声でぶつぶつ言っている。

「だから、ダメなんだ」と。

2008年9月 1日 (月)

三回忌の法要、

きのう、亡き父の三回忌だった。

つつがなく、済ますことができた、極々内輪の法事とした。

生者は亡き人の冥福を祈り、死者は残された者を見守る。

言って見ればエール交換のようなものだ。

そして法事は【惜別の駅】だろうか。いくつ通り過ぎると

想いが薄れたり、笑いが起きたりするだろう?。

人によっては、なお増し引きずる場合もあるだろう。

我家はどうだろう?、(薄れる)と言うくくりは出来ないかも

知れないが、笑いが起きていた、多分ある域に達したのだろう。

涙はなかった、それぞれ一区切りの想いかも知れない。

母にも笑いが(寂しげだが)あった。区切りがついたのかも。

とにかく無事に終った。三々五々の者達を父が見守る事を

願わくば思う。 次の駅の頃には・・・・。

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